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モンスターハンター カシワの書(47)

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「ハンターの皆様、お疲れ様でございます。当機は古代林最奥の狩り場、『竜ノ墓場』行きとニャっております!」

龍歴院が管轄下におく飛行船事業は、運航にあたって安全管理の関係上、案内人に相当するガイドが同乗する決まりになっている。
黄色、橙を基調とした制服に身を包むアイルー族がそうだった。受付嬢の資格ほどではなくとも、その認定にはある程度の難易度が設定されているという。

「ニャワ……え、エリザベスさん! こんにちは、ですニャ!!」
「あら、アルフォート様。先ほどぶりでございますわ!」

したがって、客室乗務員の多くは他のアイルーにとって憧れの存在といえた。
オトモ初心者であるアルフォートもまた、ベルナ村直属の乗務員を前にするとカチコチに緊張してしまうほどである。
彼女の名はエリザベス。乗務員としては中堅にあたり、新米の指導にあたる姿も度々目撃されている美猫……もとい、美アイルーだ。
物腰柔らかく穏やかで若いながら如何にもベテランといった体の彼女だが、時折会話に「耳に親しい口癖」が混ざってしまうことを内心とても気にしていた。

「カシワ様もお疲れ様でございます。ディノバルド狩猟後すぐ、とのことでございますが……どうかご無理ニャさらずに、よろしくお願い致しますわ」
「ああ……その、エリザベス。君と組んでる操舵員、今回も同乗してくれてるのか」
「はい、ロハンでしたらいつも通り。お呼びしましょうか」
「あ−、いいんだ、そこまでは……操舵席、にいるんだよな? 個人的な話がしたいだけだから俺から行くよ、ありがとうな」

木箱に腰を下ろして剥ぎ取りナイフを磨いていたクリノスの視線の先で、後輩狩人はのろのろと操舵席に足音を殺して寄っていく。
舵を握るのはユカよりやや年上と思わしき男だった。逞しい体には褐色と濃いめの肌色が混在しており、武骨な腕には白と青の塗料で化粧が施されている。
んん、と唸りながら首を伸ばした瞬間、カシワががばっと操舵席の正面に回り込んだのが見えた。
明らかな危険行為だが如何せんここは空の上、視界は広々としている。ユカが止めでもするかと思いきや、騎士が動く気配はいつまで経っても感じられない。

「……んん? えっ!?」

振り向いて納得した。狩猟道具を詰め込んだ二段重ねの木箱に寄りかかって背中を預け、目深に羽根つき帽子をかぶりユカは居眠りをしている。
というか、僅かながらいびきすら聞こえた。カシワかユカか。一瞬逡巡したクリノスの横を、ぱっと横切る影がある。

「ユカ、オミャー……どっか、調子悪いのか」

手持ちのマタタビのいくつかを爪で弾き、頬や手にわざとぶつけて男が熟睡していることを確認すると、チャイロはその場で荒々しく嘆息していた。
ナイフを片づけ、合流してみる。狩猟直前、いつもなら周囲を警戒して止まないユカが顔を覗き込まれても全く起きない。
思いきって帽子を摘まみ取った。銀朱の髪がぱらりと流れ、端正な顔を剥き出しにする。視界は明るくなったはずなのに、なおも男は眠り続けたままだった。

「……なに、これ?」
「オレが分かるはずねーだろ。おい、ユカ! オミャー、もうすぐ古龍戦だってのにどうしたってのニャ!」
「ちょっと、チャイロ! ……おーい、ユカー、ユカペッコヘタレペッコー。起きないとあんたのボックスから大宝玉とか強撃ビンとか、貰っちゃうよー」

黙殺、というより安眠である。あれほど狩りを好み仕事に生きているユカが、大がかりな超大型古龍戦を前に居眠りをしようとは。信じられなかった。
顔を見合わせたクリノスとチャイロの横で、同じくリンクがぺちぺちと肉球で男の頬を叩き始める。
無類の獣人族好きであるはずなのに、ある意味ご褒美でしかないこの起こし方を以てしてもユカが目を覚ますことはなかった。
……さすがに不安になってくる。まさか過労死寸前だったのだろうか。肩を掴み揺り起こそうとした刹那、

