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楽園のおはなし (3-39) BACK / TOP / NEXT |
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「いいから、固まってねェでソコ座れって」 にやにや、と底意地の悪い笑みが手招いている。ニゼルは「うわぁ」と小さく拒絶の本心を吐いてから、勧められるままに手前の席にそっと腰掛けた。 ……近くに寄るとなおさら異臭が鼻を突く。勘弁してよー、とは口に出さずに、なんの気もなしに目の前の紅茶に口をつけた。 「ぶッは、ウハハハ!! マジかよッ!? オイオイィ、なんにも疑わねェで敵地で出された茶に口つけるヤツがあるかよ!?」 「えー……めんどくさ。なに、毒でも入ってんの?」 「客用だ、んなワケねェだろォ。にしてもフツーは少し疑うモンだぜ。その根性、オレ様は嫌いじゃねェけどなァ」 盛大に、眉間に力を込めて返事に代える。浮浪者じみた風貌の女神は、今度は腹を抱えて笑い始めてしまった。 これが本当に古代神だというのだろうか……もごもごと口を動かす合間、そ知らぬ顔で茶菓子の積まれたティーセットを盗み見る。 どれも高級サロンさながらの小綺麗な洋生菓子ばかりだった。飾られた花や星のモチーフ、きらきら光る小粒の果実と、徹底的に女子の好みを突いている。 もしここに「招待」されたのがアスターやアンブロシアであったなら、彼女達の事だ、感極まって陥落していたに違いない。 しかし、人間であった頃の接客経験のみならず、ヘラの代わりに屋敷を訪ねてくる天上の住民をももてなす立場からすれば全く笑えない状況だった。 「招待主の言動と茶菓子の選択、こちらの衣装と心構えがまるで合っていない」。 嫌でも眉間の皺は増えるばかりだ。あらかじめ招待されていたわけでもないというのに、それこそ敵地のまっただ中でにこにこと温和に振る舞える筈もない。 「うん、毒が入ってないのは分かってるよ。そういうみみっちい事、嫌いでしょ?」 「みみっ……ぶはっ、頼むからこれ以上笑わせんなよ!」 「そういうの、もういいから。俺に話があるんじゃなかったの?」 あくまで冷静に。ひとつ分下げた音程で話しかければ、自称女神の顔からすっと温度が引いていく。 「いい度胸だな、たまげるぜ――オマエ、今代のラグエル様なんだってな。でもって『一部』記憶喪失で人間の魂持ちらしいじゃねェか。合ってるよな?」 一部、に妙に力が込められていた。相手の言わんとする事が分からず、ニゼルは素直に眉間に皺を刻み込む。 小洒落た椅子に座りながら、女神は器用に片膝を立てて汚らしく茶を啜った。ここまでくると小汚い身なりも言動も、全て演技ではないかとさえ思えてくる。 当の本人は気にした風もなく、さっさと茶菓子を手掴みしては次々に口へ放った。いい食べっぷりだ。本当に毒の類は使用していないらしい。 「よく聞け。オレ様はオマエがチビ扱いしてるディア……メーデイアのお師匠様ってヤツだ。名は『ヘカテ』、銘は『三叉路』。『十字路』でもいいぜ」 「はあ。それで、俺に一体なんの用?」 「ケケッ、まァそんな焦るなよ。なァに、ちょっとオマエに聞いてみたい事があっただけだ」 「焦らせる」というよりは「困らせる」の間違いなんじゃ――今度こそ喉奥からクレームが飛び出しそうになり、ニゼルはきゅっとわざとらしく口を閉じた。 ヘカテの黒塗りの瞳が黙してこちらを見つめてくる。値踏みするような、睥睨するような、やけに挑戦的な眼差しだった。 「これからするのはたとえ話だ。難しく考えなくていい」 「たとえ話?」 「そう。オマエは思った通りのことを、素直に、バカ正直に答えるだけでいい」 艶めかしい仕草で五指が机上に晒される。