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モンスターハンター カシワの書 上位編(4) BACK / TOP / NEXT |
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「どわっ!! まっ、また鼻水が……!」 「旦那さん、それ鼻水じゃなくて大水袋のニャギャーッ!!」 クリノスが駆けつけたとき、すでに戦況はてんやわんやのお祭り騒ぎ(!)だった。 北へ東へと忙しく逃走したケチャワチャは、最終的に遺跡平原の北西、ツル植物が崖と地表とを覆うエリアに籠城を決め込んでいた。 逃げ込むにも追い詰めるにも「もってこい」の、奥まった肉食獣たちの狩り場である。 入ってすぐ、東か南に位置する出入り口はすぐ真下が崖になっていて、地表と空中のちょうど中間に浮かぶようにツル植物製の天然床が張り巡らされている。 高低差が大きい――眼下に目をやると、長い尻尾を器用にツルに巻きつけ、上下逆さまにぶら下がった格好で奇猿孤が鼻息を荒くしているのが見えた。 顔だけは正面を向いていて、曲芸師さながらのしなやかな動きで獲物との距離を詰める。移動する傍ら、鼻から多量の水を噴射して後輩狩人を翻弄していた。 「……何してんの、あいつ」 ケチャワチャの水鉄砲は、体内器官の水袋に溜められた分だけが撃ち出される仕組みだ。鼻から放たれるため混同されやすいが、実態はただの水である。 勉強熱心なアルフォートは別として、カシワは見事に誤解しているらしい。被弾する度に鼻水が、ベチャベチャが、と大騒ぎしていた。 「旦那さん、これじゃラチがあかないニャー」 「ここに逃げ込んだってことは捕獲ラインなんだけどねー。分かってんのかな、あいつ」 否、恐らく分かっていまい。大きく嘆息した後、クリノスはリンクとともにひらりと崖下に飛び降りる。 水浸しの後輩狩人が振り向きざまにごぼあっと声を上げたのを見て、自然と笑みがこぼれた。わざとらしくにやりと笑いかけ得物を抜く。 「ほらほら。ジャギィたちに邪魔されないうちに、さくっと片付けるよ!」 「ムギギ……もう邪魔されてるぞ! いてててて」 「ニャニャーン。追い払うニャ! 一緒に来るニャ、アルフォート!」 「ニャ、ニャイィ!!」 ぱっと駆け出した黄色のアイルーが、真っ白な喇叭を吹き鳴らした。モンスターが苦手とする音波を奏でるオトモ道具、超音波笛だ。 やけに甲高い音が鳴り、周り――主にカシワの足や尻を噛んでいた狗竜たちがアオッ、と叫んで散り散りに去っていく。 逃げ遅れたか、あるいは様子見を決め込んだ残党はオトモメラルーがブーメランで一掃した。いい連携が取れている、と女狩人は素直に感心する。 その間、彼女は後輩狩人を誘導しながらツル植物製の天然絨毯の奥地に潜り込んだ。未だぶら下がったままのケチャワチャに怒りが解けた様子は見出せない。 ……鋭敏な聴覚を保護された状態では、超音波笛や音爆弾による撃墜は不可能だ。カシワに目配せして意識をこちらに向けさせる。 「あんたさ、シビレ罠か落とし穴持ってる?」 「いてて、尻が……ん? ああ、持ってるぞ」 「なら、仕掛ける用意ー。わたしが気を引くから、どっちでも好きな方!」 「んなっ!? ちょっ……わ、分かった、少し待ってろ!」 ウチケシの実をボリボリ噛みながら、後輩狩人は微かに湿った土をつま先で掘り返した。円盤状の仕掛けを埋め込んで、出来たぞ、とばかりに振り返る。 得意げな顔が見えているのか、ピクリとケチャワチャの顔面を覆う大耳が動き……クリノスは双方を見比べ、ぎゅっと顔を歪めた。 (バカシワァ……もーちょっと、見えないトコに設置しなよ) 金属製の回転盤がパリパリと小さな電気を起こす。毎度おなじみのシビレ罠だが、女狩人は苛立ちを逃がすように両の目を閉じて得物を納めた。 