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喰天使の追憶(楽園のおはなし3章SS)


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(其は「智恵の実」なり)


手渡されたのは白銀の輝きを内包する、半透明の果物が一玉。
果物が光るなんて有り得ない、反論するより先に、いいから齧ってみて、と急かされる。
よほど自信があるのか、赤紫――上物の尖晶石か石榴石を彷彿とさせる艶やかな――丸い瞳が眼前で微笑んだ。
自身と相手以外、庭園には誰の気配もない。ここは神々の世のうちで特に神聖化された場所で、内部に侵入する事
そのものが貴重な体験であった。殊に、眼前にそびえ立つ果樹は世界広しといえどこの場にしか生えていない。
「彼女」だけがこの白銀の果樹を育てる事を赦されていると、そう知る者は数少ない。
むしろ樹の存在のみが一部の間でまことしやかに囁かれる噂、程度の認知度しかないだろう。
この樹の存在そのものが、天上界に於けるトップシークレットである事に他ならないのだから。

「採れたてが一番甘いの。さあ」
「……なあ、」
「根性なしって呼ばれたいの?」

この堂々たる振る舞い。
共通の主神に拾われてからというものの、出会った当初より性格が意地悪くなっていないだろうか。
無理もない、そう思い直す。互いの育ちは荒みに荒んでおり、常人なら幼いまま息絶えてもおかしくなかった。
ここまで回復した、という事なのだろう。自分にも主神にも心を開き、日頃から冷静と平静を保てる程にまで。
……向けられる視線は反らされる事がない。赤紫の眼差しは、どっちつかずの自分を怪訝そうに見上げている。
――やむなし!
一度躊躇ったものの、思い切って歯を立てた。
想像していたより酸味が強いが、甘味は十分にあった。皮はぱりっとしていて、対し実は瑞々しく柔らかい。
その差が心地良く軽やかで、食感、喉に流れ込む果汁ともに心の底から楽しめる一品だった。

「どう? 美味しい?」
「……ん、んん。まあな」

味を堪能しているところを横から邪魔されたので、返事はやや単調になってしまった。
それが面白くないのか、他に何かないの、言いたい事はそれだけなの、と服を掴まれ揺さぶられる始末。
これらは全ていつもの事だ。
仕事の終わり、主神が眠りに就いた頃、今日の仕事の取り纏めとして俺達はこの銀の林檎の樹の下に集う。
「彼女」はいつも集まる度に林檎を用いた焼き菓子を持参した。前に一度、好物だ、などと零して以来ずっとだ。
なんとかの一つ覚えとはよく言ったもので、「彼女」が天使能力で果樹に実を付けさせない限り……つまるところ、
「彼女」が焼き菓子を用意出来なかった場合にのみ、俺はこの実りを分け与えて貰える事が許されている。
パイにケーキ、ジャムにサンドイッチ……焼きたてだからか菓子は常にそこそこの出来映えで、たまに気まぐれで
褒めてやると、満面の笑みを浮かべて喜ぶのが面白かった。そうして菓子を、或いは実を供に仕事を進めた。
紺青の静まり返った夜空の下、二人きり……と書けば聞こえはいいが、「彼女」とは随分と長い付き合いになる。
今更色恋どうのこうのに発展する事もないだろう、俺はいつでもそんな事を達観した心地で考えていた。

「明日は寝坊しないでパイ焼いてくれよ、『ラグエル』」
「その言い方! もう、だから貴方はモテないのよ。『ルファエル』」

微風に樹の葉がさらさらと涼しげに声を上げ、俺達は一度口を閉ざしてその音色に耳を傾けた。
空色の長い髪が視界の端で揺れている。手を伸ばせば届きそうだ、とふと指を伸ばしかけたが。
「彼女」がぱっとこちらを見た。微かな銀光に柔らかな微笑みが照らされ、色白い肌を一層白く輝かせている。

「――仕事、」
「え?」
「仕事。さっさと片付けちまおうぜ」
「……うん。そうね」

言葉を切った。
俺達は「天使」で、「神に仕える者」で、そしてなおかつ「高位天使」だ。常に負わねばならない責務がある。
「彼女」の本心など、本音など知らない。元より、分かったところで互いにどうこうなるとも思えない。
俺達はそれぞれの役目を知っている。それさえ果たしていれば、この暮らしを手放さずにいられる。
……この時は、まだそう信じていた。

「ねえ、『ルファエル』」
「ん」

俺が書類に手を伸ばした時、「彼女」は確かに何事かを言ったのだ。俺の耳元に口を寄せ、小さく何か囁いた。
その言葉が、今では何故かどうしても思い出せない。
「彼女」の姿、声、熱、柔い肌に甘えてくる眼差し……「彼女」の育てた林檎の全てさえ鮮明に覚えているのに。
どうしても、想い出す事が出来ないのだ――