みすぼらしい出で立ちに反し、ローブから出された十の指や手の甲はヘラのもののようにきめ細かな肌をしていた。 もしかしたら悪く見えるのは外見だけなのかもしれない。ますます女神の意図が読めなくなり、ニゼルは眉間の皺を深くする。 「『目の前に崖がある。その下には、向かって左にはオマエの最愛のトバアイヤ、向かって右にはアスターが掴まっている。どちらも今にも落ちそうだ』」 「えっ!? なに、その……」 「『オマエは手に何も持っていない。しかし助けにきてくれそうなヤツも都合が合わないようだ……さァ、どちらを助ける?』」 自分は今、何を聞かれているのだろう。その質問に何の意味が、どんな意図があるのだろう……。 ニゼルは今度こそ眉間にうんと力を込めて不快感をあらわにした。そんな人間性を試すような質問に、まともに答えようとする者などいるのだろうか―― 「――嫌なら答えなくたっていいんだぜ。ここから出られるのが数年、数十年、数百年と延びるだけだ」 見越していたのか、見透かしているのか。はっとして顔を上げると、古代神はいやに冷たい顔でこちらを見ていた。 (えっ? これ、こんな古典的な『どちらも選べない』選択肢ってやつでしょ? なんでそんな……本気になって考えろって言うようなやつじゃないよね?) 何故か、ヘカテが本気で問いかけているのだという事だけは理解出来た。彼女の冷えた視線の先、手の平の上に独りきりで立たされているような心地になる。 恐る恐る目線を上げたニゼルは、女神の表情のなさにぞっとした。極寒の眼差しに心臓を鷲掴みにされた気がして、息が詰まる。 ぐっと膝の上で拳を握りしめた。恐らく向こうは本気だ、いつものように笑い飛ばしでもすれば本当にこの場に幽閉されてしまうかもしれない。 そして恐らく、何故、と質問の意図を問いただす事も誤りであるような気がした。「素直に、バカ正直に」。彼女は、明確な答えだけを求めている…… (藍夜は、藍夜は……俺の、) 考える。思い起こす。鳥羽藍夜――昔からの親友、幼なじみ、かけがえのないひと。 彼を失う事などあり得ない。 一方で、アスターの事も失いたいとは思えなかった。製造者としての意地もあれば、偽造天使自身が屋敷に馴染みつつある事もある。 結局、どちらも選べない……もう一度視線を上げれば、ヘカテは退屈そうに頬杖をついて目を細めているところだった。 ――そのとき、ニゼルは自分の中で何かがパチリと泡のように弾けた音を耳にする。危機感、閃き、苛立ち、直感。そういった言葉には出来ない類のものだ。 「……それ、本当は俺がどっちを選んでも大した意味はないんじゃないの?」 「ほォ。で?」 「俺にとって藍夜は絶対だし。アスターだって……俺が直接造ったわけじゃないけど、そんなくだらない事で壊されるなんて有り得ないし」 そもそもアスターの危機はエノクやエリヤがどうにかしてくれるのではないか――回答を続けようとして、知恵の天使は言葉を切った。 眼前、次第に口角を上げていく女神の顔は至極ご満悦といった体の笑み。ニゼルはしてやられた、と顔を歪める。 「上出来だ。ちゃァんと何が大事で何を優先すべきか、分かってるッてんなら及第点だな」 「及第点? 満点ではない、ってこと?」 「そりゃそうだろうよ、オレ様達は初対面なんだぜェ。お人柄の判断にゃ、多少は慎重になるモンだろ」 「……言え、っていうなら一応続きも考えてあるんだけど」 「ほォ。そいつァいい。で? 新生ラグエル様の回答ってのは、如何なモンだ」 逡巡した。 答えられなければ幽閉を続ける、と真っ向から悪意をぶつけてきた神が相手だ、下手な事を言えばしわくちゃのおばあちゃんの出来上がりになってしまう。 ぐっと膝上で拳を作り、ニゼルは双眸を半開きにして女神を見据えた。挑発的な笑みは、まるで端からこちらの答えを知り尽くしているかようだ。 「どっちも駄目になる前に藍夜にお願いするよ。