ケチャワチャは空中ブランコもかくや、といった勢いでツル植物を手放し、鉤つきの鋭爪を大きく振りかぶって立ち尽くすクリノスに一撃を見舞いに向かう。 慣れた要領で飛び退き、地面に鉤が穴を穿つのを視認した。難なくそれは引き抜かれ、横薙ぎに払われた追撃をも跳んで避ける。 カシワが走り出す様をクリノスは見た。捕獲用の手投げ玉をちょうど二つ分、すぐに投げようと構える後輩狩人だが、 「――んなっ!?」 「あー……やっぱり、ねー」 ケチャワチャは先輩狩人を「追わなかった」。 シビレ罠の存在に気づいたかのように一瞬固まり、グッと肩に力を込め勢いよく後方へ跳び、間合いを開けたのだ。 壊された大耳の隙間から、怒りで充血したタマムシ玉に似た色の眼が見える。朱塗りの瞳孔は爛々と燃えていて、無邪気な曲芸師の野性の本能を覗わせた。 うろたえる後輩狩人を置き去りに、女狩人は「やるな」とばかりににやりと口端をつり上げる。 「キレてる割にちゃんとよく『見てる』。さっすが、上位の個体だよねー」 「見て……どういうことだよ、クリノス!?」 「まあまあ。キレてることに変わりはないから、大丈夫……っ」 両腕が開かれ、畳まれていた皮膜が空気を捕らえ牙獣の体を易々と持ち上げる。そう来ればあとはチャンスも同然だ、クリノスはなお三歩分ほど飛び退いた。 追い縋り、逃げようとした獲物の頭蓋をかち割ろうと振り上げられた鋭爪が空を切る。その瞬間、バチン、と激しい光が迸った。 「カシワ!」 「お、おうっ!」 今! とばかりに叫ばれた声に応じるように、カシワがすかさずケチャワチャに麻酔玉を投げつける。 間髪入れずに麻酔薬の粉塵が舞い上がり、煙が晴れた頃にはすでに、奇猿孤は地面に背を預けるようにしてぐっすりと眠り始めていた。 ほっとしたのか、ずるずると後輩狩人がその場にしゃがみ込む。一瞥するに留めた先輩狩人は、寝入ったケチャワチャの全身を一通り見回して頷いた。 「部位破壊は、一応全部終わってるねー。報酬に期待かな」 「なあ、クリノス」 「うん? なに?」 「お前、さっきから『流石、上位の個体』とか言ってたよな? こいつが罠を避けたのと関係あるのか」 そこには気づかないと思っていた――片眉を上げたクリノスは、カシワが真剣な目でこちらを見上げているのを見て小さく息を吐く。 「まあね。避けるってことは、それが罠で、自分をとっ捕まえるモノだってなんとなく分かってるからだと思うよ」 「分かっ……!? 前に他のハンターにやられかけたから、とかか」 「どっちかっていうと本能的に、じゃないかな。それに下位クエストの個体でも、経験が豊富だったり上位直前の個体だったりするとそういうのしてくるし」 シビレ罠や落とし穴、それこそアシスト型アイルーが得意とする毒々落とし穴など、モンスターを拘束する術は広く知られてきた。 幼い頃から商材として目にしてきたクリノスからすれば人々の知恵や努力の結晶だと思えたし、有用であるなら試したいと思う狩人側の気持ちもよく分かる。 しかし、人間が作り出した道具が狩りに導入されるようになった頃、それらに抵抗や破壊行為を働くモンスターの姿も見られるようになっていた。 「モンスター側にも頭のいい奴、直感が冴えてる奴、色々いるってこと。有名なのはナルガクルガとかイャンガルルガ、あとはラージャ……」 「なんだって!? ナルガにガルルガも……って、あいつら俺たちが前に狩ったことあったよな?」 「うん、罠の種類にもよるけどね。爪先で探ったり、わざと引っかかりかけたりして、誤作動起こさせて無効化しちゃうんだよ」 「んなっ……そ、それじゃ、罠は設置しただけ無駄になる、ってことじゃないのか!?」 「だから、さっきみたいに誘導するのー。言い方は悪いけど、生け捕りすると調査や解体するときに手っ取り早いらしいから」 「捕獲した方が報酬が弾む、って話か。