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楽園のおはなし (1-1)

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It begins to turn around a tale, The locus of paraiso...(然るに、書は開かれた)


日が昇ると同時に弟に寝所から引っ張り出され、寝惚け眼のまま外へ出る。燦々と差し込む眩しさが日常を連れてくる。
清涼な空気を肺の奥まで吸い込むと、ぼんやりと靄掛かっていた頭がゆっくり目覚めていくのが分かった。
弟のように伸びはしないが、この瞬間は毎日とても心地がいい。手招きする弟を他所に、彼は小さく欠伸を噛み殺した。
すぐ近くから羊達の鳴き声と、朝の訪れを告げる雄鶏の一鳴きが響く。恒例とはいえ早朝からご苦労な事だ、とは流石に言わない。
我が家の隣に居を構えるアルジル羊牧場の本家本元、アルジル家は、歩いて三分も掛からない近距離にあった。
二階建ての家屋はしっかりした煉瓦造りでありながら、壁屋根共に柔らかな色で塗装されており、草地の緑に良く映える。
丸い屋根はまるで小人の帽子のように家に覆い被さり、赤みの強い茶色が愛らしいと観光の女性陣や子供に特に人気があった。
広い放牧場を囲む柵は全て手製で、彼・鳥羽藍夜(トバアイヤ)や弟の暁橙(アキト)、アルジル家長子の落書きなどが未だ残されたままだ。
家や動物小屋は幾度か立て替えがなされていたものの、柵ばかりは家畜が増えても新しく増設するばかりで、古いものは当時から保たれている。
思い出は何物にも換え難し、大切にしなさい……というのが、アルジル家家長サルタンの言い分だった。

「兄ィ。オイラ、ストケシアさんに今日手伝える事ないか聞いてくるね」
「ああ。頼んだよ」

オレンジ色の髪は名前の由来になるほど清々しい色合いで、それに合わせるべくして成長したのか、暁橙は素直で活発な青年だった。
少なくとも兄に比べれば性根は真っ直ぐだし、言われるより先に相手の事情を汲み、素早く行動を起こす事も出来る。
朝起きてすぐ藍夜を叩き起こし、その直後にはアルジル家の手伝いに駆けつけているのが彼の常だった。
アルジル家はホワイトセージ街の最高交易品であるアルジル羊を大量に飼育しているにも拘わらず、慣れない他人の手から羊が受けるストレスを
極力減らすべく、家族以外の者を雇用しようとしなかった。幼少の頃から彼らと付き合いのあった鳥羽家の者だけが手伝いを容認されている。
暁橙ほどではないが、藍夜もまたアルジル家の手伝いをする事は侭あった。

「さて。暁橙は手伝い、何もなかったらこのまま遺跡に行くとして……僕はどうしたものかな」

考える時間は極僅か。そもそも藍夜は寝起きが悪く、ひどい時には一時間ほどを経過してようやく機嫌が直る、というのもざらだった。
踵を返すのも躊躇なく、自宅兼店舗――雑貨、骨董、古の武具「ロード」販売から探偵稼業、何でも御座れの「オフィキリナス」――へ戻る。
アルジル家と異なり、オフィキリナスは多少の煉瓦、鉄骨などは用いているものの、その構造の殆んどは木製だ。
父母が建築を手がけた家は、廊下を歩けばみしみしと音が鳴り、冬には所々から隙間風が入り込む。
それでも時折自分達の出来る範囲で手入れをしたり、様子を見たりしながら、藍夜と暁橙はこの家で二人きりの生活を続けていた。
決して裕福ではないけれど、そこそこ実りを得て自由気侭に過ごす事の出来る暮らしを、二人はとても気に入っていた。
そこそこ名の知られる大きな街とはいえ、ホワイトセージは王都から離れた地にある田舎の街だ。
稼業を継いだ頃から街に住む一部の者からの風当たりは強くなったが、未だ兄弟揃ってその日暮でのんびりやっている。

「ん」

何者かの声を聞いた気がして、店舗兼事務所である客間の窓から、表へと視線を投げた。
視界にとにかく目立つ色が飛び込んでくる。天上に近い空を切り抜いてきたような、鮮やかな青色だ。
ふわふわの猫毛は質感も見た目も羊達のそれとよく似ていて、触れてみない限り違いを確かめる事は出来ない。
彼の髪は、ほんのり赤紫を噛んだ白い羊毛より遥かに軽い手触りで指通りがいい事を、藍夜は長い付き合いから知っていた。