「――あら? このニオイ、ネムリ草ですわ」
「って、うわっ! ……え、ネムリ草、って」

割り込んできたのは先ほどまでカシワと話をしていたはずの乗務員だった。ユカの顔に鼻先を近づけて、フンフンと匂いを嗅いでいる。

「間違いニャいですわ。自慢じゃニャいですけど、ワタクシ鼻には自信がありますの」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待って! ネムリ草って……捕獲用麻酔玉とか睡眠弾とか、成分的には」
「そう、本来は劇物ですわニャ。けど毒けむり玉だって一般家庭に流通している面もありますし。睡眠導入剤として調合なさる方も、いなくもニャいのです」
「睡眠導入剤? ユカが……?」
「顔色がとても悪く、眠れていないのではないかとワタクシも気にニャっておりましたの。誰かに一服盛られたのやもしれませんわ」
「い、一服って。ドン引きニャ」
「同じく……」
「ごく少量のようですし、そのうち目を覚まされますわニャ。悪意があるならマヒダケも混ぜるでしょうから」

誰かに、誰に? うぐ、と言葉に詰まったクリノスたちだが、揺すっても声をかけても目覚めないのだからここは効果が切れるまで待つしかないだろう。
今後の作戦や、どのオトモに同行して貰うかなど、話さなければならないことはたくさんあったはずなのに……。

「エリザベスさん、調合にも詳しいのですニャ?」
「あら、アルフォート様。自慢じゃニャいですけど、ワタクシ前にオトモアイルーを目指したこともありますの」
「……んあー……分かった、ありがとね、エリザベス。とりあえずカシワにも話してくるから」
「おい、クリノス!」
「いつ起きるか分かんないでしょ。チャイロはそのままユカのこと見てて」

リンクも残して船首へ向かった。どこの誰が盛ったか知らないが、こういうときは八つ当たりするに限る。
クリノスは操舵席に着くや否や、操舵員に詰め寄る後輩狩人のうなじに手を伸ばした。そのまま一本結びの髪を思いきり下に引っ張ってやる。

「おぐゥっ!? っな、クリノス!? いきなり何す……」
「あんた、さっきから何やってんの? ここ、空の上。あんたの巻き添えで墜落事故とかごめんなんだけど」

たじろぐカシワの横で、操舵員がフッと吹き出す音が聞こえた。機嫌よさそうに口元を緩ませている様に、これはカシワの負けだな、とクリノスは閉口する。

「ロハン、お前……!」
「やー、怖い顔してたから気を紛らわせてあげようと思ったんだけどねー。まさか本気にするとは。ゴメンゴメン」
「あのさ。わたし、全然話分かんないんだけど」
「やー、麗しのクリノスサン。いつもベルナ村発着船をご利用頂き感謝感謝。詳細は省くけど、『龍歴院のスカーフ』って言ったらお分かり頂けないかなー」

真横で後輩狩人が「あっ」と悲鳴に近い、動転しきった声を上げた。
反らされつつある顔を訝しみつつ眺めた後で、クリノスはベルナ村での彼の暴走ぶりを思い出し――

「ああ、『スカーフなくしたからお前クビ』みたいな嘘教えたの、あんたなんだ?」
「バリ正解ー。さすが、分かっていらっしゃる!」

――失笑混じりに嘆息すれば、当のカシワは肩を跳ね上げて咳払いを連発している。一応、周りに迷惑をかけた自覚はあったらしい。
暑くもないのに何故か汗だくになった後輩狩人から視線を外し、ふと操舵員に向き直った。ロハンと呼ばれた男はクリノスと目が合うと同時ににこりと笑う。

「珍しいね。あんた、『海の民』でしょ?」
「やー、そだね。クリノスサンがモガとタンジアを行き来してた頃は、オレも近海で漁をしてたんだ。覚えてない?」
「いつの話!? ええー……あの辺の人って、海の民以外の人たちもかなり日焼けしてたから……」
「なあ、クリノス。『海の民』って――って、いって! なんだよ!?」

妙に馴れ馴れしいと思ったら、向こうはこちらを一方的に知っているというからくりのようだった。
懐かしさ半分、呆れ半分で目を細めたクリノスの横からカシワが話の腰を折りにくる。双方を見比べる後輩狩人の一本結びを、女狩人は再び下に引っ張った。
ハゲる、俺の頭は棍棒ネギじゃないんだぞ、などと喚くカシワを放置して、クリノスはステラともども新米であった時代に思いを馳せる。
海と波間を漂う移動式の海上の村、モガ。世界各地の船が集う大都市、港町タンジア。笛吹きと出会ったのは、そんな青と碧に囲まれた世界の一角だった。