けど……」 「あんた、またモンスターに同情してない? 生きるのに知恵を絞るのはお互い様でしょ」 うぐ、と黙り込んだ後輩狩人に白い目を向けて、先輩狩人はケチャワチャが掛かったシビレ罠の回転盤を見下ろした。 便利な狩猟道具ではあるが、あくまで罠類は道具でしかない。拘束可能な時間には限りがあり、また一度作動時間が切れたものは再利用が利かなくなる。 ……ときに、「それ」を見抜く力を持つものとして最も有名であるのが古龍種だ。 解明が盛んでない彼らが人間をも凌駕する知恵を持っているのではないか、とまことしやかに囁かれる理由の一つが「罠」の無効化である。 人間より優れた知恵の保持――もしそれが真実だとしたら、彼らが他のモンスターにその知識を分け与えていないとも限らない。 爆睡に移行したケチャワチャの寝顔は先と打って変わって穏やかだった。もし彼に古龍種とのコネがあるのなら、青天の最中に幻獣が現れるような大事件だ。 「罠を避けるモンスターは結構いるっていうし、アシストオトモも罠張りのタイミングで悩む時代だよ? 迷ってる暇なんかないよ」 「そうか……それもそうだよな。よく分かんないけど、罠の扱いって大変なんだな」 「いやいやいや、あんただって使うでしょ! その……モンスターの動きをよく見ろ、っていうのはそういうことー」 「避けられるかもしれないから先読みしろ、ってことか」 「そんな感じ! それに報酬のことだけじゃないよ、捕獲だとこっちも向こうも無駄に身を削らないで済むんだし。消耗は抑えた方がお互いのためでしょ」 ケチャワチャを哀れむ気配を感じて釘を刺せば、予想に反して真っ当かつ素直な反応が返された。 うっかり拍子抜けしてしまったクリノスだが、カシワ自身は額に拳を押し当て、何やら真剣な顔で考えごとをしている。 放っておいた方がいいかな、そう判断した先輩狩人は迎えに走ってきたネコタクに向かって手を上げた。 ちらと振り向いてみたとき、ケチャワチャの周りにはぽつぽつとギルドの調査員による影ができ始めているのが見えた。 ……カシワほど大仰ではないが、「彼」のこれからの行く先とその安否とを胸中で願って背を向ける。どこかから、跳狗竜のけたたましい鳴き声が聞こえた。 ――時間は、少々遡る。 その日は、早朝から霧が出ていた。ここ数日の間村中が祝賀ムード一色だったとしても、朝は皆に平等に訪れる。 「超大型古龍の撃退」。二、三週間前に成された偉業……件のクエストに関わったというハンターたちには、基本として休む暇というものがなかった。 その活躍ぶりと普段の振る舞いが、瞬く間にベルナ村やそれ以外の拠点にまで広がったためだ。 しかし、新たな依頼、こと上位ランクが解禁されはしたものの、龍歴院をはじめギルドや村長の計らいで彼らは束の間の休息を得ることができたという。 図らずも、自分もまたその休暇に同行することが許された。同行した理由が名産品の売り込みであったので、実際に彼らと過ごせた時間は多くはなかったが。 「カシワさんたち、元気にやっているかしら」 前日のうちに桶の中に仕込んだ染めものや糸類の染まり具合を目で確認して、この村の一酪農家ノアはふと短く息を吐く。 英雄たち――本人たちはその呼び方を固辞するばかりだったが――の休暇とは、普段手つかずの素材や書類の整理であったり武具類の手入れであったりした。 休暇とは一体なんなのだろう。辛うじて休養先で温泉や季節ごとに開かれる祭りに出たりもしたが、彼らに思いきり羽を伸ばす様子はあまり見られなかった。 「んん……カシワさんも、根が真面目だから仕方ないんだろうけど。休めるときに休んでおかないと、ユカさんみたく仕事病になっちゃうのに」 恋する乙女などとは言わないが、仕事の合間合間に彼のハンターの黒髪に黒瞳、最近逞しくなってきた背中を思い出すばかりで、まるで仕事に身が入らない。 