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最愛のひとは、お見通し(楽園のおはなし3章SS) TOP |
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「……でりゃあッ!!」 剃刀のような横蹴りが宙を切る。紙一重、あえてすれすれの間合いで避けた少年は下方から突き上げた掌でその細足を弾き飛ばした。 普段はレースだのリボンだのといった余計な布地で隠されているその脚は、今はシンプルなスラックスに覆われている。 余計に細さが目立つな、と双方の打ち合いを眺める男はいつもの癖で首を傾げた。 「……『アスターさんの身体』で大振りな動きをするのは、やめてもらえませんか。エノク」 神官を模した白服に身を包んだ少年が、足蹴を放った側にぽつりとクレームを投げて寄越す。 言われた側の少女――少年と同じ年頃の、だいぶん動きやすい服装をした――は捌かれた事に苛ついていたのか、目に見えて腹立たしげに舌打ちした。 「はあっ!? 普段からろくに鍛えもしないで、体を鈍らせている『これ』が悪いんじゃないか! 僕のせいにしないで欲しいね!」 連打、連撃。いつもののほほんとした邪気のない笑顔を見せる少女とは、似ても似つかぬ苛烈な意思表示。 神官服の方はいかにも「やりにくい」、「やりたくない」とばかりに回避と防御に徹するばかりだ。普段の訓練の時とはだいぶん顔つきが違う。 ……それだけ、少女の「本体」に特別な感情を寄せているという事なのだろう。そこまで、と短く制止の声をかければ双方ピタリと瞬時に動きを停止させる。 「総評だよ。レヴィ、君は胴体から下肢までまるで集中がなっていないらしいね。罰として午後は自主練、後に瞑想と邸宅周りを五周だ。いいね」 「すみません、先生」 「やあ、前に謝罪より返事を、と教えた筈だよ」 「はい。先生」 「……なんでもいいんだけどさ、君達、本当にそれで義理の親子関係なわけ? 師弟っていうのは伝わってくるけどさ」 広大な庭での実戦訓練。額から大粒の汗を流しながら、少女の形(なり)をした偽造天使が嫌味混じりに物を言う。 自分から「今代のレビヤタンと手合わせがしたい」と言い出しただけに、中断されたのがよほど癇に障ったらしい……とはあくまでこちらの推測だ。 二人の試合の審判をつとめた殺戮の天使は、少女の内側に潜む別人――ワケあって少女は体内に複数の魂を内包している――に、訝しむような視線を向ける。 相手は「天使」だ。少女本体のような人工生命体ではなく、正真正銘天上界で固有銘を有していた、言わば自分と同格かそれ以上の実力者。 視た限りでは養子レヴィはこれを「友人」と見なしているようだ。理解も納得も出来ないが、と殺戮ことサラカエルは俄に首を傾ぐ。 無言でタオルを差し出してやると、予想外に素直に受け取り身なりを整え始めた。ふうっと荒い息を吐く姿は、普段の少女の挙動から遠くかけ離れている。 「やあ、無駄口が多いのは『本体』と変わらないらしいね。確か天使名……メタトロン、といったかな」 「嫌味くさいな。そう、メタトロン。エノクでも構わないけど、そっちは人間体のときの名前だから君達には縁が薄いかもしれないし」 「……エノク。すみませんがそろそろアスターさんと交代を、」 「馬鹿なの? 偽造天使の能力があるとはいえ、いくらなんでも腑抜けすぎてるから鍛え直しているのに。ここですぐ休ませたら訓練の意味がなくなるだろ」 あのレヴィが、なんだかんだ頑固な性分の養子が一方的に物を言われ押されている――サラカエルにとって、その光景にはとてつもない新鮮味が感じられた。 目を細めて半ば面白半分に観察していると、どうも養子側の方が少女ないしメタトロンにたじたじであるらしい。 (恐らくだけど、惚れた弱みプラス、初めての育ての親以外の友人への友愛と戸惑いといったところだろうね) レヴィの狼狽した姿は――親ばかと言われようが、どうにも言葉にし難い愛くるしさを感じられた。 日頃の無表情さや淡々とした物言いなどは関係ない。たとえ感情の露出が乏しくとも、今代のレビヤタンは自分にとって可愛い自慢の息子でしかないのだ。 ……さらさらとした輪の国の人種を模した黒い髪。利発な眼に、原型の名残と思わしき錦の膜。そう、彼はとても賢そうな……否、実際に賢い子だった。 それこそ黒瞳というのは自分の最愛の思い人のそれと同じ色でもある。愛おしいと思わない方がどうかしている、殺戮は慈愛を双眸に滲ませた。 「それにしても、魔力付与による身体強化……だっけ? お前、本当に上手いね。誰に聞いたの」 「習った覚えはありません。自然と使えるようになっていたので」 「ああ、そう……これで嫌味じゃないっていうんだから驚きだよ」 「メタトロン。レヴィは種族柄、生まれつき魔力の扱いに長けているんだよ。これは知恵の樹からも情報が取れると思うけど」 遠慮のない手合わせが出来るほどの、気心の知れた友人同士の貴重な対話の時間。 そこに無遠慮に割り込んだ殺戮は、予想した通り不快感を隠しもしないメタトロンの表情を見て目を細めて失笑する。 「リヴァイアタン、つまりレビヤタンは、その竜鱗や外皮に魔力を溜め込む才能が他種族より秀でているんだ。身体組成への浸透率が高い、と言うべきかな」 「浸透率? 内外関係なしに溜め込みやすいからって、使いやすいとは限らないだろ」 「やあ、話は最後まで聞きなよ。彼らは溜め込むと同時に再利用するまでの手順も簡略化しているのさ。だから無意識で魔力を自分に適合させる事も出来る」 「……ええと……? って事は……いや、そういうのは、どっちかっていうとエリヤの方が……」 「つまり、僕や先代は魔力を纏う事に長けているんです。身体強化は一番分かりやすい例だと思いますが、足りない力や速度を補完するのが主な目的ですね。 これがベヒモスなら魔力を広域拡散して自他を補助か回復させる手段にするでしょうし、ジズなら攻撃魔法に置換して叩きつけるようにして使うでしょう」 「いや、だから分からないって言ってるだろ! 僕もエリヤも、天使能力だけはやたら強かったから行使の分類なんて知ろうとも思わなかったし」 「アッハハ、『神の代理人』とやらに思考放棄させるとはね! やるじゃないか、レヴィ」 言い換えれば、それだけメタトロンとサンダルフォンは力が強い天使であったという事だ。サラカエルは笑いながら心中で舌打った。 (つまり、こんな形(なり)をしているがレヴィはその気になれば僕やベヒモスなども拳一つで屠れるという事だ。末恐ろしい話じゃないか) 意識して力を使う事と、意識せずとも自然と操ってしまうという事は、厳密には似て異なる話だ。 もしこの養子が本気を出せば――最大出力の魔力を直接攻撃に纏わせでもしたら、自分とて全身が吹き飛ぶようなダメージを受けてもおかしくない。 それほどまでに彼の異種族としての能力は高く、またその潜在能力は未知数であるという事だ。天使体……即ち、限界が設けられている自分とは違いすぎる。 「――うむ? どうした、三人揃って庭に立ちっぱなしで。訓練は終わったのか。休憩するなら屋根のあるところで休んだ方がいいんじゃないか」 そうして天使銘故に思考が冥く傾きかけた瞬間、背後から朗らかな声を掛けられて殺戮は固まった。 その声の主はこの広大な邸宅の主人であり、また、レヴィを愛息として迎え入れる決定を下した自身の最愛のそのひとでもある。 「なんだ、どうしたー。