『今すぐここで審判を下して』って」 吐き出してから、沈み込むような自己嫌悪と、ようやく言えたという自己満足が同時に胸中に沸いて出る。 もし。もし、自らか鳥羽藍夜の身に何か起きようというのなら。 それが避けられない運命、宿命なのだと確信してしまえたなら。 ……どうせ朽ちてしまうなら、そのときは最期まで共に在りたいと自分は願ってしまうだろう。どちらかだけでも助けよう、そんな妥協案は口にしたくない。 「最後の審判」はそれほど強力だ。その時代に生ける全ての生物、創造物を、問答無用で破壊し尽くし無に帰す、いわば強制リセットと同義の秘術といえる。 あまりにも強大な力であるが故に、それ以外の分野において「ウリエルという天使は役立たず」と不当な評価を下されるほど彼は周囲に警戒されてきたのだ。 (もし、藍夜に『駄目だ』って言われても。俺がどうしても、ってお願いしたことを藍夜は嫌とは言わないはずだから) 是が非でも、誰に非難されようと、それが世界をエゴひとつで滅ぼす選択であろうとも――ニゼル=アルジルは、きっと今度こそ鳥羽藍夜を離さない。 互いへの執着を省みるに、十中八九、きっとこれまでもこれからも、自分と彼は変われない。 幼なじみであり、家族ぐるみのつきあいであり、唯一無二の親友であり……かけがえのない繋がりそのもの。一度手放したことで、余計に分かってしまった。 「……えっと……今のが俺の答えだけど。どう? どう、っていうのも変だけどさ」 要は、「自分と藍夜さえよければ他など知ったことではない」ということだ。 アスターはもちろん、暁橙やサラカエル、ヘラや琥珀らに対しても、自分は確かな友愛や親愛の情を持っている。 しかし、それらがこれから先、鳥羽藍夜への感情を凌駕することはない。他を愛せよ、慈しめと言われても、自分にはきっと不可能だろうとニゼルは思う。 たまらず眉間にぎゅっと力を籠めた。ちらと視線を上げてみれば、十字路の魔女は頬杖をついてにまりと満足げに笑っている。 「……!?」 「ギャハハ!! 『それでこそ』だ、実にオレ様好みのイイ選択じゃねェか!」 「そ、それだけ? っていうか、今のでいいのー!?」 「オレ様が一言でも『大正解を述べよ!』とでも言ったかよ? ンなワケねェだろ。オマエの本音ってやつを、一回聞いてみたかったンだよ――」 ――それに「確認」もしておきたかったしな。 茶器を置き、ヘカテは背もたれに背を預けて大きく伸びをした。大仰に天上に向かって息を吐き、しばし、くまの目立つ目を閉じる。 ……眠れていないのだろうか、疲れているのだろうか。つい先ほどまで萎縮していたことも忘れて、ニゼルは女神のだらけきった姿をまじまじと観察した。 相変わらず不快な臭いが漂い、汚れきった皮膚が痩せ細った四肢を覆う。互いに茶を飲んだ直後だというのに、彼女の場合口臭も酷い。 「あのさ、神様なんだよね? なんでそんな身なりなの?」 「ンだよ? 気になんのか。もっと他にあるだろ、出口はどこなの、ウリエルは無事なの、コワーイ! なんてなァ」 「えぇ!? それ言ったって、ここから出す気なんてないんでしょ?」 「さァてな。出す気はあるんだぜ、ただそのためのテツヅキが様々あるってこった。オレ様が知りたいコトってのは、オマエのことだけじゃねェんだよ」 つい、訝しむ顔を返してしまった。ヘカテは気にした風もなく、固まったニゼルを見てニヤニヤと楽しそうに笑っている。 彼女の目的がまるで見えない。これまで出会った大神や黒塗りの青年などはかなり分かりやすい性格をしている方だったのだと、ここで初めて気付かされた。 思わずぎゅっと眉間に力を込めてしまった空色髪に、三叉路の女神は菓子を食べるよう顎で促す。戸惑いながら口に運ぶと、案外まともな味をしていた。 「あれっ、なんか普通に美味しい?」 「コネってヤツだよ。悪かねェだろ」 「はあ。