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ある魔獣の生誕(楽園のおはなし4章SS)


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(柔らかな手のひらの中)


暗褐色の滑らかな触感と、肌にぴたりと張り付いたまま並ぶ硝子光沢の鱗。腹部は心なしか柔らかかった。
対し、背面には亀の甲羅を思わせるやや堅い膨らみが見て取れる。小突いてみる。こつこつと軽い音がした。
大山椒魚に酷似する体躯を撫でると、不思議ときらきら輝く粒子が膝を伝う。さながら海面を漂う青銀の漣だ。
指で掬おうにも、それは少し触れただけで夢か、陽炎かのように消えてしまう。
とても綺麗。くすりと小さく笑んで、彼女は膝上の生命を両手で包んだ。愛おしそうに、慈しむように……

「……アスターさん」

眼前、黒髪黒瞳黒服と黒尽くめの少年が、気遣うように柔らかく少女の名を呼ぶ。
静かに一度瞬き。少女、アスターは普段の天真爛漫さなど感じさせないような、慈愛に満ちた微笑みを湛えた。

「……名前、」
「え?」

一時「獣」を撫でるのを止め、滴る汗を片手で拭う。気付いたように、少年は腰に提げた手ぬぐいを外した。
身動きの取れない少女の代わりに、そっと、丹念に額、頬、顎、首の汗を拭き取ってやる。
二人の顔が近い。そのまま、呼吸ごと重なってしまいそうな距離だった。
俄かに少女が気まずそうに、恥ずかしそうに身動ぐ。少年は慌てた風に、それでも静かに手を離した。

「あの、アスターさん」
「ん。有難うですの、レヴィ」
「いえ」
「……アスター。大丈夫?」

壁際近く、双方のやりとりを見守っていた天使が、溜まりかねて声を掛ける。
一瞬、振り向き様にアスターから離れようとしたレヴィを、しかしアスターの片手が制した。
服の裾を掴んで離さない。少年の足元で、多量の胎水が大きく跳ねた。

「ニジママさま、アスターはだいじょうぶですの」
「……うん、そっか」

分かった、口出ししないよ――そう言う代わりに、天使は軽く首を傾げて嘆息した。

「なら、良かった。お疲れ。アスター」
「はいですの」
「あの、アスターさん」
「レヴィ。レヴィは、ここに居なくちゃ駄目ですの」
「……すみません」

謝罪への否定。ふるふると速やかに首を横に振り、少女は今度こそ目の前の「獣」を抱き締める。
温かくも、冷たくもない。見た目は爬虫類そのものであるのに、それがとても不思議だった。

「……『ママ』ですの。アスターは、わたしは、『あなた』の『ママ』ですの……」
(ゴ、ゴー、ゲー、ゴゥ、ゲー)
「! 今、鳴い……」
「お、俺も聞いたよ、レヴィ」
「『パパ』ですの。このひとが、『あなた』の『パパ』ですの。あなたの……大切な家族ですの」
「アスターさん」
「アスター」

儚げ、悠然、可憐、友愛、思慕、そして、「希望」。全ての慈悲と慈愛を込めて、少女が笑う。

「名前、決めてあげなきゃですの……この子の名前」
「あー……ふふっ。責任重大だね、レヴィ」
「……問題、ありません」

夏の暑い日……「災厄の魔獣」はこうして「生まれた/産まれた」。雲一つない、快晴の日だった。




(君に想いて 君に願う)


オレンジの灯が揺れている。杖の先端に提げたランタンは、屋敷の主が自ら紆余曲折を経て創作した品だった。
さもお気に入りだと言うように、眼前、杖を右肩に掛けた少女がくるくると歩調緩やかにターンする。
黒紫のブーツは新調したばかりの流行りの品で、自分に似ずお洒落やおめかしへの興味の現れにほっとした。
肩まで切り揃えられた、艶やかな天色の光沢を流す灰髪。
少し長い、後頭部に結い上げた頬横の送り毛の一部、それを彩る瑠璃色のリボン。
市場で買ってきた一押しの手染めの品だと、屋敷のムードメーカーが話していた。
ムードメーカー。自分の事のように仲間を気遣い、たまに悪戯めいた笑みを浮かべる、空色の髪の天使……
彼女、「フロル」の存在は屋敷の面子のみならず、自分や眼前の少女にとっても、とても大切なものだった。
初見ではその馴れ馴れしさに困惑させられたが、長い付き合いとなった今、出会えた事に感謝している。
時折我が儘を言っては恋人である夜色髪の天使を困らせ、逆に窘められたりもしているようだが、
彼女はいつも幸せそうだった。
飾らない彼女の笑顔と言動に救われ、或いは自身の狭量さを炙り出され自省した者は数多い。
屋敷の来訪者は、件の灰色髪の少女が「生まれてくる」より遙かに前から、徐々に増えつつあった。

「……ぱぱ」

ふと顔を上げる。自分は知らず知らず微笑んでいたのかもしれない。
眼前の少女は唇をごく僅かに尖らせ、頬を膨らませるような動作で笑んでいた。

「なんだい、『真夜』」
「……パーティ……まよ、たのしみ」
「うん。アスターさんも待ってる、急ごう」
「……ん」

「フロル」曰く、少女は普段の無表情さは自分、また笑った時の照れくさそうな目の緩みは母親に似たという。
舌先の覚束ない柔らかな発音。頷き返すと、少女は再び踵を返し、杖を伴って廊下を進む。
杖の先端の飾りに吊した銀鈴が、ちりんちりんと軽やかに歌った。
確かに照れくさそうに浮かべる表情も、整った色白の綺麗な顔の作りも、彼女の母親にそっくりだ。
目の付け所が違うのは女性故か、それとも気遣いと余裕の大きさがなせる業か。

