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ある天使の喜劇(楽園のおはなし0章SS)


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(哀しみと友愛の岸辺)


銀光の追想、棚引く空色。引く手は数多、要される案内人。
灼熱の回想、流れる白金。あまねく知られる兇悪、拒まれし処刑人。

(かぎりなく やわらかな 慈愛)

傍らに寄り添うのは、藍晶石の騎獣、琥珀の魔獣。
天上の脚本通りに編まれし、白亜の獣、漆黒の獣。

(ほどなく おとずれる 無慈悲)

地の民に踊らされ天へと上った、選ばれた者。白い焔の王冠。
天の声に夢を抱き理想を掲げた、鎖された者。黒い剣の王国。

(あらたに もたらされし 別離)



……

透き通った水面は、まるで空洞に漆黒のタールを張り巡らせたかのようだった。
浅い水底には白磁、或いは象牙の砂粒が沈澱していて、暗黒を映す水面をより目立たせている。
広大な池、むしろ遙か遠くまで続く様は、湖か海を想像させる。魚一匹住まず、川のような流動性もない。
足を浸すと、やはりそれは水だった。冷たくも温かくもなく、ただ濡らされている感覚だけがある。
水面が照らす空は漆黒張り。星々はおろか月一つ、雲一つない、どこまでも空虚なだけの天が広がっていた。
湖の横には、水底を支配する砂に覆われた、ちょっとした小道が続いている。
ヒト一人がようやく歩けるような細道。両脇には白樺か或いは化石か、白亜の木が一定間隔で植えられていた。
道を進むと、件の水面が眼前に悠々と広がっている。道はここで途切れていて、分岐点などは見当たらない。
天と水の黒、白の砂。自分以外は誰もいない、何の気配も音もない、空白の空間。
嘆息を一つ。水面に脚を浸し、道なき道のその先へ足を運んだ。
俄かに視界が上向いた気がした。なるほど、足元を見ると砂がこんもり積もって、丘陵のように隆起している。
ほどなくして湖の中央と思わしき場に着いた。砂が水面を突き抜け、小さな島のようになっている。
とりあえずはと腰を下ろした。しかし何もする事がない。指先で砂を掻き分けても、何かが出るわけでもない。
時計や遊具なども、この無機質な場所にある筈がない。せめて鳥の一羽、魚一匹でもいたら違っただろうが。
ゆるりと解く息は静寂に溶かされるばかりで、何の役にも立ちはしない。膝を抱えうずくまった。
……何故、こんな事になったのか。
天に仕える事。それこそが自身の生き甲斐であり、至上の悦びだった。存在意義を見出す手段であった。
その為に捨てた願いや望みがどれだけあった事だろう。責務を負わされる事だけで自分を保っていた筈なのに。

「神よ……わたしの対存在よ。わたしは、あなた達を二度と信じない」

否。断じて、否。
彼等に罪など、恨まれる所以などあるわけがない。彼等を見限り、突き放したのは、何を隠そうわたし自身だ。
善と悪。必要悪、性善説。因果と終末――或いは、運命と宿命。
彼等が世界の根底に敷き詰めた、世の理(ことわり)として定めた絶対的理想論。
世界が彼等の思惑通りに、或いはヒトが天上の民を敬い続ける為に組み立てた継続中のプロセス。
彼等こそが世界のすべてで、彼等こそが万物の頂点にあるべき生命。
……他をないがしろにし、或いは利用し、言葉巧みに扇動する事が、世界平和に至るファクターだと彼等は言う。
わたしはそれに疑問を抱いた。止しておけばいいのに、彼等の構成プログラムに横から口を挟んでしまった。
彼等にとって、あらゆる生命とは「善」と「悪」にのみ分類される。灰色じみた中間点などありはしない。
わたしは最終的に、不穏因子、即ち「悪」と見なされた。天上に仇なし、世界に敵対する害悪なのだと。
天上の民はわたしを裁く事に執着。わたしの対存在はわたしを飼い慣らそうと甘い言葉ばかりを吐いた。
長い投獄生活の中で、わたしは漠然とした答えを識る。
……彼等のいずれもが、「わたしという天使」を要するだけで「わたし自身」など歯牙にも掛けていないのだと。

「ここは……とても静かだね」

自ら断崖に立ったとき、わたしはこの上ない喜びを感じていた。
使命、責務、罪科の償い。天使であれば否応なしに従わざるを得ない、彼等の呪縛。
それから解放されるなら、一時の痛みなど恐ろしくあるものか。対存在の声も、その頃には寝言のようだった。
わたしは躊躇いもせず天へと跳んだ。
輪廻の輪、転生の理、全てを拒絶して、彼等から逃れる術へ身を踊らせた。
その結果。血と肉、骨と魂とを新たに得て、わたしは「この地」に永久に縛られる事となった。
「この地」に訪れるありとあらゆる変貌を傍観し、傍受し、見届け、傍らに寄り添い遂げる為だけの生を得た。
退屈である事、間違いなし。
それでもいい。
与えられるだけの生に、一方的に決めつけられた正に意味などない。
今のわたしには意味がある。込められた願いや望み、祈り、意図がある。心から愛してくれる者がいる。

(淋しさなんてある筈ない)

あらゆる慈悲がわたしを護り、あらゆる無慈悲がわたしを育てる。数多の別離が訪れようとも、生きていける。
……ここでなら。どれほど長くを見送るだけでも、わたしを忘れられない人達が傍で生き続けているから。
わたしを赦さず享受せず、それでも決して拒まず、一つの生命として平等に扱ってくれるから。

「『希望の花』だなんて、大仰だわ」

けれど、悪くない。
「彼女」にとてもよく合っている、全ての生命に愛されて然るべき、大切な名前。

「悠久の幸福が、花開きますように」

白亜の丘上。わたしが独りきりで生きるその場所に、新たな別存在が生じたのはほどなくしての事だった。
灼かな銀光に満ちた、一本の林檎の樹……
如何なる困難や因果が降るかもしれない。けれど彼女なら、或いは彼らとなら、枝葉で巻き取る事も造作ない。
わたしに出来る事、手伝える事は何もない。
ただただここで彼女の熟成を見守り、彼女の為に歌を歌う。そうして永久に何時までも生き続ける。
「生きていて欲しい」。それが万物共通の、わたしの父母の願いそのものなのだから。
こればかりは彼等に奪わせたりしない。生きてみせる。



……根元に寝そべりながら、琥珀の瞳で若々しい果樹を見上げた。
漆黒の木漏れ日。その向こうで、灼かな「わたし」が夜色の瞳を輝かせている。
幸せそうに、笑っている。




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 UP:14/02/27