そういえばアスターも甘いもの好きだし、古い神様や魔獣って皆甘いのに弱いのかなー」 ニヤニヤ笑いがニタニタ笑いに変化する。ヘカテがこちらのどんな発言をお気に召しているのか、ニゼルにはサッパリ理解できない。 「甘いもんは脳にイイからな。つーか、紅茶にセンベイ出されたら困るのが人間って生き物だろ」 「う、うーん? 言われてみればそう……かも? 藍夜も瓊々杵さんも、そういうのは気にしてたみたいだし」 「相性ってヤツだ、古い神々と現職の連中は根本的に合わねェんだよ。自覚あンのか? オマエの考え方、行動……どっちかっつーとオレ様達寄りなんだぜ」 「そっか……って、ちょっと待って、いきなりなんの話!? お茶請けの話じゃなかったっけ?」 女神が鼻で笑い飛ばすと、目の前にあったテーブルや茶器、菓子の類が、パッと一斉に消え失せた。 まるで手品か魔法だ――瞬きをしながら現職の知恵の天使は考える。瞬間移動、転移、消失。どれもがあの匣型偽造天使の得意技であったはずだ。 「細けェこたぁイイんだよ。オマエがここでやるべき事は『オレ様の御機嫌をとる事』だ。目を見て、話をして、オレ様の姿を脳ミソに刻めりゃそれでいい」 不思議なことに、初めて言葉を交わしたときよりもヘカテの輪郭がはっきり見えているような気がした。 それだけでなく、体中にしつこく染みこんでいた汚れや腐敗臭、それこそ衣服の皺やほつれでさえもがゆっくりと剥がされ、空気中に吐き出されつつある。 まるで、その存在を意識することで彼女が女神としての正しい在り方に戻りつつあるかのようだ。そのとき、色白の美しい片手が不意にニゼルに伸ばされた。 「えっ、なに? うわっ、冷た……」 無遠慮に頬に触れてくる手が異様に冷たい。まるで、いつの日にか遭遇した冥府の使者――アンジェリカの肌のようだ。 ヘカテがいっそう笑みを深くした瞬間、ニゼルはふと、頭上から青白い光が無数に降り注いでいることに気がついた。目を瞬かせる度、視界が眩く煌めく。 星だ……満天の星が天井に広がっている。雲どころか月さえ見当たらず、その天上が新月の頃の映像であるのだと、妙に納得がいってしまった。 唖然として暗がりを見上げる最中、突然視界が急速に霞み出し、全身がふらつき始める。駄目だ力が抜ける……そう感じた瞬間、ヘカテの視線と目が合った。 「ケケッ。よォく目をかっ開きな、お嬢ちゃん。『今宵は新月、迷い道の日』だぜ」 「え……新月? ちょっと待って、ねえ……っ」 「『いつまでも寝ているワケにゃいかねェだろうよ』。なんせ宝物ってのは魅力的だってのが世の常だ……それに、オレ様は『道祖神』の筆頭なんだしよ」 ぐらりと、大きく頭が揺れる。もしかしたら毒ではなく睡眠薬を盛られたのではないか――そう思考が及んだときには、ニゼルの意識は暗闇に沈んでいた。 がくりと力なく椅子から崩れ落ちかけたとき、おもむろにヘカテの手がその身を引っ張り上げている。 「そうだ。オレ様達が素知らぬふりをしていられンのも、もう限界なんじゃねェかと思ってな」 「……、――バッチイわ」 「おっ? ギャハハッ、いーいリアクションだァ……よォ、『お目覚め』かよ? お嬢ちゃん」 「ばっちい、って言ったのよ。どうして貴女は湯浴みのひとつも出来ないの?」 そうして道祖神が今代の知恵の天使を抱き上げたとき、その場で目を開いたのはニゼル自身ではなかった。 胡乱な生き物を見るような、半ば蔑みに近い眼差しで、「ニゼルであったはずの女」がヘカテの高慢な笑みを気丈に睨み返している。 「呆れたわ。ずぅっと行方知れずになっていたでしょう、今更なぁに? いままでどこで何をしていたの? 『ヘカテ』」 「そう慌てンなよ。今のオマエの発露条件は天使の力が弱まる月のない夜の日だけ、だろ。オハナシの為にわざわざ術まで使ってやったんだぜ、感謝しろよ」 バッチイ、とこともなげに悪態を言い放った後、「それ」は手のひらに転写した汗や老廃物を払い落とす真似事のように手をぱたぱたと叩いてみせた。 