試合のし過ぎか? アクラシエルに茶菓子を用意して貰うから、全員戻ってこい」 外見に似合わない尊大な物言いは、昔から何一つ変わっていない。 最愛のひとヘラはレヴィには手招きをしつつ、こちらには「紅茶はまだか」とばかりに首肯してみせただけだった。 汗が引かないメタトロンはアスターの鍛錬が終わらないまま屋敷に戻る事に抵抗があるようだったが、足を踏ん張らせたところでレヴィの力に敵う筈もない。 三人はそれぞれしぶしぶながら、ヘラに促されるままに訓練を一時中断するよりなかった。 「……だから、こういうのが『これ』を腑抜けにしているんだろ。馬鹿なんじゃないの」 縁側から屋敷に上がるなり、今にも舌打ちが漏れそうなメタトロンの低い声が屋内に響く。 テーブルの上には既にアクラシエル――この屋敷の家事と管理を担当する天使だ――が用意したと思わしき焼きたての菓子類が、山のように並べられていた。 「やあ。あまりこんな事は言いたくないけど、アスターの同胞として留まるつもりならここの習慣には早いうちに慣れた方が身の為だよ」 「分かってるよ、それくらい! ただ、出すにしたってもっと大きさや量を控えめにするとかさ……」 「アンブロシアさんの香草入りクッキーは絶品ですから。アスターさんが人間の居住区から購入されてくるチョコレート何たらに比べれば、まだ健康的です」 「レビヤタン! 分かってるならお前も止めろよ!! ……はあ……ま、そうだね、腹は空いてたし。栄養補給は大事だからね」 ブチブチと文句を並べながらも焼き菓子を頬張る高位天使の矛盾した様子には、もはや失笑せざるを得ない。 隣席に陣取ったレヴィはレヴィで、次はこれを、その次はこちらを……と雛鳥に餌付けをする要領でメタトロンにクッキーを勧めていく始末である。 鼻で笑い飛ばした後で、サラカエルはヘラの前に淹れたばかりの紅茶を慣れた手つきで差し出した。 「うむ。変わらず、いい香りだ」 「それはよかった。ご相伴にあずからせて頂きます」 いつものように、いつも通りに。この屋敷に根付いた「習慣」の一つに、屋敷の主であるヘラとのティータイムが挙げられる。 自分は、この一時だけは良い習慣だと言ってやってもいいと考えているのだ。満足げな主の笑みにつられて笑顔を返して、サラカエルも堂々と腰を下ろした。 「ところで、アスターさ……いえ、エノク。今日はいつもと様子が違うように見えますが」 「様子? ……ああ、髪型じゃない? 長いままだと邪魔だろ、はっきり言って」 「邪魔とは。アスターさんの髪です、大事にしてください」 「馬鹿じゃないの、誰も勝手に切ったりしないよ! だからこうやって、訓練の邪魔にならないように結んであるんじゃないか」 「ああ、紐で結わえてあるんですね。やはり動きやすくなりますか」 「視界に入らなくなるし、重さも多少はマシになるからね……僕はさ、エリヤもだけど、本来の器の時はここまで伸ばした事がなかったからさ」 香り高い茶葉と温かな湯気、穏やかな午後の入り……ふたりで幸福を味わっている間、愛息とメタトロンは会話を続けながら変わらず茶菓子を摘まんでいる。 ふと耳を澄ませてみると、話の種はもっぱら、メタトロンが訓練前に整えたアスターの髪型に向けられているらしい。 「後頭部での一本結び。いつものアスターさんならしない髪型ですね」 「髪に紐の跡がつくのが嫌なんだろ。ポニーテール、っていうらしいよ。ほら、揺らすと馬の尻尾みたいだろ」 「残念ながらアスターさんはウマではないので」 「そりゃ、ユニコーンとヒッポグリフの血が入ってるわけだし……って、僕はそんな話してないんだけど」 ……聞いているだけで笑えてしまった。ふふ、と声を殺して噴き出したところで、ふと視線を感じてカップから顔を上げる。 