自覚があるだけ、下手をすれば他の酪農仲間やベルナ村村長にまで全てを見抜かれてしまうような気がしていた。頭を振り、桶の蓋を閉め直す。 「……よしっ。やめやめ。仕事しないと」 早朝。この時間帯は近年、新素材、特に染料の元として注目され始めた村の名物、星見の花が一層色味を増す不思議な時間帯だ。 名花が最も輝くように咲き誇るのは深夜だが、素材の価値が際立つのは暁、明け方より少しばかり前の頃。 名前の通り星空を見上げるようにして花開くこの花は、星を模すような五枚の花弁と高原の風にそよぐ小ぶりな造形が見るものを多く魅了した。 ノアも魅了された一人だ。亡き母が愛した花として、その日最後に摘んだ一輪を自宅の玄関先に挿させてもらえるよう手配している。 「ええと……加工屋さんに頼まれた分と、明日の納品分だったかな、っと」 ノアはムーファ飼いだ。したがって自前の花畑は所有していないし、星見の花の摘み取り作業は本業ではない。 これはオストガロア撃退の報せとほぼ同時期に家に戻ってきた実父が、加工屋と近隣の染物屋に「いい顔をした」ばかりに増えてしまった余計な仕事だった。 平たくいえば安請け合いしてしまった別件であるため、父には代わりに日常業務であるムーファの世話を任命している。 (だから、今日は朝の摘み取りと昼までに糸繰りを済ませればまるまるお休み……っと! 何しようかなあ) 生き物相手の仕事で手は抜けない。しかし今回ばかりは父の自業自得だ。久しぶりのまともな休みだと思うと、ついふにゃりと頬が緩んでしまう。 とはいえ、最低限の手伝いはするつもりでいた。さすがに普段やらない家畜相手の仕事を押しつけるわけにもいかない。 帰ってきて以降、父は一度も狩りの仕事に出る様子もなく日がな一日自宅でだらだらするばかりだった。たまにはいい刺激になるだろう。 「うん、今朝もいい香り。発色もいいみたいだし」 ……ノアは、彼女がユクモ村に「家出」している間、実父マルクスがヒイコラ言いながらムーファの世話を完遂したことを知らずにいた。 「一人娘を放置するな」と村の人々が叱りつつも雲羊鹿の扱いを丁寧に彼に指導した結果なのだが、その背景と努力は彼女には明かされなかったのである。 「あら、ノアちゃん。おはよう、ずいぶん早いのね!」 「おはよう御座います、キャシーおばさま! お庭、お邪魔してますね」 「ふふ、庭に誰かいるーって夫が騒ぐからびっくりしちゃった。マルクスさんはお寝坊? まだ夜明け前だものね」 「あはは……お父さん、早起き苦手なんです。ハンターさんの仕事って夜勤や徹夜続きのケースもあるそうなので、無理もないといいますか」 「まあね。ただ、ムーファのお世話って朝早いでしょう。ノアちゃんの手伝いをするならそこだけは耐えてもらわなくちゃね」 背後から声掛けてきたのは、花畑の主だった。ぱっと振り向きざま明るく――まだ外は暗いので、できるだけ小さな声であいさつを交わす。 星見の花は非常に生育が難しい植物で、流通数量に限りがあった。天然物となると貴族の間でもドレスや敷物の染料として愛用されており、異様に値も張る。 更に自然界に自生する花は高原や寒冷地といった人の入らない場所にごく少数ばかりが咲き、その開花期間も短い。それ故に採りに行くことさえ困難だった。 自生地を把握ないし保有する農家や商人もいるにはいるが、彼らは天然物が枯渇せずに済むよう信頼できる取引先にしかこれを分け与えない。 したがって、キャシー一家のように代々栽培方法を受け継ぐ農家たちが、急ぎで必要とする者に作物として育てた分を用意することが通例となっていた。 「今日は、染めまでやらなくていいからね。加工屋さんにも、なんかこう……専用の技術があるらしいから」 「竜人族さんの技術って凄いですよねえ。