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ある魔女の独白(楽園のおはなし0章SS)


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(伝説の島のおはなし)


生まれは恵まれていた方だと思う。裕福な国の王が兄弟にあり、また、父母は絶大な力を持つ神だった。
「知の書」に記される数多の歴史や生命の概要に心躍らされた私は、成人するのを待たずに天より地上へ下りた。
天上界での暮らしに不満があったわけではない。ただ私は、純粋にヒトの世界を知りたかったのだ。
地母神の力が惜しみなく注がれる大地を踏み締め、雨風にめげず道を行けば、そこには様々な出会いがあった。
賢者の弟子、夜の魔女、海を愛する女神や森の乙女……皆一様に個々の生を生き、己が信ずる道を突き進む。
それは私に羨望を植え付けた。いつか、そのように夢中になれるものを見つけられるだろうか。
未知なる出会いと転機を夢見て、辿り着いた砂と海に囲まれた孤島に居を構えた。

島での暮らしは悪くなかった。
暖かい風が海岸一面に迷迭香を咲かせ、色とりどりの鳥が空を行き交う様をぼんやりと見送る日々。
北方に位置する島故に海面温度は低く、南風とはよく衝突していたが、逆にその矛盾が豊かな恵みを育んでいた。
私は海沿いの洞窟内に独りで住まい、島に流れ着いた漁師や詩人に旅の最中に学んだ術や知恵などを授けた。
何時しか私は「海の賢女」と呼ばれるようになり、教えを乞う者は後を絶たず、収入は安定していった。
生活に余裕が出来れば気持ちも軽くなる。洞窟から離れ、島を探索する機会も増えた。
島に暮らす者はそう多くない。それもその筈、島の面積は半分が深い森、もう半分を砂漠で占めていた。
昼、猛烈な雨が森の木々を打ち、夜には獣の咆哮や濃霧、寒気が島一帯に立ちこめる。
砂漠の方はというと想像に容易く、森よりもその環境は過酷なものだった。砂嵐が多く、オアシスも数少ない。
島に住むのは殆んどが物好きか人間嫌いといった変わり者ばかりで、多くは神や天使などを信仰していた。
彼等の口からはあらゆる神話を聞く事が出来たが、時に捏造や誇張したものも混じっていて、父母の話などには
思わず噴き出しそうになるのを堪えるのが大変だった。真実とは得てして当事者のみ真相を知るものだ。

島にはこの島の守り神ともいえる、巨大な四匹の魔獣が暮らしていた。
彼等の歴史は古く、私はおろか父母、祖父母でさえ、彼等の姿がいつから島にあるのか把握しきれぬほどだった。
銀瑠璃の鱗で天の川のように長い身を覆い、極寒の波間をたゆたう、ドラゴンに酷似する雌雄一対の海蛇。
美しい象牙と牙、分厚い表皮を持ち、日がな一日穏やかに過ごす、優しい目をした象、或いは犀に似た獣。
烏羽色の翼はあまりに大きく、彼が空を飛翔すると島一帯を闇が覆うほど巨躯である、苛烈な気質の怪鳥。
彼等は海、陸、空それぞれを己が支配域としていたが、不思議と争うような事はなかった。
生態こそ違えど、彼等は互いを理解し慈しみ、また時に支え合い、確かな友愛と信頼とを根付かせていた。
巨大な身体に、絶大なる魔力と知識。島の者はヒト、魔獣を問わず彼等を敬愛し、彼等の庇護を受け入れていた。
なんと美しい島だろう。賢女として長く暮らしているうちに、私は自分が天上の生まれである事も忘れていった。
ヒトも魔獣も、そして件の四匹も、私の居住と講義に寛容でいてくれた。居心地があまりに良過ぎた。
「楽園」……それ以外に、この島をなんと例えるべきだろう。

