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モンスターハンター カシワの書(21)

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まばらに生える葦が視界を阻む。目と鼻の先、この場に似つかわしくない生き物の出現に「彼」は身を低くした。
その生き物が「ハンター」と呼ばれる存在であることを、彼はそう長くない経験から知っている。
多くのハンターが、自身のような大型モンスターを狩りにくる者たちであるということも。
周囲をたむろしていた丸鳥たちが、小さな羽をばたつかせながら一斉に避難を始めた。
今はさほど腹が空いていない。急ぎ追う必要もないと、彼は丸鳥から視線を外し、件の来訪者に向き直った。
黒塗りの身体は、折りたたむ四肢に合わせ極限まで低くなる。これは決して、怯え、屈服するための姿勢ではない。
彼はときとして、森の狩人として狩りを行うことがあった。今、このときも正に狩りを遂行するべく身構えただけのこと。
しなやかな体毛を波打たせ、迎撃の瞬間をただ黙して待つ。
鳥のくちばしに似た形の口から、ごく微量の唸りが漏れた。来訪者が塗れた水草に足を乗せ、知らず間合いを詰めてくる。
水しぶきが一度、上がった。そのときを彼は待ち焦がれていた。
力を溜め、低く保っていた姿勢をバネのように弾き起こす。両翼は斬撃の光を乗せ、来訪者の喉元を狙い一直線に駆けた。
威嚇の音は後から着いてくる、世界が走る。来訪者と目が合った。自身の毛より黒ずんだ眼が、彼をさっと仰ぎ見る。
黒色が宙を薙ぎ、腕に生えた自慢の翼がその首を狙う。特異の発達を遂げた彼の両翼は、さながら研ぎ澄まされた刃だ。
初撃は外れた、すんでのところで来訪者が斬撃をかわした。水滴がいくつも跳ね、双方、両足でたたらを踏む。
互いに距離を取る。ようやく、彼の眼にも来訪者の全貌が明らかとなった。
まだ若い雄。かたわらに獣人を連れている。扱う武器は盾と剣一対。全身から染料の臭いがする。緑一色の布を着ている。
驚きか、恐怖か。その表情が豊かに移い変化するのを、彼は赤い眼でしかと見ていた。
否。そんなことはどうでもいい。
身を低くし、彼は口端から荒い息を漏らした。彼の威嚇、ないし咆哮は、スリップ音に似た短く高めのものである。
近距離であるが故に、彼の咆哮は来訪者に耳をふさがせるに至った。後肢で水草を踏み荒らし、咆哮後の身体を起こす。
自身を脅かす狩人には、森の狩人としての洗礼を――古今東西、あらゆるモンスターはそのようにできている。
性分だ、あるいは生き残り生き長らえるための習性だ。間抜け面を隠しもしないハンターに、彼は再び狙いを定めた。
狩るか、狩られるか……今は、それだけが確固たる問題なのだ――






「旦那さん!」
「っ、ナルガクルガ……」

――エリアを切り替えたと同時に、カシワはその獣の戦術を目の当たりにした。
横切った斬撃はかろうじて被弾せずにおれたが、バネのように身軽な動きは、正直目で追うのでせいぜいだった。
塗れたように艶めく黒毛、赤い眼。ネコのように尖った耳と、鳥のくちばしに似た口元、しなる見事な尻尾。
迅竜ナルガクルガ。闇を吸い込む黒色が、目の前で尾を振り、こちらを威嚇している。
つばを飲み、カシワは腰に提げた剣の柄に手をかけた。抜けと言わんばかりに、眼前の迅竜は身を低く保ったままでいる。
銀光が二つ、宙を撫でる。カシワがハンターナイフを引き抜いたのと、ナルガクルガが跳躍したのは全くの同時だった。
短く吠える獣が腕を左、右と振るう。発達しきったその翼は、もはや一種の双剣と呼ぶにふさわしい。

「くっ!」

一撃目を剣でガードし、しかし二撃目は頬をかすった。すれ違う迅竜に惹かれるかのように、鮮血が弧を描く。
エリアのほとんどは、近くの川によってひたひたと水に浸っていた。足を滑らせながらも、新米狩人はなんとか振り向く。
ぎらついた赤目と黒瞳が交錯する。着地するや否や、ナルガクルガは身を反転させ、すでにこちらに向き直っていた。
その速さ、正しく「迅竜」の名がぴたりと嵌まる。カシワは剣を下に構えながら、知らず身震いした。

(冗談だろ、速すぎて動きが追えない)