斜め前に座ったヘラが、意味深ににっこりと美しく笑んでいた。あまりにも優美な笑顔であった為、サラカエルはどぎまぎして顔を引きつらせる。 「なん、ですか」 「いや? お前も『ぽにーてーる』とやらが気になるのかと思ってな」 「き、気にしたように見えますか。そんな事は……」 突然の事だった。 茶器をテーブルに戻したヘラは、何を思ったか、おもむろにがばっと両腕を上に挙げる。 色白のなめらかな肌がゆったりとした造りの服の袖から大胆にはみ出し、殺戮はぎょっとするやら顔に熱が上るやらで、いよいよ取り乱した。 たおやか、としか形容のしようがない美しい五指がそれぞれ細かく動き、後頭部に持ち上げられた栗色の髪が「馬の尻尾」のように軽快に一度だけ揺れる。 「ヘ、ヘラ様?」 「どうだ、私もぽにーてーるとやらにしてみたぞ! 似合うか?」 エヘン、と得意げな声が今にも聞こえてきそうだった。紐で結わえるでもなくただたぐり寄せただけだったが、確かにそれはポニーテールと呼べる代物だ。 しっとりとした艶を帯びるうなじが僅かに見え、それこそ、ただでさえ幼い面立ちの主の表情がより愛らしいものに見えてしまう。 サラカエルは咳払いを連発していた。あまりにもわざとらしくなってしまったが、相手の気を逸らすには十分だったようだ。ヘラは忙しなく目を瞬かせる。 「なんだー、どうした。感想もなしか」 「いえ。なんでも。問題ありません。……分かりましたから、戻してください。結局のところ、貴女様はいつもの髪型が一番似合いますから」 なんだつまらん、黒瞳が残念無念と言いたげに逸らされたが、殺戮は心底ほっとして小さく息を吐く。 ……勘弁して欲しいと、そう思った。 似合う似合わない以前の話で、彼女の魅力には敵わない。なんの気もなしに行われる一挙一動が、自分にとってはどんな女の艶めかしい所作より勝っている。 ひとえに、それだけ惹かれているからだ。情や欲といったものがなければ、ここまで彼女に動揺させられる要素など端からなかった。 ヘラ自身に己がここまで臣下を揺さぶる事が出来る自覚がない、というのも問題だ。少しはこちらの気も知った上で動いて欲しいと、サラカエルは嘆息する。 「……それが言えたら、そこで済むのだろうにな」 「うん? 何か言ったか、サラカエル」 「いいえ、何も。茶菓子のおかわりは如何ですか」 馬の尻尾を手放し、ぱらりと栗色を宙に広げてヘラが笑う。この場で勢いよく抱きしめられたらいいのに、もどかしさにサラカエルは歯噛みした。 知ってか知らずか――否、殺戮の天使が替えの菓子を取りに席を離れた瞬間、地母神はいつもの孔雀羽根の扇子で口元を覆い隠しつつ、ひとり密かに微笑む。 「……あれで気付かれていないと思っているのか、お前は。変わらなさすぎるぞ、おチビ」 目の前で織りなす光景。愛息と、その仔が愛して止まない偽造の天使との談笑。目線を投げた先には、冷静を気取りつつも想いを拗らせに拗らせた思い人。 遠目に眺めているだけでも、笑えてしまった。ヘラは、ふふ、ともう一度控えめに人知れず笑みを溢す。 見ているだけで胸に灯が点る光景。それはさながら、屋敷のムードメーカーたる天使が愛する、牧草地で家畜らが過ごす牧歌的な風景にもよく似ていた。 屋敷での平穏な暮らしという、変わらぬ「秩序」。 カップの中で揺らめく琥珀色に、地母神は「今日の午後はどうサラカエルを揶揄おうか」、とひとりひっそりと画策の笑みを落とす。 殺戮の天使は、地母神への想いを隠し通せていると思っていた。実際には……天上界にいた時分から、彼の情や欲などは彼女には筒抜けでしかなかったのだ。 |
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TOP UP:24/08/01 |