理屈を聞いても、わたしにはさっぱりで」 「それを言うなら私も夫もよ! ハンターさんの装備で使うんですって。はあ……きっと綺麗なんでしょうね。ハンターさんって、皆して背が高いから」 例外もあると思いますけど、と言いかけて実父の背丈を思い出す。わたしはそこまで伸びなかったのになあ、とノアは足下をそっと見下ろした。 「そうだ、背が高いといえば! あのオストガロア・ケーキのモトになったモンスターを相手にしたハンターさん、まだマイハウスにいるのですって」 「えっ? おかしいですね、ルームサービスちゃんの話だと今日明日にはお仕事を再開するみたいだって」 「そうなの? でも、さっき窓の向こうに確かに背の高い人の影が見えたし……ルームサービスの子じゃなかったと思うのよねえ」 カシワとクリノス、そして彼らのオトモは多忙の身だ。一度仕事が始まってしまえば、彼らと話をする機会はことごとく潰されていく。 相手が生き物であるならなおさらだ――普段から自分に言い聞かせている教訓を脳内で反芻させて、ノアは頭を振った。 「おばさま。それならわたし、これの出荷作業を済ませて様子を見に行ってみます。ないとは思いますけど……寝過ごしていたら、大変ですから」 「そう? そうね、それがいいかも。あたしも目が覚めちゃったし、作業は引き継ぐからノアちゃんにお願いするわ」 摘み終えかけていた花々を籠ごと奪われ、ノアはあっと声を上げかける。子どもが起きちゃう、と小声で言われ、黒瞳の娘は頷き返すことしかできない。 文字通り背を押されて畑から追い出される。早く行け、と手をひらひらさせる農家に一礼して、ノアはオトモ広場経由で農場を離れた。 「あのうー……カシワさん、クリノスさん? アルフォートくんー……?」 マイハウスと呼ばれる家屋は、ベルナ村の至るところに点在している。 龍歴院つきのハンターが狩猟生活に困らないよう、村長を筆頭に村民らが無料で空き家や別荘を新築、貸し出ししているのだ。 これはベルナ村に限った話ではなく、歴代の英雄と称されるようになったハンターを多く輩出した各拠点でもよくみられる制度だった。 世界各地で、ハンターという存在はモンスターという脅威と対峙できる存在として大切にされている。ノアもまた、同じ立場にある父を尊敬していたのだ。 「――なんだ。カシワたちなら狩りに備えてまだ寝ているぞ」 つまるところ、他の如何なるハンターとて自分は尊敬している「つもり」だった。 扉を押し開いた先で、ぼんやりとした暗がりの中に一人、背の高い男が佇んでいる。暗い中でも、普段から目につくその特徴的な色合いが見て取れた。 羽根帽子を被り、見たことのない鴇色の見事な弓を担いだ、今からここを発つといった体の見知ったギルドナイトである。 「……なんだ、ユカさんだったんですね」 「なんだとはなんだ」 「いえ……さっき、お知り合いの農家さんからもう起き出したハンターさんがいるみたいだ、って聞いたので」 正直に言えば面白くもなんともなかった。顔に出ていたのか、瑠璃色の視界の先で男があからさまに眉間に皺を刻んだのが見える。 ごく小さな、嘲るような、こけにするような意味合いの失笑が漏らされた。思わずムッとした表情を返すと、銀朱の騎士は悪びれもせず娘を鼻で笑い飛ばす。 「カシワではなく残念だったな。奴ならクリノスより寝起きが悪いぞ」 「……知ってます。何回か見ましたから」 途端、妙な沈黙が部屋に流れた。微かにユカが息を呑む気配を感じて、ノアは知らず怪訝な顔をする。 「というか、ユカさんはこんな早くにどこに行くんですか。たぶんですけど、朝食も摂ってないですよね?」 「お前に関係あることか。いや……ギルド本部か龍歴院に戻って仕事をするだけだ。ずいぶんと長い休暇になってしまったからな」 「それは……あなたが、全っ然お休みしないからだと思いますけど」 「クリノスの悪知恵でも移ったか。