「おはよう、藍夜!」
「おはよう。ニゼル」

顔を覗かせたのはアルジル家の長子ニゼル。髪色によく似た青色の花、ニゲラからその名は取られている。

「やれやれ、今日も早いものだね。とてもじゃないが僕には真似出来そうもないよ」
「羊も鶏も早起きだからねー。慣れちゃったよ。藍夜だって暁橙みたいに慣れていいんじゃない?」
「……朝は苦手なんだ」
「はは。うん、早起きしてる藍夜って何か想像出来ないかも」

苦い顔を浮かべた藍夜に対し、ニゼルの態度は悪びれた風もない。家が近く、かつ歳も近い事から二人は幼少の頃から仲が良かった。
他人に言われるものなら不機嫌になるか、或いは激昂するような内容の話でも、ニゼルが言うならまだ我慢出来る。それが藍夜の友愛だった。
互いの性格など知り尽くしている。視線を反らした先で藍夜が顔を歪めているのを、直に見るまでもなくニゼルは把握していた。
羊の世話はどうした、シロとクロが見てくれてるよ、矢継ぎ早に問う藍夜に、ニゼルはさらさらと淀みなく応えた。
昔からツーカー、阿吽の呼吸と呼べるほど二人は気が合う。たまに喧嘩もするが、互いを嫌い合ったりする事は今まで一度もなかった。

「まあ優秀な牧羊犬がいるのを自慢するのもいいが、羊泥棒なんかが出やしないかと気に掛けたりしないのかい」
「いやあ、こんな朝早くからっていうのは聞いた事ないけど。それに父さん達が日なた干しに出てるし、大丈夫じゃない?」
「意外と呑気なものだね」
「ある程度気を抜いてた方が、羊達に変な緊張与えないで済むんだよー」
「僕だったら商品は目の届くところに置いておきたいが」
「うーん。なんかさ、羊、特にアルジル羊ってデリケートだからさ。好きにさせてやりたいんだよ」
「特勝な心掛けだね」
「単に俺が楽したいだけ、っていうもあるけどね」

自分は神経質で、ニゼルは楽観的だ。まるで正反対の気質であるからこそ合うのかもしれない……内心、藍夜は呟いた。

「ところで今朝は随分のんびりみたいだが、何か用かい?」
「うん、暁橙は遺跡に行ったし俺は昨日のうちにノルマ済ませたからさ。開店まで暇だから遊びに来た」
「へえ。暇なのかい」
「そ。シロとクロが優秀過ぎて、放牧も全部終わっちゃったしねー」

アルジル家は羊を飼うだけでなく、編み物や絨毯、ハンカチといった羊毛の加工品を家屋の一部を店舗に改築した先で販売している。
加工品の作成そのものも家族だけで賄っているのだから感心感心、そう呟きかけた藍夜だが、ニゼルの言い分に思わず苦笑していた。

「謙遜するね。君は昔からずっとそうだ」
「? 何の話?」
「いや、なんでもないさ。お茶でも飲むかい」
「うーん。なんだか暁橙に悪い気もするけど。有難う、貰おっかな」

いつもと変わらない朝、いつも通りの親友と弟。玄関から入り直すよう友に促し、藍夜はサイドテーブルのポットに手を伸ばした。






ホワイトセージは王都パーピュアサンダルウッドより遥か南東に位置する、交易と酪農で栄える小さな街だ。
街全体が白い煉瓦や塗装した木材で建てられているのは、収益源である羊毛、牛乳などに対し、街を起した人々が感謝していたからに他ならない。
街のすぐ近くに古の時代から遺されたままの遺跡群がある事から、ホワイトセージは名の由来となった香草に倣い、信仰心の厚い街となった。
居住区の中央に位置する噴水の正面には小さな木造の聖堂があり、その真向かいには市長とその子が住む屋敷が建っている。
水も空気も美しく豊かな土地ではあるが、田舎は田舎だ。市長は交易品にマージンを上乗せする事が多く、牧場、商店の殆んどが恩恵に肖っている。
これに唯一対抗し、自ら商いをしているのが街の南東、丘の上という日当たりと風通しのいい一等地に居を構えるオフィキリナスとアルジル家だ。
街全体から儲けを出したい市長からすれば目の上のたんこぶそのものの双方だが、納税はかっちり成されているので文句も言えない。

「ましてや、今最も注目されている交易品とあればなおさらの話だね」
「藍夜。それ、何の記事?」

藍夜がブレンドしたハーブティーに口をつけながら、ニゼルは新聞を覗いた。王都から発行される新聞は下手をすれば二日遅れで届く場合もある。
街が独自に発行する新聞もあるにはあるが、記事一つ一つが記者の手書きによるものとあって値も張り、とても率先して買う気になれない。