「海の民っていうのは竜人族よりは長寿じゃないけど、人間とは別の一種族なの。海に親しんでて、わたしとステラが狩りを始めた地域でよく見たんだよ」
「へえ……そうなのか。だから指の付け根に水かきみたいなのが生えてるんだな」
「生えてるって。あんた、言い方!」
「いーよいーよ、クリノスサン。そ、オレは漁師だったんだけど天候を読むのが得意でねー。腕を買われてココの操縦士に抜擢されたってわけ」

陸路、海路のみならず、飛行船の登場によって空路での行き来が可能となった時代。人の役に立てる今の仕事は自分の誇りだ、とロハンは笑った。

「海とともに在るのがオレらの誇りだけど、オレは空を見るのも好きだったからねー。天職だと思ってるよ」
「ふーん。で? その腕利きの操舵員が、なんでカシワにあんなしょーもない嘘をついたの?」
「しょ、しょうもないって。クリノス、お前なあ」

話を蒸し返されて一人慌てふためくカシワだが、クリノスはそちらには答えず黙ってロハンの解を待つ。
のんびりとした所作で飛行船を繰りながら、男の細められた眼差しは、ここではないどこか遠くを見つめているかのようだった。

「それねー。詳しくは知らないんだけど、『でぃのばるど』ってかなりの大物なんでしょ? そんな大物獲りに成功したのに、カシワサン落ち込んでたから」
「ロ、ロハン……そんな、俺のために……?」
「いやいや、なんでそこで感動できるの。チョロすぎない?」
「オレも大物……ガノトトスとかチャナガブルとか釣ると呆けることはあったけど、あんな哀しそうな顔したことないよ」

ずばっと振り向く女狩人から逃れるように、後輩狩人は顔を逸らした。いかにも「狩り場で何かありました」と言わんばかりの反応に片眉が上がってしまう。
見たところ怪我は軽微のようだったので、詮索もせず気に留めないようにしていた。これはユカも同じだろう。
しかし、何かあった、そしてそれを隠し通したいのなら態度に出さなければいいものを……歯噛みしたクリノスの耳を打ったのは、呑気な操舵員の声だった。

「ってことで、別のことを考えて貰った方がいっかなーと思ってした話なんでしたー。やー、そこまで真剣に考えてくれちゃって感謝感謝のゴメンゴメン」
「!? そ、それは反省してるのかしてないのか、どっちなんだ!?」
「どう考えても後者でしょ。ほんっと、人騒がせなんだから。カシワもあんたも……名前、ロハンだっけ? 次はわたしを巻き込まないでよ」
「うぐぉ……ど、どっちかというと人を騙した方が悪いと思うぞ、俺は」
「あのねえ、あんな分かりやすい嘘を信じるバカがいると思う? あ、いたか。ここに」
「クリノス! お前、どっちの味方なんだよ!?」
「わははのは。ゴメンゴメン。お詫びと言っちゃなんだけど狩り場に着くまでの間、快適な空旅を約束するよー」

操舵席近くにも木箱は積まれている。互いに何か言うでもなく、狩人たちはそれぞれ別々の箱に腰を落ち着かせた。
なんとなく黙って様子見していると、カシワはロハンに言われたことで何かを思い出したのか、険しくした顔を俯かせて何事かを考え込み始めている。
悲痛を飲み込む、苦悶の表情だ。片膝に頬杖をついていた女狩人は、呆れ混じりに嘆息した。

「で? 何があったの。古代林で」
「! それは、」
「これから挑むのは今まで相手にしてきたモンスターとはレベルが違うんだよ。考えごとしながら戦える相手じゃないってことー」
「……俺は、死ぬつもりは」
「ねえ、こんなところでフラグ立てるのやめてくれる? 巻き添えなんてごめんなんだけど」
「……」
「カシワ?」
「狩り場で……知らない子どもに会ったんだ。何も悪さをしてないディノバルドを何故狩るんだ、って聞かれて……俺は、上手く答えられなかった」
「知らない子ども?」
「ああ、見たことない民族衣装みたいな格好で……ベルナ村でも見ない顔だった」

