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モンスターハンター カシワの書(44)

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歳月を重ねた土壌に古代の植物が連なる。剥き出しの地層から顔を出す黄金の化石が、物言わぬまま状況を見守っている。
重くなった足取りを受け止めるのは地表を埋めつくすコケ類で、天から射す僅かな光をやんわりと跳ね返し、あたりを明るく照らしていた。
あまりの明るさにこの場所が地下であることを忘れてしまうほどだ。湿気が濃くなり、俄に息苦しくなる。

「ディノバルド」

カシワが茶褐色のミズゴケを踏みしめたとき、逃走していたディノバルドは眼を怒りに染めて狩人らに振り返った。
……大多数のモンスターは重傷を負うと巣に戻り休眠する。少しでも体力を取り戻し、次の手を打とうとするのはどの種にもみられる生存本能だ。
しかし、眠っている暇などない、そう言わんばかりにこの獣竜は目蓋をこじ開けていた。ヒビの入った尾刃を前に構え、迎撃ともとれる体勢を崩さずにいる。

「……お前、本当に凄いな」

額は割れ、血は止めどなく流れ落ち、息も絶え絶えだった。だというのに、空色の両眼には未だに闘志の火が燃えている。
自分ではこうはいかない、タスクギアの柄に手を掛けながら後輩狩人は冷や汗とともににやりと笑いかけた。
つい、思いがけず――先の対決の折、面と向かって決闘を挑むポーズをとってしまった自分だ。今回はディノバルド側が応戦の構えを見せている。

「だっ、旦那さん……」
「アル。隙がありそうならシビレ罠の準備、無理そうなら攪乱してくれ」

苛烈な猛攻を魅せた青黒の大剣は、今は巨大な盾となって立ち塞がる。
じり、と足を動かしたとき、目に見えない火花が宙を駆けたのが視えた。緊迫、斬竜の咆哮。その真意は底深く計り知れない。
オトモと左右に分かれて駆け出せば、ディノバルドが撃った岩漿が三方向に散らされた。アルフォートは頭を抱えて転がり、カシワは前に跳び直撃を避ける。
煮えたつマグマがミズゴケを焼き、異臭と蒸気が上った。氷霜を走らせながら結氷の刃が空を切り、いまは熱を持たない灼熱の刃に肉薄する。

「うぅ……ッ、かっ、て」

ぎりぎりと鍔迫り合いが鳴る。炎熱していないからか、艶めく尾刃に小さなキズ一つ入れられない。
弾かれ、受け身も取れずに転がされる。見上げた先には確かに先ほどの草原での攻防で得られた巨大なひび割れがあり、攻撃自体は届いているのだと知れた。
手応えならある、しかし叩き折れる気がまるでしない。お前では力不足だ、そう宣告されているような気になった。

「旦那さんっ!」
「アル、俺は大丈夫だ。ディノバルド……お前、『何がしたい』んだ!?」
『……!!』

何事か叫びかけ、しかし斬竜はぎしりと牙を鳴らす。閉ざした口端からぼたぼたと血か岩漿か分からない深紅が溢れ、茶褐色を覆った。
ディノバルドは動かない。跳び退くことも軸合わせすることも、更に隙を見せた獲物に追撃を入れることすらせず、ただじっと尾刃を差し出しているだけだ。
たまらずカシワは駆け出した。得物に赤色の刃薬を滴らせ、気化されゆく勢いそのままに正面から斬りかかる。
軌道は反れず、相手は逃れようともせず、斬撃はすんなりと降っていった。すでに開かれている傷口は余計に痛々しく血肉を散らせ、竜に苦鳴を叫ばせる。

(まさか、そんな……お前、このまま俺に狩られるつもり、なんてことは)

息を呑んだ瞬間、恐ろしい絶叫が鼓膜を打ち貫く。至近距離で聞かされる大型モンスターの咆哮ほど恐ろしいものはない。
たちまち後輩狩人の体は硬直し、形勢はディノバルド側に返された。軋みながら巨躯が蠢き、真正面から隙だらけの獲物の姿を捉え込む。

「旦那さん!! しっかりしますニャ!」
「うおっ!?」

炎が噴き荒れる口が首ごと伸ばされ、火竜が守護する両腕に牙を立てようとする。一瞬、僅かにアルフォートの動きの方が早かった。
突き飛ばされ、情けなくもんどり打って倒れ込む。ばっと顔を上げた先、黒毛のメラルーは凶悪な牙から身を守ろうと、懸命に燕雀石製の得物を構えていた。