「アルジル羊の需要が王都とその周辺でまた増えている、というやつさ。軽くて柔らかいのに頑丈で色染めもしやすいし、」
「長持ちするって評判だもんなー。洗っても縮み難いし全然糸が絡まないし。あ、これ自慢ね」

新聞から視線を外し、棚に丁寧に並べられた骨董品や「ロード」を、カップ片手に眺め歩くニゼル。
零すよ、とソーサーを差し出し、彼が受け取ったのを確認してから藍夜は再び開いていた記事へ視線を落とした。

「とはいえアルジル羊は今や君の家が独占しているも同然じゃないか。また忙しくなりそうだね」
「あはは。その時はまた暁橙借りるからね。……うーん、昔は都会でも育てる人、いたらしいんだけどね」
「へえ、王都の辺りでもかい? 意外なものだね。貴族の多い土地柄だ、家畜を愛でる習慣とは無縁じゃないか」
「昔はいたらしい、ね。領主派遣制度がなくなって、王制に変わってからは廃れちゃったみたいだよ。育つまで時間掛かるしね」

マメインクで印字された、最新、昨日付の一面。アルジル羊毛や織物が如何に貴重な品であり、流行の最先端をいくのかを、文は声高に謳っている。
見慣れたもの、慣れ親しんだもの――藍夜がシャツの胸ポケットに突っ込んでいるハンカチやニゼルのセーターなど――がさも至上最高級品であると
称される事は、嬉しくあると同時に、非常にむず痒く肩身の狭い思いがした。遠くの地で絶賛される品を何気なく普段使いしているからなおさらだ。
アルジル羊毛が如何に優れているか、それは藍夜も熟知しているつもりだ。雨に濡れても水を弾く様に、幼い頃えらく感動したものだった。
かといって脂の多い質かといえばそうでもなく、触り心地はふわりとしてとても心地よい。
胸元から出したハンカチを見つめてみる。
ニゼルが処女作として織ったという布は、藍夜の左瞳に似た黒味を帯びた藍色に、白い森の模様が刺繍されたノスタルジックなデザインだった。
出来栄えの都合上、店に並べるのは心苦しいと嘗て彼は苦笑していたが、都に持っていけばパン十個ほどと交換出来る値が付くだろう。
街に出たときは扱いに気を付けなければならないだろう。独りごちた後、ニゼルと殆んど同じタイミングで茶を啜る。
摘みたてのミントとメリッサ、セージの若々しい香りが口内を慌しく駆け下りていった。

「俺さ、本当なら『継ぐ気がないなら継がなくてもいい』って、父さんにも母さんにも言われてるんだ」
「なんだい、急に」
「なんとなくそういう気分だったから……うん、俺は継ぐ気満々だったんだけど」
「けど?」
「うーん。なんて言うのかなあ。藍夜がここにいて暁橙がいて、それが当たり前だと思ってたんだ。ずっとこのまま一緒に過ごしていくんだろうなあって。
 けど最近、それもどうなのかなあと思ってさ」

ニゼルは時折、回りくどい、もったいぶった言い回しをする青年だった。昔からの癖なので藍夜自身は慣れているが、暁橙が先を急かす事もあった。
彼は考え事をしながら思考を纏めるタイプなのだろうと藍夜は分析していた。実際、羊の世話をしながら物思いに耽る場面に出くわす機会も多い。

「なんだい、羊の世話に飽きたのかい。それとも新しい事業の展開予定でも?」
「そんなんじゃないよ、うちの羊最高に可愛いし、世話するの楽しいし! そうじゃなくてさ――」

からかい半分で口を挟めば、半ば本気で怒る。肩を竦めて先を促した。

「――俺も藍夜も、遠い未来、いつになるかは分からないけど、ここから居なくなっちゃうんじゃないかと思って」
「いなくなる? どうしてまたそう思うんだい」
「うーん、なんとなくだよ。なんとなくそう思っただけ。ずっと同じところに留まってるかなあって」
「ふむ」
「こう、出歩いてるっていうか……とにかく、ここにいなさそうな気がしてさ」

唐突な話だと思う。そもそもアルジル家の者は皆、自分が知る限り羊をはじめとした全ての動物を慈しみ、大切に扱う根っからの酪農家である筈だ。
ニゼルがこんな事を言い出すのは初めての事だった。小さい頃からずっと、心根の優しい、家族や身内を最優先する価値観の持ち主だった。
長く共にいたのだから知っている。それが何故?
誰かに何か言われたのか、将来に不安を抱くような出来事があったのか……問いかけたい衝動に駆られた。
とはいえニゼルの表情は未だ晴れない。自分でも思考を纏め切れていないのかもしれない。人知れず藍夜は頷いていた。