後輩狩人は苦渋の面で拳を握る。一方で一字一句を脳内で反芻させて、クリノスはこれ以上ないほど深く眉間に皺を刻んだ。
大型モンスター、それもヌシと呼んでも過言ではないクラスの獣竜種。それが居合わせる場に一般人がいることもおかしいし、何よりその言い分もおかしい。
さもモンスター側の創意と言わんばかりの発言だ。カシワがそれを真に受けていることも――気持ちは分からなくもないが、同意しがたい。

「あんたは、その子になんて答えたの」
「そいつ、直接ディノバルドに攻撃されたわけじゃないらしいんだが怪我しててさ。『逃げ遅れが出てる時点で駄目だろ』って、そう言った」
「ふーん。で?」
「血を流した側がいるなら狩られても文句は言えないはずだ、って……向こうが納得したかどうかは分からないままだ。その後、すぐ狩りに行ったからな」
「ふーん。あっそ。なら、それでいいんじゃない?」
「なら、って……クリノス、お前」

どこの誰かは知らないが、狩人の矜持が芽生えかけてきたところをよくもあっさり折ろうとしてくれたな、とは思う。口には出さず、クリノスは鼻で笑った。

「狩らなきゃ誰も助からなかった。仮に狩り損なったら、あんたよりもっと腕の立つハンターが呼ばれてた。どっちにしても狩猟は避けられない」
「だからって、」
「だから何? わたし『たち』はハンターでしょ。考えも、誇りも、目的も目標もそんなに簡単にブレさせるなら、それこそあんたハンター向いてないよ」

まくし立てるようにぴしゃりと言い返せば、カシワは怯むようにたじろいだ。気圧されているのか、肩が僅かに強張っている。
失望か落胆か。顔を歪ませてこちらを見る後輩狩人に向けて、クリノスはわざとらしく口角をつり上げた。

「っていうか、誰かに何か言われたくらいでいちいちウジウジしないでよ。めんどくさい」
「んなっ!? お前、そんな言い方……!」
「馬鹿なの? 災難だったのは縄張りを歩いてただけで狩られたディノであって、あんたじゃないでしょ。うぬぼれんな」

彼にとっては聞き捨てならない台詞だろう。この後輩狩人は「狩猟のセンスは持ち合わせていながらも、ハンターらしからぬ思考」を働かせるきらいがある。
同情するのも憐れむのも、己にあらざる他の生命だからと切り捨てるのも――クリノス自身はそれを好まずとも、思うことは個々の自由だ。
しかし、カシワのようにモンスターの立場に入れ込みすぎるのは……早いうちに自分で気づけたらいいんだけど、と女狩人は決して吐かない本音を嚥下した。
予想した通り、カシワは瞬時に顔を真っ赤にして牙を剥く。直前まで斬竜と対峙していたのだから、その怒りもごもっともだ。

「うぬぼっ……お前なあ! ディノバルドは、あいつはっ!! あいつなりに必死に生きて、命を懸けて戦ったんだぞ! それを……」
「そりゃそうでしょ。死にたくないのは誰でも一緒、今まであんたが食べてきた肉や魚も全部一緒。なにも、大型モンスターだけが特別なわけじゃない」
「いっ、今はそんな話してないだろ!?」
「同じでしょ。何、可哀想とでも思った? ……思い上がるなよ、あんたの目標は『その先』にあるんでしょ。それまで死ぬ気がないなら、目を逸らすなよ」

避けては通れぬ道だ。しかし、ゆっくり「それ」に考えを巡らせることができるほどハンターは暇ではない。
腕利きであればあるほど、知識があればあるだけ余所から頼られ、求められるのが日常だ。それだけモンスターという存在が強大である証ともいえるだろう。
強さを示せなければ、カシワというハンターの名を世に知らしめなければ、古龍種や――その先に挑む権利は得られない。
たとえ、数多の飛竜を駆遂することになろうとも。数多の肉と骨を屠り、血に塗れることになろうとも。