アルフォートがさっとブーメランを投げる。ナルガクルガはこれを避けず、顔面に受けた。
乾いた音は着弾した証拠だが、獣に怯んだ様子はない。オトモに遅れるものかと、カシワは駆けた。
水しぶきが大きく跳ね、一歩、間合いを詰めるように前進した迅竜と正面からかち合う。
そのときだ、カシワは視界がぐるんと回転したのを感じた。何が起きたか分からないまま、全身を地面に叩きつけられる。
多量の水を飲み込み、激しくむせた。見上げた先、ナルガクルガの尻尾が優美に揺れ、こちらに対してそっぽを向く。
避けられなかった、もろに攻撃を受けた――一歩踏み込んだ迅竜が、後ろ脚を軸に体をその場で回転させたのだ。
さながらコマのように全身をしならせ、ナルガクルガは狩人を弾き飛ばしていた。
乱暴に顔を拭い、カシワは駆け寄ってきたアルフォートに頷き返す。痛みに顔は歪んだが、オトモは頷き返してくれた。

「旦那さん」
「くっそ。あいつ速いな、アル」
「い、いま、回復笛を」
「大丈夫だ」

頭装備越しに頭をぽんぽんと軽く撫で、カシワはハンターナイフを納刀しながら立ち上がった。
まともに互いの相貌を見るのは、これが初めてだ。
短い威嚇を繰り返しながら、ナルガクルガは一歩、また一歩と距離を詰めてくる。直後、あの回転攻撃が迫った。
今度は慌てず回避する。水草を蹴り、獣の後方へ躍り出る。振り向き様、ナルガクルガは尻尾を二、三度横に振るった。
当たる間際、アルフォートがカシワの腕を強く引く。しなやかな打撃は、折れた水草を散らすだけに留まった。
避けられたと、すぐ分かったのだろう。迅竜はぱっとこちらを振り向き、なお追いすがってくる。
刃翼が地をえぐり、水滴が陽光に煌めく。合間に見える黒毛は、渓流のぼんやりした色彩によく映えた。
立て続けに吠えるナルガクルガから逃れるように、カシワとアルフォートは、一定の距離を保ちながら後退する。
狩るための下準備……素早い動きと獲物をしとめるための的確な狙い、こちらの動きに対する反射神経。
ナルガクルガのそれは、これまで敵対してきたどのモンスターよりもはるかに秀でていた。見極めるために、目を凝らす。

「簡単には、狩らせてくれないだろうな」
「獲物を待ち伏せしたり、身を隠したり。戦略性の高いモンスターとして有名ですニャ」

黒塗りの身体は、闇や、深い森に身を隠すのに最適だろう。何より、ナルガクルガには知恵がある。
距離を離した瞬間、迅竜は尻尾を素早く持ち上げ二度振った。先端に無数の鋭いトゲが露出し、直後、それが射出される。
彼の尻尾は、普段は細く、しなやかな長いだけのもの。
しかし獲物を捕捉したとき、それは畳まれていた鋭利な鱗をトゲへと変え、飛び道具として武器に変貌させる。

「アル!」
「ニャイ!」

カシワは左、アルフォートは右へ避けた。ナルガクルガがオトモを追う。その隙に、カシワはポーチの中をまさぐった。
ギルドからクエスト開始時に支給された、支給専用音爆弾。いつ使うべきかは分からなかったが、試してみる価値はある。
アルフォートを狙い、翼による連撃のために力を溜めていた迅竜へ、カシワはそれを力いっぱい投擲した。
キィン! 空中で甲高く、聞き取りにくい高音が響く。直後、ナルガクルガは体勢を大きく崩し、その場でのけぞった。
大きな耳が反り、震えている。聴覚に優れた彼のモンスターは、爆音の効果に強く反応する性質があったらしい。
数歩後ずさった迅竜に、カシワは勝機を見いだした気がした。要領は同じだ……動きをよく見、隙がある瞬間に反撃する。
ハンターナイフを抜く。首を左右に振り、未だ四肢の力が抜けている迅竜めがけて駆け出した。
踏み込むと同時に、剣をまっすぐ振り下ろす。斬撃は確かに、ナルガクルガの頭に吸い込まれていった――

「!?」

――刹那、迅竜が「消えた」。はっと顔を上げたカシワは、背後から向けられる殺気に息を呑む。
振り向き様、鼓膜を突き破らんばかりの咆哮が轟いた。たまらず耳をふさいだところで、アルフォートに突き飛ばされる。
踏み込み、刃翼による強襲。咄嗟にアルフォートがフォローしてくれたが、その威力は初見より倍近く跳ね上がっていた。
飛び散る水草、水しぶき。えぐれた地面を目の当たりにして、カシワはぱっと跳ね起きる。顔から血の気が引いた。

(隙はできるが、怒り状態になるのか)