「それは例えば……そうだな、旅をしているって事じゃないのかな」
「え? 旅?」
「そうさ。僕の『将来の夢』、前に君には話しておいただろ」

話を無理やり反らそうとしている。その自覚が藍夜には大いにあった。実のところ、彼にはニゼル以外に親友と呼べる交友関係が殆んどない。
性格の問題もあるし、彼自身、人嫌いであった。そうなった切っ掛けは幼少の頃より多々あるものの、自身の気質を改善しようとした事は一度もない。
足を組む。右足を左足の上に回し、空けた両手は拳を作る形で太股の上に添えて置く。一方的に、傲慢に物を仕切る際の格好だ。
瞬きするニゼルに内心罪悪感が疼いた。彼が他人の心に鋭敏なところは――感じ取った後の反応は異なるものの――暁橙によく似ている。
こちらの考えなど筒抜けであるのかもしれない。そういえば昔、藍夜は考え事をしているのが顔に出やすい、と言われた事があるのを思い出した。

「……『温泉旅行に行く』、だったよね?」
「そうさ。街から出なきゃ行けないだろ?」

懇々と温泉の魅力について語った。ホワイトセージは大陸中、特に穏やかな気候に恵まれた土地だがその反面地下資源にあまり縁がない。
王都の遥か先、対立国であるイシュタル帝国に向かえば豊富な希土類や鉱石資源、温泉街などにありつけるが、その道のりは遠く険しい。
王都と帝国間にある緊張状態は、建国時代、双子の王の意見の食い違いから始まった兄弟喧嘩が発端だと歴史書で目にした覚えがある。

広大な大陸の領土をどう治めていくか。南側の火山活動の激しい土地、北側の穏やかな気候の土地、利用手段は多岐に渡る。
それを巡り、双子は三月十日の間延々と口論を続けた。兄は食糧確保を優先と唱え、弟は酪農で収入を得ようと試みた。
民もまた、彼らの争いに困惑しながらも自分達のより好ましい方へと移り住んだ。人々は自然と、離れて居を構えたというのだ……。

それが事実であるのかどうか、確認する術は誰もない。とはいえ、かれこれ千年もの間よく飽きる事なく睨み合えているものだと感心してしまう。
戦禍がホワイトセージまで届かなかった事が、実感の湧かない原因であるのに違いない。
今でこそ互いの領土内で平穏に日々を過ごせているものの、大昔は王都付近の村にぺんぺん草も生えなかった時代があったという。
その真実を、その当時を生きたわけでもない藍夜は当然知らない。
出来る事なら停戦という半端な策ではなく、早いところ戦争終結として欲しいものだ……喉奥に掲げるのは理想論でしかない。
生き字引に遭遇した事もない。オフィキリナスとアルジル家、狭い世界しか知らない藍夜に、ニゼルの言葉は理解出来る筈もなかった。
自分とその周辺という極々小さな世界しか知らずにいる事。ニゼルはそこに絶対の安堵と、いつか失うかもしれないという不安を共存させる。
口を閉ざした藍夜の向かい、ニゼルは暫し沈黙していた。顎に指を当て、微かに表情を曇らせ、眼前の両目を閉ざしたままの藍夜を見ている。
それも刹那の事だった。

「そう、そうか。そうだよね。藍夜って、ほんと温泉好きだったもんね」
「この街には僕が理想としている広々とした温泉がないからね」

まだ訪れてもいない未来の事までを危惧し、日々を憂うのはもったいない。藍夜はここまで堂々と振舞っているのだから。

「そっかあ……うん、なんだろうなあ。俺、何で急にこんな事思ったんだろう?」
「疲れているんじゃないのかい。それか、『跡継ぎの為に嫁を貰え』と街の連中が五月蝿いとか」
「あー、うん。そういうのは母さん達が追い払ってるから楽、かな。そうなのかなあ、もしかしたら俺、悩んでたのかな」
「君は人が良過ぎるからね。興味がない話なら、跳ね除けてしまえばいいものを」
「ふふ、そうもいかないでしょう」

他人事のように笑いながら言い放つ友に、藍夜は失笑を漏らした。つられるようにして微笑み返したニゼルに、二杯目の茶を注いでやる。
受け取ると同時にカップに口を付けるニゼル。空色の髪が微かにふわりと揺れた。
窓から風が吹き込んでいた。牧場の草原は今日も青々と棚引いている。季節は初夏、明るい日差しが一面の緑を眩く照らした。





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 UP:13/10/09