「狩ったなら、糧にしたなら、罪悪感で縮こまるよりハンターとして胸を張りなよ。あんたは自分で狩るって決めて、アルくんと古代林に行ったんでしょ」

後輩狩人は途端にしゅんとして俯いてしまった。誰でも通る道だからこそ、クリノスはそれ以上を責められず言葉を詰まらせる。
……それと同時に、カシワのために何故ここまで熱くなる必要があるのか、とげんなりとして顔を歪ませた。
自分は、幼い頃に魅せられたレアアイテムを自力で手に入れ、大元となるモンスターに思いを馳せたいがために早くからこの仕事に就いた身だ。
希少な鱗や玉石の多くは難易度の高い狩猟対象から得られることが多いため、早いうちから腕を磨くことで少しでも彼らに遭遇する確率を底上げしたかった。
ステラと出会い、また別のハンターと手を組み、様々なモンスターの狩猟権を得る中でクリノス=イタリカは想像だにしない壁にぶつかった。
周囲の当然の反応、腕利きのハンターに寄せられる純粋な好意と敬愛――彼女が忌避する「英雄扱い」だ。

(お礼言われるのは別にいいんだけど、自分がしたくてやったことだし……カシワと違ってそんな喜べないし)

好きでしていることを過剰に褒められるのは性に合わない。気恥ずかしさも、もちろんある。
狩りを続ける動機を自ら不純とは言わないが……むず痒くてたまらなくなるときがクリノスにはあったのだ。こればかりは自分でもどうしようもない。
だからこそ、この後輩狩人には頑張って貰わなければならないのだ。彼がうまく隠れ蓑になってくれたなら、それこそ何の気兼ねもなく素材を獲りに行ける。

(カシワは……人が好すぎるんだよ。ハンターとして狩り自体は楽しんでるのに殺すのは嫌、って。躊躇したところで相手が汲んでくれるわけでもないのに)

最終的に、言い返そうとしたのか、逃げ出そうとしたのか――ガタンと音を立てて立ち上がった男の顔めがけて、クリノスは手近にあった本を投げつけた。
正直なところ、避けるなり受け止めるなりすると思っていたのだ。予想に反して、カシワはたまたま開かれたページを顔面で熱く抱きとめた。

「!? ご、ごめん! 大丈夫?」
「……ッ、お前なあ……あとで覚えとけよ……!」

先ほどまでの怒りはどこへやら。赤くなった顔をさすりつつ、後輩狩人は取り落とした本を丁寧に拾い上げる。
「月刊・狩りに生きる」。全国津々浦々のハンター向けに発行されている、狩りに関するありとあらゆる情報を網羅した人気の冊子だ。
ハンターズギルドだけでなく現役のハンターや生態研究の権威、最新のコーディネーターまでもがその執筆に携わっており、一般層にも広く支持されている。
無論、クリノスも愛読者の一人だった。ことに実家の母や兄に「ハンターを始めたらまずはこれ」と推されていたので、読まないという選択肢すらなかった。
……だがしかし、訝しむような目でパラパラとページをめくるカシワを見て、クリノスの脳裏に一抹の不安が過る――

「なあ、なんでマイハウスの本棚にもあった雑誌がこんなところにあるんだ?」

――案の定。案の定だ、この男はハンターとして初心者も同然なのに「狩りに関するありとあらゆる情報」を掲載した本に目を通したこともないらしい。
思いきり殴ってやりたくなった。ロハンの目があるので、そこは拳を握ってなんとか堪えることにする。

「あー、心配したわたしがバカみたい! ……なんでもない。なんとなくそうかなーって思ってたし」
「はあ? なんの話だよ、この雑誌そんなに凄いのか」
「……ロハンー? マタタビあげるからこの馬鹿にワールドツアーとか二回転ひねりサマソーとかやっちゃってー」
「やー、クリノスサン。さすがにオレもそんな高難度クエスト受けられないわー」

真剣に答えたのが馬鹿らしくなって、クリノスは木箱に座り直した。手入れが半端になっていた剥ぎ取りナイフを取り出して、再度表面に砥石を滑らせる。
カシワは、何やら小難しい顔をして情報誌に目を通していた。あるページまでめくったところで、その表情に僅かに歪みが生じる。

「なに、どしたの?」
「……いや、なんでもない」

後輩狩人はまともに先輩狩人に応えなかった。目に留まった最新の報告に添えられた一枚の絵が、他の記事に比べてあまりにも不気味なものだったからだ。
描かれるのは二つの骸。白塗りの竜の頭部を頂点に据えた二対の腕が、暗がりの中でぼうと青白く光る様だった。
「どこかで見た」ように感じて、雑誌を抱える手に力が籠もる。彼らの困惑と疑問に反して、飛行船は順調に古代林方面へと向かっていた。