一連の動きが終わるのを待ってからその身を開放する。そうして自ら椅子に座り直したラグエルは、やはり先のラグエルではなかった。 ……いつか新月を迎えたヘラの邸宅、その東に位置する書庫の塔の中。喰天使そのひとが鉄塔の頂上付近にて魔王ともども邂逅した、正体不明の謎めいた女。 気難しい件の天使を護衛役として従える契約を結んで以降、決して邸宅内に現れることのなかったそれが、再びニゼルの内側から滲み出していた。 「喚び出すこと」に成功したヘカテ自身は満足げに席に腰を下ろして足を組む。その所作に先刻までの浮浪者じみた澱みはなかった。 「いいかァ、オレ様だから『月のない夜』を精神世界内に再現出来るんだ。オマエといつ何時でもオハナシ出来んのはオレ様だけってこった、有難く思いな」 「えぇ〜? 嫌よぅ。だって、『私』には貴女に用事なんて何にもないもの!」 「アァーン!? 他人様の厚意を無碍にしようってのかオォン!?」 「きゃあっ、ヤクザよマフィアよぅ!? 助けてサラカエル〜!! 腕試しにノクトでもいいわよぅ!」 「ギャハハッ、オマエんとこのクソ天使どもなんざ、オレ様の呪術のサビにしてやンぜェ!!」 「やだぁ、嫌な言い方! 悪役令嬢だわぁ〜!!」 二人の「女」はそうしてしばらくの間、無知な愚者のように、あるいな純真な乙女のように無意味に戯れあっていた。 不意に差し出されたマカロンをぱくりとフロル=クラモアジーの口に受け入れて、ニゼルの内側から発露した女はこれすっごく美味しいわ、と顔を綻ばせる。 ヘカテは満足げにその様子を見ていた。まるで古くからの友人同士であるかのように、二人はそうして茶と甘露を堪能しあっていたのだ。 「それで、どういうつもりなの? ヘカテ」 「ア? どうってのは、ンだよ」 「だって、私と貴女って昔は親交がなかったじゃない〜。私は早いうちから、天上の『あの場所』に閉じ込められていたんだし」 「アー……そう、そうだったよな。オマエはなんだかんだでクソ真面目なヤツだったから、素直にクソ雷神様の呼び出しに応えていたんだったよなァ」 くそくそ言い過ぎよぅ、愛らしく頬を膨らませる女に、オレ様に気品なんてモンを求めんなよ、三叉路の魔女はニヤリと笑い返す。 「ま、要は『確認』だな。オマエがあの屋敷で何をしたいのか、何を排除したらいいのか、ってな」 「……そうなの? 気持ちはありがたいけど、援助なら遠慮するわ。私がやりたくてやってきたことだもの、貴女には関わりないと思うわっ」 「そうもいかねェんだよな。オレ様にも『魔術の師』としての矜持くらいはあるんだぜ」 パチリと赤紫の瞳が瞬くのをヘカテは見た――自分の知る以前の「女」と「これ」とでは、だいぶん姿形が変わってしまったと内心で吐き捨てる。 ……「女」はかつて、天上の園で疎まれていた殺戮、審判官の天使らと、唯一親しくしていた存在だった。 どちらかといえば高位の座につく身でありながら、ヘラのように権力に媚びず、自身の思うままに生きることを良しとしていた女だったと記憶している。 「オレ様はメーデイアの師だ、親代わりだ、めあて星だ。オマエがあそこに匣型偽造天使を置く気なら、オレ様にも口出しできる権利があるとは思わねェか」 その性格は気まぐれで、またその本質は歪で、目的を果たす為なら手段など選ばない。自分よりもよほどその血の業が活かされている女だと、そう思う。 身を乗り出して自ら「交渉」にでる道祖神を、新月の女は知恵の天使の器越しにじっと見つめた。 「……意外だわ。貴女にはそういった情がないと思ってたから」 吐露される言葉は、ずっと柔らかい響きを持っている。ヘカテの黒瞳を正面からねぶるように睥睨し、女は直後、穏やかに笑った。 「でもね、私は余計なモノは要らないの。