お前に案じてもらう必要はない」 誰もユカさんのことなんか心配してないんですけど! そう言いかけて、ノアは二の句をぐっと堪えた。 大声を出して、親しいハンターたちを起こしてしまうのは本意ではなかったからだ。もしかしたら騎士側もそれが分かっているのかもしれない。 (お前こそ仕事に戻らなくていいのか、ってことよね。これって) ……なんて分かりづらい気遣いだろう。ユクモ村で一緒に行動したときもそうだった、と娘はふと思い出した。 商品の在庫確認や宿の手配など、気がつけばさりげなくユカの手が及んでいたのだ。慣れない旅先での行商では、彼の不言実行が非常に心強かった。 他人のことばかりじゃなくて、これが欲しいとか認められたいとか、自分も口にしたらいいのに――口を真一文字に結んでいると、今度は溜め息が宙を打つ。 「そういうお前はどうなんだ。仕事は、それに食事は?」 「えっ?」 「え、ではないだろう。その格好だと、畑仕事か干し草の処理でもしていたんじゃないのか」 言われて初めて気がついた。自前の服を見下ろしてみると、朝露や葉の汁で前部分がかなり濡れてしまっている。 まさかと思うが、彼はこういった農作業に知識でもあるのだろうか。呆けていると、足早に寄ってこられてすぐさまエプロンを剥がされた。 「あっ、わたしのエプロン! 何するんですか!」 「そのままだと体を冷やすぞ。ここで待っていろ」 ガッと窓際の椅子を引き寄せたと思ったら、肩を掴まれ強引に座らされる。カシワとは異なる、骨張った男らしさを感じさせる手に逆らう術などなかった。 ムギギと納得のいかない顔のまま、言われた通りにその場で待機していると、しばらくして男は木製の食器を手に戻ってくる。 底の深い丸皿だった。このあたりではあまり見かけない、線の細い可憐な植物が琥珀の中で揺れている。 「わあ、綺麗な野菜……香草? ですね?」 「雪山草だ。惜しくはあるが氷結晶と氷河石を使った圧縮保存加工で特別に取り寄せてもらった」 「貴重なものじゃないですか! ユカさんがご自分のために用意したものなんじゃ」 「よくないに決まっているだろう。いいからさっさと済ませてしまえ」 答えが答えになっていない。むっ、と睨みを利かせてみるも、ユカに堪えた様子はなかった。 そっと口に運んでみる。途端、ほろ苦い山菜に似た苦みと、その直後にふくよかな緑の香り、肉と野菜の出汁の旨みが一気に口内に満たされた。 衝撃のあまり勢いよく顔を上げる。一方、調理担当者は調理場の前に別の椅子を運び、そこにエプロンをかけ乾かそうとしていた。 「……あの」 「どうだ。俺の……、故郷の味だ」 「す、すみません。なんだか意外だったので、驚きました」 「意外だと?」 「はい、こんな美味しいものを作れる人なんだなあって……ユカさんも召し上がったらいいじゃないですか。その感じだと、お好きな料理なんですよね?」 ピクリと、男の肩が僅かに跳ねたのをノアは見た。なにかまずいことでも言ったかしら、視線を手元に落として言葉を探す。 ……刹那、ふと、前々から彼に話しておきたかった話題が脳裏を過った。ぱっと顔を上げると、ユカは何か物言いたげな憂い顔でこちらを見ている。 「まだ何かあったか。俺はそろそろ、」 「そういえばわたし、ユカさんに話しておきたいことがあったんですけど」 「……なんだ、言ってみろ」 「オストガロア、でしたっけ。狩り場に向かうとき、異様に眠くなりませんでした?」 今も暖かく燃えるかまどの炎は、この空間の頼りない光源となっていた。ほの明るい曙色の向こうで、雄火竜によく似た色が凶悪に歪む様をノアは見る。 「あのとき、ユカさんの紅茶に睡眠成分を盛ったの、わたしなんです」 |
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