「!? しまっ……」

……助かるようにはみえない。閃光玉か、シビレ罠か、角笛なら――頭が真っ白に染まり、切実に伸ばした手が空を切る。
刃薬をはじめ、手持ちの狩猟道具がバラバラと半開きのポーチから零れ落ちていった。何故かその一連の流れが妙に遅く、重たい時間経過のように目に映る。
ぐんと首を伸ばしながら、ディノバルドは器用に尾刃をも動かして刀刃に焔を点けた。獣人の次はお前だと、血走った空色が物を言う。

(……なんで、こんなことになったんだ)

狩人は混乱していた。流血と憎悪に濡れた斬竜の眼差しは、もはや焦点が定まっていないようにも見える。
本能からか無意識に駆け出して、ふと双方と距離が縮まらないことに気づき、焦り、カシワは言葉にならない声で喚き散らした。

「……て……待て、頼む、待ってくれ!! ――アル!!」

数秒遅れで、全ての物音が鼓膜に届けられる。眼前、アルフォートは身体を寸断される寸前だった。
振り向きもしない蒼天の眼。殺されるかもしれない、喰い千切られるかもしれない、それが分かっているはずなのに彼の獣人は一滴の涙も零さない。
あれだけ泣き虫だったのに、あんなにモンスターに怯えていたのに……これが最期とでも言うように脳内を記憶が駆け巡り、咄嗟に氷霜の剣を振りかぶる。

「っの……やめろって、言ってるだろ!!」

得物を投げつける構えをとった刹那、不意に頬に冷たいものが触れた――いつしか、古代林の奥底に「雨」が降り出している。

 ――もう、お止しなさい。まことに残念ながら、貴女のことは刻限となりました

そのときだ。
凍て刺すような、一筋の、たった一振りの太刀筋が天から降った。音はなく、視界を白く塗り潰すこともなく、ただまっすぐに燦然と閃電光が落ちてくる。
世界はいつしか漆黒に沈んでいた。冷ややかな雨が底無しに降り注ぎ、前触れひとつなく現れた雷雲が猛烈な風を連れてくる。

「ッ、うわっ……」

雨風にあおられ、片手剣の重みが足腰の重心を傾がせた。勢いよくしっかりと前に倒れ込み、湿気と草のにおいを嫌というほど肺に吸い込む。
雨と風、雷鳴が五感を飲み込んでいった。わけも分からず、カシワは突っ伏したままのろのろと辺りを見渡した。

「旦那さんっ!」

暗がりの奥から何かが頬に伸ばされる。ぷにっと気の抜ける感触で、どこか懐かしい覚えもあった。目を見開いた先には見慣れたアルフォートの顔がある。
歓喜が、全身を駆け抜けていった。得物をたぐり寄せることも忘れ、ちっぽけな体を無我夢中で引き寄せる。
ぐずぐずに濡れた防具が双方の体温を奪っていった。それでもオトモが無事であったことに、後輩狩人は心の底から安堵する。

「アル! よかった、よかった……」
「だだ、だんなさ、く、苦しいですニャ……」
「わ、悪い。あっ、そうだ! ディノバルドは……っ!?」

いまは、狩猟のまっただ中だ。呆けていられる暇はない。はっと我に返って暗がりに目を凝らしたとき、ふたりの狩りびとたちはすぐさま言葉をなくした。
……死が匂い立つ。天から降ったたった一度の神鳴は、ディノバルドの頭部のみを正確に捉え、穿ち、貫いていた。
夏空や地底湖などと同じ色をしていた眼は濁り、しっかりとした後脚がよろりと揺れ、そのまま自重に負けてコケの上に倒れ込む。
ズズン、と大地が震え、つられて体がふらつき、狩人とオトモは互いの腕を掴み合った。今や、恐怖、否、畏怖という感情だけがふたりの体を拘束している。
あれだけ誇り高く、あんなに傷だらけになっても戦おうとしていた斬竜が……震えが止まらないのは、雨による寒さのせいだけではない。

「……いったい、何が」

ぎりっと強く歯噛みしてカシワは立ち上がった。緩慢な足取りで顔の傍まで近寄るも、倒れ伏したディノバルドは目を覚まさない。
傷口だけでなく鼻口、眼と、ありとあらゆる部位から出血が溢れ、電紋が浮き、特有の臭気が雨の中に感じられた――惨たらしいとしか言えない遺骸だった。
とても直視していられない。込み上げてきた何かをぐっと飲み込んだ瞬間、アルフォートが血相を変えて駈け寄ってくる。