――視界の下には、先程から延々と同じ事で揉めている二つの人影があった。
片方は背丈の高い夜色の髪の男。長いご自慢の髪は三つ編み状に結われており、風が吹く度にゆらゆら揺れる。
もう片方は男よりも背の低い少女。空色の髪は脇だけを後頭部に纏め上げ、顔を覆わないよう工夫されている。
会話の中身は至ってシンプルだ。
今後、「俺」にどう接していくか。これに尽きる。
俺と連中は敵同士だ。仕える主も違えば、立場も戦う理由、意義さえ異なる。
出会ってから今まで過ごした期間は少ない方だ――それでも数百年は経過しているが――それでも俺も向こうも
相容れない事は分かっているし、主の関係性から歩み寄れないであろう事も予想出来ている。だというのに、

「……こいつに聞かねばならない事など、もう何一つないと僕は思うがね」
「そうかな? まだ何か隠してると思うよ、否定もしないし」
「わざわざ呼び出す必要もないだろうに。君はこれに何をされたか、よもや忘れたわけじゃないだろうね」
「うぅ。だから、あの時はごめんってばぁ」

特に少女の方は未だ、俺に接触する機会を探っているというのだから驚きだ。
嘗て刃を交え、多くの生命を巻き込み、幾夜も掛けて争った仲だというのに。

「とにかく僕は反対だ。どうしてもと言うなら好きにしたまえ、その代わり命の保証などしないのだからね」
「……そう言って。藍夜、なんだかんだ心配してくれる癖に」
「何か言ったかい、ニゼル」
「うっ、な、なんでもないよー! すぐ怒るの止めてよ、もう!!」

死に掛けてなお命知らずな。髪の色といい背の低さといい、少女はどうしたって「彼女」を彷彿とさせる。
もう「彼女」は世界のどこにもいないのに。
「彼女」の姿も、面影も、声色一つ、どうやっても手に入れる事が出来ないのに。
それでもまだ俺は生きねばならないというのか。喪って始めて、その存在の偉大さに気付けたというのに……

「おい、」

……空から声を掛ければ、ようやっと言い争いを止めた。男は憮然と、少女はきょとんとした表情で俺を見る。

「なんでもいいけどよ、用がねえなら帰るぞ。あの方からの伝言を伝えに来てやっただけなんだからな」
「ああそうかいならすぐにでも帰りたまえよ」
「ちょっと、藍夜! ……あのさ、またノクトに会いたい時は、どうしたらいい?」

男が抗議するのを遮るように、少女が半歩前に出る。
曰く、俺の持つ情報を聞き出し、自分達の身を守る為に役立てたいのだと。
そんなもの俺の知った事じゃない。何より、呼び出されたところでそれに応えてやる義理もない。

「ねえ」
「……、林檎だ」
「え?」

なのにこの小娘には応えてしまう。
男と言い争うのに夢中で、俺本人がこの場にいる事さえ忘れてしまうような性分なのに。
何故そうなのか、理由を俺は嫌と言うほど知っている。それについても、連中に教えてやる気はないのだが。
少女と「彼女」の関係。
それは全くもって皆無であり、それでいて、非常に強い結びつきも同時に存在しているのだ。
矛盾、曖昧、交わりそうで交わる事のないもの。それはさながら運命や宿命といった不可視のものに似ている。
……だからといって、こいつと「彼女」と同一視するつもりは毛頭ないが。

「林檎を一個、窓枠の外にでも置いておけ。気が向いたら報酬代わりにしてやる」
「林檎? それだけでいいの、来てくれるの?」
「何度も同じ事言わせんな。代用で林檎を入れた焼き菓子でもいいがな」
「随分偉くなったものだね、『ノクト』」
「テメェほどじゃねえよ、『ウリエル』」

翼をはためかせ、身を翻した。瞬間、落下するのに任せて、そのまま元の空間へ……主のおわす地へ飛翔する。
空色の髪。微笑み、白い肌、菓子を作る細腕に綺麗な歌声、確かな体温。
忘れる事など出来ない。
夢幻でもいい、せめてあの時、躊躇わずに指を伸ばせていたならば。

「……『アンジェリカ』」

いつ立ち直る事が出来るのだろうか。或いは、忘れてしまえるのは。
琥珀色の回廊を奥に進みながら、返ってくる事のない返事に独り、耳を澄ました。




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 UP:13/11/29-ReUP:17/09/15