やがて私にも、守り神以外に親友と呼べる存在が出来た。
海辺で気侭に過ごし、夜光虫を愛で、ニンフらと歌を歌い生きる娘・スキュラ。
彼女とは始め、恋敵として出会った。ある海神がスキュラに恋をし、彼女を口説き始めた。
しかし、彼女は男を拒絶しこっぴどく振る。なんとか彼女を射止められないものかと、男は私の元を訪ねた。
彼は純粋に、私に相談をしたかったのだろう。けれど私は、彼の想いと裏腹に彼に惹かれた。
そもそもスキュラは彼に見向きもしなかった。故に彼は私を頼ったのだろうに、私は身勝手に嫉妬に苛まれた。
「彼の心が自分にあるから私を見下している」……そんな事は悪魔の証明に過ぎなかったのに。
結果、私は彼女に呪いを掛けてしまった。美しい容姿に複数の魔獣を纏わり付かせ、醜い化け物に仕上げたのだ。
私の嫉妬に歪んだ顔に恐れをなし、彼は島を出て行った。真実、私は独りになった。
スキュラは最初、半狂乱で私を罵った。
おぞましい姿のまま荒々しい声を上げる彼女を見て、私はようやく自分が大変な過ちを犯した事を知った。
優しい笑顔に澄んだ歌声、しなやかな身のこなし。失って初めて、私は彼女の存在の大きさに気が付いたのだ。
天上界で得た知識と魔力……それらを駆使して私がスキュラに放った呪いは、酷く強力だった。
何日、何ヶ月、何年何十年何百年と解呪の術を探したが、どれも失敗に終わり、彼女の姿は元には戻らなかった。
島の者が幾度も私とスキュラの元を行き来し、最終的に彼女が「私を赦す」と言っても、私は諦められずにいた。
あの姿を取り戻したい。美しかった彼女に、元通りの笑顔と自由、女として生きる喜びを!
その一心で、文字通り取り憑かれたように魔術を漁る私を前に、島の者はひとり、またひとりと離れていった。
海辺の端、ちょっとした入江の奥、暗い洞窟。そこを訪れるのは、もはやスキュラと何匹かの夜光虫のみ。
気が付けば傍らに置かれていた飲み水や焼いた魚は、今思えばスキュラからの差し入れだろう。
それにも手を着けず作業に没頭しているうち、遂に私は洞窟内で倒れてしまった。
空腹と眠気、倦怠感は抗いようがないほど強く、満ち潮が近付いても息をするのでやっとだった。
倒れた直後、たまたまスキュラとその仲間は洞窟に来ておらず、私の命が尽きるのも時間の問題かと思われた。
唇に海水が触れてくる。もう駄目か……身を委ねるように目を閉じた――そのときだった。

『若くして命を絶やそうなど、ヒトの考える事は理解出来ん』
『ああ、よく御覧なさい。これはヒトに非ず、端神の一柱ではないかと思われる』

鼓膜に届いたのは、嘆息混じりの呆れた声色と、鼻で笑うような低い囁き。彼の雌雄による対話だった。
逃げようにも身動き取れず。呆気に取られる私を無視して、彼等夫婦は私を満潮に沈む洞窟から連れ出した。
頭に乗せられ、ウマなどのそれより遙かに硬質な鬣に触れる。
海上、青空に白い雲、頬を叩く南風、高くなる視界。新鮮な空気に微かに咽せた。
目を開けば、広大な世界の在りようがそこにはあった。視界の端には、洞窟に向かうスキュラの姿も見える。

『確か貴様は、海の賢女……キルケーといったな。世にも珍しく自殺が趣味か』
『お前様、趣味というものを履き違えじゃ御座いませんか』
『そうか? いや、しかし我が妻よ。俺の頭がどうにも海水以外の塩分に塗れて、今は適わん』

その後、私は彼等に、如何に島の者等とスキュラ自身が私の身を案じているのかと、何時間も延々と諭された。
私はただただ、浜辺で泣くしかなかった。
彼女はとっくの昔に私を許していたのに、私は自分のエゴだけで、その大切な声にさえ耳を貸さなかった。
死に損なった私を救った雌雄一対の巨大な海蛇、リヴァイアタン夫妻は、礼を言う私に向かいからからと笑った。
曰く、暇潰しと気紛れでやった事だから気に病むなと。
彼等の眼前、促されるままスキュラと和解した私は、これ以降、酒や食料、治癒の魔術など惜しげもなく使った。
彼等はやはり気にするなと言ってくれたが、私が必死になっている様には、満更でもない風でいた。
リヴァイアタンを始め、こうして私は、島の守り神らと交流を持つようになる。
巫女というほど大したものではなかったが、彼等と過ごす時間は何物にも代え難い、幸福感に満ちたものだった。
あらゆる生命が彼等を主君とし、平穏に過ごす島。私は一生掛けて彼等を護ろうと決めたのだ――



(遠い 何時か 必然の別離が 与えられていたとしても)



……

「――ああ。お会い出来て光栄に御座います。ご健勝のようで、貴方様の御父君もさぞお喜びでしょう」
「……僕に『父』は居ません。呪いを解く薬を寄越して下さい」
「そう仰らず、どうか今暫くお話をさせて下さい。次代のリヴァイアタン様」
「……僕は『リヴァイアタン』ではなく『レヴィ』です。寄越す気がないなら、貴女が誰であれ今ここで殺します」

(例え 如何なる卑劣な術を用いても)
(貴方様方が 命懸けで遺した御子息)
(この手で必ず 在るべき地へと……)



■エノク書 第六百六十六頁

神名:キルケー

絶海の孤島「アイアイエー島」に居を構える魔女。太陽神の娘であり、歴とした神の一柱。
島に訪れる者を囲い、飽きたら家畜や愛玩動物に変え侍らせるなど、その所業は近隣諸島でも悪名高い。
美しい黒髪に気の強そうな面立ちから、彼女に興味本位で近寄る者の姿もあったが、尽く弄ばれる結果となった。
海神グラウコスに関し、嫉妬心からニュムペー・スキュラを怪物に変貌させた話はあまりに有名。
月と愛の力を司り、薬草を用いた結界で魔物を退けたり、穢れを祓う儀式を行うなど、その才は多岐に渡る。




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 UP:14/03/13