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ある日の夕餉の風景(楽園のおはなし1章SS)


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(叶わぬ想い)


母が台所に立つ度に、弟はその後を着いて回る。
幼少時に後追い期なるものがあるとは聞いていたが、暁橙の場合、とっくにそんな時期は過ぎている筈だった。
ただただ純粋な眼差しで母を見上げ、ひたすらに後ろに着いて回る。
火を扱う際や、母に促された時は素直に応接間ないし自室に引き返してくるので、悪気はないように思えた。
戻ってきた後は、自分に本を読むようにせがんだりと、いつもと同じような振る舞いをする。
昔からそうだった。だからこそ、疑問で仕方がなかった。

「あきと。どうして母さんにくっついてくの、危ないし怒られるだろ?」

僕がそう尋ねても、弟はへらっと楽しげに笑うばかりで、まともな答えは返された試しがない。
母も早くに諦めてしまったようで、暁橙が五歳になる頃には必要最低限に窘める程度になっていた。
父に話してみた事もあったが、咲耶が見ながらだから心配するな、と軽く流されて終わった。
いくら火を使っていない時限定と言えど、暁橙はまだ小さいのだから、危険な所には寄らない方がいいと思う。
……一度、肩を掴んで無理に引っ張った事があった。
弟は、母に促された時と同じようにすんなり自分に従った。嫌がるわけでもなく素直に着いてくる。
絵本を読んであげるよ、そう言うと軽やかに笑った。あの子の笑顔は、我が家の強みだ。心からそう思う。




「……兄ィ、今日の晩ご飯って何?」

父母が亡くなって……どれくらい経ったろうか。数えると逆に落ち込むから、最近は考えないようにしていた。
時刻は夕暮れ。台所に僕が立つ度に、弟は母にそうしたように僕の後ろをうろついてばかりいる。
仕事と称して遺跡に潜っている間、当然彼は不在だ。その時ばかりは、静かに料理が出来る事に安堵している。

「カレーだよ。昨日、君がそう頼んできただろう」
「うわ、覚えててくれたんだ? やった、マジで!? 嬉しい! ありがとー、兄ィ!!」
「止したまえよ。そう連呼されると有り難みが減るじゃないか」

本音を言えば、こうして周りをちょろちょろされるのも、案外苦ではない。
むしろ弟が今日も健康であるのを噛み締める事が出来て、嬉しくもあった。決して、口には出さないが。

「いやー、それにしてもさ、兄ィほんとに料理上手くなったよね。今もレシピがないと散々だけど」
「君ね、馬鹿にするのか侮辱するのか、どちらかにしたまえよ」
「違うよー。だってさ、兄ィのカレーすっごく旨いから。あ、そだ。どうせならニジーさんも呼ぼうよ、兄ィ」
「落ち着きたまえよ、少しばかりはしゃぎ過ぎじゃないのかい」
「だって! そりゃ、今日は頑張ったもん。兄ィも褒めてくれたしー、嬉しいに決まってるよ」

はしゃぎたくなるのも無理はない。今日は、弟にしては良質なロードをたくさん掘り当てた日だったから。
瞳術で安否については見守っていたが、収穫の内容までは見ていなかった為、彼の荷を解いて驚いた。
大袈裟にならない程度に褒めたところ、抱きつかれ、一緒に飛び跳ねさせられ、それはもうお祭り騒ぎだった。
釣られて声を出して笑ったが、そんな経験、いつぶりの事だろう。

「嬉しいなー。母さんのカレー、好きだったから。……ありがと、兄ィ」
「なんだい、改まって」
「いやー、そりゃ、たまにはこうやって、考えてる事吐き出さないと! ストレスでハゲちゃうよ」
「ハゲ……ハゲしく大袈裟なものだね」
「うへへ、兄ィだってはしゃいでるし! いいの! 兄ィとオイラが元気なら、それで!」

何の気もなしに、暁橙の背中がぶつかってくる。背中合わせ、これもまた久しぶりの感覚だった。
ちらりと目だけで振り向けば、弟は目を閉じて優しい音色の鼻歌を歌っている。
何の歌だい、そう尋ねると、母さんがよく歌ってた輪の国の子守歌、照れくさそうな回答があった。

「暁橙」
「なに? 兄ィ」
「覚えているかい。昔、こうやって料理している母さんに着いて回ったろう。あれは何の意図があったんだい」

兼ねてから気になっていた事を、ふと問うてみる。
弟は、ぱちくりと目を瞬かせた。下らない事を聞いてしまった、忘れてくれと言おうとしたが、

「んー。なんて言うのかな、音、を聞いてた」
「音?」

意外にも、弟からはきちんとした答えが返される。背中に一層寄りかかりながら、暁橙は小さく笑った。

「母さんが包丁で野菜切ったり、鍋でお肉煮込んだり……そういう時、音楽を聴いてるような気分になるんだ。
 音の一つ一つが噛み合って、音色みたいに聞こえるの。そういう母さんの演奏会が、楽しかったんだよね」
「演奏会……君は、昔から歌が上手かったからね」
「そこまでじゃないけど。でもね、今もそうだよ。兄ィの心臓の音や、オイラの呼吸や、鍋で具が煮える音。
 全部、音楽に聞こえるよ。そこにいてくれてるってだけで、その人の息吹がオイラには音楽に変わるんだ」

彼の言葉の一部には、自分には理解し難いものが含まれる事がある。弟は、生まれながら音楽の才があった。
ロードを取り扱うという特殊な商売柄、それを伸ばしてやれなかった事を今は申し訳なく思う。
弟が伸びやかに、朗らかに、穏やかに歌を口ずさみ、或いは鼻歌を奏でる時、僕は心底安らぐ事が出来た。

「へへ……あ、ねえ、兄ィ。オイラ、出来ればハンバーグも一緒に乗っけて欲しかったなあ」
「おや、大豆でよければいくらでも作ってあげよう」
「ええ? また豆腐ハンバーグ? うう、変なとこでケチなんだよなあ……」

それが、今もこれからも、ずっと続いていけばいい。
彼が幸せに過ごしてくれるなら、兄として、ただ唯一の家族として、してやりたい事がたくさんあるのだ。




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 UP:18/06/29