(流石、ニゼルさんだ)

誰にともなく頷き、少女の後に続いた。
彼女……真夜の母親「アスター」は、紛れもなく自分の想い人に当たる。
今宵は特別な祝いの席だ。
色とりどりの飾りを施した樹木のインテリア、薔薇や百合の花、吊り下げるリボンに、焼きたての菓子の香り。
部屋中に溢れ返る、祝福と幸福の気配。
ヒトの世界でいう、神々の伝説に纏わるちょっとした冬の年間行事……その日一日は彼女の祝いの日でもあった。

「……まま」
「わぁ!? 真夜……っ、後ろから急に声掛けたら、わたし、ビックリしちゃいますのう」
「アスターさん」

色と光が充満した飾り付けの下。フロルとその恋人、ウリエルの横で祝いのご馳走を並べる小柄な少女。
種族の特性柄、気配を消しながら背後に立った真夜に満面の笑みで振り向き、次いでこちらに視線が注がれる。
真夜とほぼ同じ長さに整えた、黒に近しい繁鼠の髪、夜色の丸い瞳。照れくさそうに緩む、甘い眼差し。
いつ見ても、どうしてか凝視してしまうひとだ――歩み寄りながら、そんな事を考えていた。

「レヴィ! おっそいですの、もう粗方、並べ終わっちゃいましたのぅ」
「すみません、裏手の水道が凍っていたものですから」

ぽん、と、不意に頭に軽い衝撃が降った。目だけで仰ぎ見る。
フロルのたおやかな手が乗せられている。真夜の頭も同様だった。
これが決して「子供扱い」ではない事を、僕のみならず真夜も知っている。
彼女・フロルは、魔獣神獣の種別を問わず、如何なる動物でさえも愛する広い器量を持っていた。

「最近、冷え込み凄いねー。明日も雪かな? ねぇ、藍夜」
「どうかな、ニゼル。寒波が来ているとは、ノクトからも聞いているがね」
「う〜ん、寒いの、わたし苦手ですのぅ」
「えー? アスターは季節どうのーじゃなくて、朝はいっつも苦手! なんでしょ? アンが言ってたよ」
「ち、違いますの! その、ちょ、ちょっとお布団が恋しくなるだけですの……」
「アスターさん、ここは素直な認めた方が賢明だと思います」
「!? れ、レヴィの裏切り者〜ですのぅ!!」

顔を真っ赤にして怒るアスターを見る。
無表情の真夜を見る。二人――ひいては、アスター専用のクリスマスプレゼントは、別個に用意してあった。
恐らくこの辺りはこちらに限った話ではなく、フロルからウリエルへ、またその逆も然りだろう。
……幸せな事だと思う。
全世界から恐れられ、化け物として畏怖される因果の身として、真夜への申し訳なさも多少は感じていた。
しかし、フロルとその一行、或いはアスター自身がそれを「何でもない事だ」として笑い飛ばす。
数多の物事を難しく考えてしまうのは、亡き実父に似たのだと古い友人に聞いている。
そうかもしれない。考えて、深読みして、しかしそれが屋敷と住民らを護る理由になるのなら。それはそれで問題ない。

「――アスターさん、」
「何ですの?」
「いえ……『誕生日』、おめでとう御座います」

傍らでフロルとウリエルが微笑む。奥からは、隠し切れていない、フロルの対天使のはしゃぐ気配もあった。
リビングの入り口近く、咳払いをするのはアスターの実父のうち一人と、僕自身の養父と養母。
今年も遠くから心地よい喇叭の音が響いている。ウリエルの友人からの祝いの曲だ。
樹木飾りの下には、多くのカラフルなギフトボックスが届けられている。
遠方に暮らす、アスターの肉親達からの品に違いなかった。

「有難うですの。これからも宜しくお願いしますの、レヴィ。真夜」
「はい。こちらこそ」
「……ん。まま……おめでとう……なの」
「わ……真夜、花束用意してくれましたの? 有難うですのぅ」

これも決して悪くない。平穏と平和に甘んじるのも、世界最強の魔獣、その仔である世界の災厄の身でありながらも。
齎された穏やかさに触れる事は、決して悪とは限らない。
そのように、大らかに柔らかに、養父母とフロルは教えてくれたのだから。

「……、れ、レヴィは、何も用意してくれてませんの?」
「え? ああ……ふふ、どうでしょう」
「!!?」
「ねえ、藍夜? 最近レヴィ、サラカエルに似てきたよね? 真夜にだけは藍夜みたいな口調だし」
「そうかい? レヴィもアスターももう大人だからね。思うところがあるのだろうさ」

――幸せな事だと想う。
少なくとも、最愛の彼女と巡り会う切っ掛けとなったこの日に限っては。
世界中、ありとあらゆるものが祝福に満たされていればいい。祈るように、夜色の空を窓から仰いだ。




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 UP:15/04/30-14/12/24