あの屋敷はね、あの可愛い子牛のような娘(こ)のものなのよ? 強い神さまなんて、そんなにたくさん要らないの」 その目は、眼差しは、一欠片も笑っていない。さも、楽しい遊びの邪魔をするな、と言わんばかりの明確な拒絶だった。 椅子から腰を浮かせたまま、夜の女神はきゅっと目を細めて反発する。生まれ持った気質といい、双方どちらも「相手を想って譲り合う」事を得意としない。 どれくらい時間が経過したのか……全く折れない相手にうんざりしたのか、ふぅ、と女は嘆息した。 「そうねぇ。どうしてもっていうなら……貴女はきっと、『姿形を変えなきゃ』いけないわ」 「アァ? 姿形を変える、だァ?」 「そう、そのままだと貴女も周りの信仰心に振り回されるでしょう? 正体を知られたらもっと面倒事が寄ってくるし。これが妥協できるラインだと思うわ」 先ほどと打ってかわり、女は至極楽しげに笑う。まるで新しい玩具を与えられた幼子のようだ。 そうかよ、とヘカテは口角をつり上げた。今となっては、魔女からはニゼル達と初めて遭ったときのようなみすぼらしさや汚れ等がすっかり消え失せている。 「人間ならびに天使、即ち下位の者達からの信仰心がその神の力を決める」。ヘカテは正に、古の時代のルールに縛られた女神だったのだ。 意図的に造られた談合の場。余所からの介入を一切阻むフィールドで互いを認め合える者同士が邂逅した今、ヘカテは当時の力を確実に取り戻しつつあった。 それは眼前の女やヘラのような瑞々しい美貌ではなかったが、確かに神の位に相応しい美しさを伴う妖艶な変化であった。 「時が来たら、ってヤツだよなァ……良いぜ。オマエやオマエ達が匣型偽造天使を見捨てずにいるってなら、オレ様もその期待に応えてやるよ」 「そう、それならいいけど。でもどこで合流するつもりなの? 私、貴女のこと迎えになんて行けないわよぅ?」 「ちゃァんと考えてるから、安心しな。オマエが想定してるような事にはならねェよ」 この場合、自分の問いかけに女が答えてくれたからこそ三叉路の魔女は己が本来の姿を取り戻せたということになる。 決まりね、そう言って手を差し出した女と、そンときはよろしく頼まァ、同じくニヤリと笑いながらヘカテは手を取り合い握手を交わした。 次第に天上の空が白んでくる。星は失せ、雲がたなびき、ゆっくりとだが冬空の青が戻りつつあった。 術の効果時間切れだ、別れの時間が迫っていることをあっけらかんと告げ、魔女はニゼルの手を掴んで強引に彼女を椅子から立ち上がらせた。 「『戻す』場所は……アァ、キルケーの百八十番トラップの上でイイよな。にしてもよ、アイツはトラップ選びのセンスなさすぎだぜ!」 「あの落とし穴のことでしょう? いきなりだから、ビックリしちゃった」 「トラップってのはいきなり現れるモンだぜ、覚えときな――ホラよ。迷子にならねェよう、せいぜい気をつけな」 でも落ちたらサメの餌なんて趣味が悪いと思うわ、イイじゃねェかそれくらい、二人は楽しげに笑みを交わし合って歩き出す。 途中、道半ばで繋がれていた手は離された。旧知の仲のように互いにひらひらと手を振り合い、夜の女神は踵を返し、ニゼルの内側に籠もる女は前へと進む。 次第に、視界が明るさを取り戻していった。顔を上げたとき、「ニゼル」の体はいつしか四方全てを白亜の大理石に彩られた回廊の中にあった。 「え? あれっ、ここ……どこ? 俺、いつの間に?」 振り返れど、落とし穴はもちろん一緒にいたはずの魔女やエノクの姿は見えない。前も後ろも、ただひたすら長い通路ばかりが広がっていた。 いつ、この場に出たのか思い出せない。これも魔術の一種なのかなあ、赤紫の目を瞬かせ、今代の知恵の天使は渋々、一人で廊下を進んでみることにする。 |
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