空気が変わる、湿気を帯びた風が頬を撫ぜる。山々の上を越え、大河、草海原、広大な森林地帯を眼下に臨んだ。
見覚えのある特徴的な菌糸類の集合体が流れ去り、次第に景色は暗く、冥く閉ざされていく。
カシワとクリノスはロハンの元を離れ、船首、一番景色がよく見える場所から身を乗りだした。連なり、雷鳴も上げぬ不気味な暗雲が前方に広がっている。
東の空に薄明光線が見えた。正確には分厚い暗雲が晴天を遮って、正しい陽光があたりに降るのを妨げている。

「『竜ノ墓場』。世間様を騒がせてる、超大型古龍種のねぐらだよ」

高まる緊張感の中、ロハンの声が一転して低くなったのを女狩人は耳にした。
振り向いた先、武骨な腕のみならず目尻、額や頬、至るところに白と青……そのところどころに混ざる桜火竜に似た桜色の化粧が目に映る。
男は不穏に笑んでいた。舵を握る手に力が込められ、操舵輪がみしりと軋む。後方で移動用の小型船準備に追われるエリザベスらに、彼は見向きもしない。

「かつて、モガの村を崩壊寸前にまで追いやった古龍の名を知っているかい。海をたゆたい、波間にうたい、廃墟が眠る海底に住まう、大いなる海神の名を」
「それって……ロハン、あんたまさか」
「ここに座す龍は、そんな我が神をも胃に収めた不届きものなんだよ。新たな神、つまりは幼体を好んで捕食していたそうだけどね」

思い出す。思い返す。モガ、海上のごく小さな村を滅ぼしかけた白塗りの古龍のこと。ステラや彼女のオトモらと共闘した、今なお鮮やかな青の記憶のこと。
圧倒的な存在感と荘厳さ。美しい長躯と大角、怒り時に体表の微生物を桜色に活性化させる発光器官。その力は、まさに神と例えるのに相応しいものだった。
クリノスは知らず歯噛みしていた。ロハンの言う「海神」とは、自分が生まれて初めて邂逅した超大型古龍のことだ。
その幼体が実在していることにも驚いたが、まさかあれほどの生き物を喰らうものがいようとは……。

「カシワサン、クリノスサン。その存在感から古龍を神として崇める者は多いんだ。オレもそう。この戦いは、キミたちのためだけのものじゃないってこと」

ロハンのメイクは、白が彼の龍そのものを、青がその支配域を、そして桜色こそが喰われたことへの怒りと嘆きを示すもの。
よくよく目を凝らせば、桜の塗料だけが真新しいものであるように見えた。彼がここにいるのは、龍歴院に操舵員として指名されたからなのか……それとも。

「だからって、あんたを連れてその……竜ノ墓場、だったか、そこには行けないぞ。ロハン」
「ちょっと、カシワ!」
「狩るのは俺たちの仕事だ。あんたはここでエリザベスたちと身の安全を優先してくれ。何かあったら、あんた、二度と神様にお祈りできなくなるだろ」

カシワの声に濁りはない。それどころか、困惑や躊躇といった陰りも見出すことができなかった。
今、後輩狩人は眼下に座す古龍を狩ることだけを考えている。数ヶ月前の彼ではとても想像することもできなかった振る舞いだ。
言ってることはちょっとアホっぽいけど――クリノスはカシワに一瞥を投げてから、ロハンに頷いた。

「ナバルデウスの角をへし折ったハンターとしては、黙ってられないかもね。いいよ、どんな顔してるか拝んでくるから」

風が荒ぶり、大きく船体を揺らす。このままでは危険だと、エリザベスがベースキャンプへの移動を勧めてきた。
オトモたちを連れ、操舵員の答えも待たずに小型船に飛び移る。ふと振り向いたクリノスは、あの赤髪の騎士がようやく目覚めたところを目の当たりにした。
銀朱の瞳と目が合ったとき、妙にほっとする――目が覚めたのなら、それでいい。
狩猟を取り止めることはできない。愕然とするユカを置き去りにしたまま、狩人たちは切り立った鋭い崖の上へと降り立った。





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 UP:22/09/29