ナルガクルガの双眸が、爛々と赤く光っている。彼が跳躍する度、赤い残光が大きな弧を描き、駆ける獣に追従する。
さながら、赤い二粒の流星のようだった。流水の景色の中、残光は獲物を逃がすまいと無音で荒れ狂う。
今や、迅竜の双刃は翼ではなく、命を狩るための凶器と化していた。煌めく銀光を目で追うのがやっとだった。
知らず口角がつり上がり、新米狩人は正面からナルガクルガに対峙する。心音が耳元で爆発しているかのようだった。
身を低くし、力を溜める迅竜。短いいななきの直後、腕が二度振るわれる。刃翼の連撃を、カシワは左側へ転がり避けた。
空振りしてもなお迅竜の力は強く、多量の水しぶきを虚空に舞い上げる。地面が悲鳴を上げ、その威力を物語る。
ナルガクルガが振り向くより早く、カシワは逆立つ尻尾めがけて剣を振り下ろした。刃は背面に吸い込まれ、鮮血が飛ぶ。
怒り混じりの短い悲鳴。初めて攻撃が当たった――いける! 追撃と言わんばかりに、剣を立て続けに斬り込んだ。
怒りに燃えるナルガクルガは、荒い息を吐き、身構える。突如カシワに背を向け、鱗を全面に逆立てた尻尾を高く掲げた。

(! しまっ……)

その危険性は、一目見ただけですぐに察することができた。しかし、反応は否応なしに遅れてしまう。
トゲまみれの尻尾が一直線に振り下ろされる。ナルガクルガの必殺技、避けようとするも、それはわずかに胴をかすった。

「ぐうっ!」
「旦那さん! 旦那さんに、何するニャア!!」

アルフォートが投げたプチタル爆弾は、カシワが激痛、衝撃とともに転倒すると同時に、迅竜の頬をかすめる。
先のブーメランが効いていたのか、ナルガクルガは悲痛な声を上げてのけぞった。その隙にメラルーは主人の元へ。
裂かれた防具、衝撃の残るわき腹を一度手で押さえ、カシワは顔を上げた。泣きべそ混じりのオトモの頭に手を乗せる。
ムーファの毛織りの防具は、思いのほか衝撃を和らげてくれていた。まだやれる、剣を握り直し、新米狩人は立ち上がった。
ナルガクルガと幾度目かの対峙。うなる迅竜は再び踏み込み、高く跳躍する。風を切る音、カシワは前へと躍り出た。

「でぇいっ!!」

飛びかかりを避け、振り向きと同時にナルガクルガへ斬りかかる。赤い残光と緋色の飛沫が交差する。
直後、前脚をひるがえして、手負いの迅竜は飛び上がった。逃げる――とっさにペイントボールを投げ、マーキングする。
相手は飛竜種。想像以上の素早い動きに、カシワは頬ににじむ血を、手の甲で乱暴にぬぐいながら歯噛みした。

(あれを捕獲しろってのか)

大型モンスターは、討伐ぎりぎりのところまで弱らせてからでなければ捕獲することができない。
難しい注文だ、とは、口内にのみ留める。飛び去った黒い背中を目で追い、新米狩人は小さく嘆息した。

「ニャ、旦那さん」
「ああ、アル。さっきは悪かった、ありがとうな」
「そんな、ボク……あんまり役に、」

こちらの心情を表情から読み取ったのか、アルフォートの顔は晴れない。カシワはオトモの頭をやや強めに撫でた。

「それを言うなら俺の方が全然だろ。ほら、ナルガクルガ。追うぞ」

最後にぽんぽんと叩き、ハンターナイフの刃を砥石で研ぎ直す。
難しい、確かにそうかもしれない。しかし、端から諦めるつもりもなかった。強く足を踏み出し、水たまりを蹴る。

……カシワとアルフォート。
二つの背中を、草場の陰からじっと見守る影があった。二人が立ち去った後、のそりとそれは動き、葦を掻き分ける。
武器や防具の重みもあってか、大柄で筋肉質な身体に呼応するように、足下で盛大な水しぶきが上がった。
骨ばった厳つい手であごを撫で、その影は迅竜と若い狩人、そのオトモが残した狩りの痕跡を見る。

「ふうむ、このへんじゃ見ない顔だな」

その影……男もまた、ハンターであった。カシワよりも、否、クリノスよりも経歴の長い、フリーハントを主としていた。
毛髪のないつるんとした頭に、片手をぽんと乗せる。彼が考え事をするときの、一種のくせのようなものだった。

「迅竜の牙か、脊髄がほしかったんだが……なんだ、面白いもんを見てしまったなあ」

追わずにはおれまい、足取りはうきうきと弾んでいた。その度に、重みで水草がへし折れていく。
男の背で、かつがれていた黒塗りの鎚が一度、大きく跳ねた。





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 UP:21/06/22