「だっ、だ、だんっ、だ、旦那さん!!」
「アル? どうし――」

――雨が止んだと、気がつけたのはそのときだった。
遙か彼方、メラルーが指差す先、辛うじて視認できる古代林の果てのひとつ。切り立った影の上に、たったひとつ、この場に相応しくないものの姿が見える。
それは眩く発光していた。白か青か、それとも混合色か。そういった青白い身に光を纏い、雷雲で冥く濁った視界の中、唯一燦然と輝いている。
いやに白い体躯だった。星や月を地上に落としたらこんな形になる、そんな馬鹿げたことを思わせる妙な存在感が備わっている。
小柄な体格に四本脚。後ろの二本脚には包帯のようなものが巻かれていたが、すでに解けかけ風にそよいでいた。

「……あれは、」
「きっ、き……『キリン』、ですニャ……ボクも、見るのは初めてですニャ」
「キリン? なんだ、それ」

ばっ、と抗議の眼差しでアルフォートが見上げてくる。カシワはそれを平然と無視した。
今は知識より「それ」本体の方が何より大事だ。あれほど遠く離れているのに、不思議と白い光やたなびくたてがみ、赤色の眼の形がはっきりと見てとれる。
不思議と惹きつけられる、緋鳶石によく似た眼だった。ふと、どこかで似たようなものを見かけたような気がして後輩狩人は首を傾ぐ。

「どこかで……いや、気のせいか」
「ニャァ……キリン……キリンを、そんな……知らないハンターがいるニャんて……」
「アル。一旦戻るぞ、調査隊を探しに行かないといけないだろ」
「ニャイ……ニャ、ニャイィ!? いやっ、で、でもっ、こりゅ……う、うううぅっ、りょ、了解しましたですニャ!」

ずぶ濡れでありながら、なおかつアルフォートはぼろぼろと泣き出した。よっぽど怖かったんだろうなあ、そう考えてカシワは一人うんうん頷く。
そもそも、自分とてこうして落ち着いていられるのは彼が無傷であったからだ。あの落雷がなければ、きっと今頃……

 ――「すかーふ」の分は、これでお返ししましたよ。ハンター様

……結果がどうあれ、斬竜の狩猟は果たせた。労るように頭部に手のひらを乗せた瞬間、後輩狩人は何者かの囁きを聞いたような気がしてはっと振り返る。
いつしか、崖の上の白い生物は消えていた。最初から、初めから。その場に何もなかったように、影一つさえ残していない。

「ん? ああ、晴れたな……本当に、お前の眼と同じ色だな」

ふと、光が射し込む。雷雲は取り払われ、晴天が覗き、古代林の奥底にも穏やかな陽光が戻されつつあった。
焼け焦げたミズゴケや、裂かれ、焼かれた巨大ゼンマイが、狩猟の激しさとディノバルドの執念、雷の苛烈さを静かに物語る。
温度をすっかり失せさせた青黒の甲殻から、カシワはそっと片手を外した。美しかった空色の眼は白く灰色に濁りきり、一片の光も照りかえすことはない。
感慨深い、憐憫……といったら無礼だろうか。手練の武人としか言いようのない見事な立ち回りを思い返して、後輩狩人は小さく息を吐く。

「旦那さん、これ、落ちてた道具と……その、剥ぎ取りはしていかないのですニャ? 調査隊の人たちも大事ですけどニャ……」
「アル。あー……そう、だな。これ、とどめをさしたの俺ってわけじゃないんだけどな」

一刻も早く救援に向かおうとした足をオトモに呼び止められ、カシワはそれもそうか、と思い直す。
顔の横を通り、巨躯を見渡し、何かを掴もうと足掻くように半開きになった前脚を見下ろしてから、腰に下げた馴染みのナイフを抜き取った。
身じろぎどころか痙攣さえしない甲殻にそっと手を添え、生え方に沿って切っ先を死骸に深く刺し込んでいく。
……今回の討伐を果たしたのは自分ではなく自然そのものと言えた。しかし、武具を新たにして斬竜に挑んだ結果、その有用性には目を見張るものがあった。
ディノバルドの素材なら、この先自分にとって必ず力となってくれるはずだ。後輩狩人にはその確信があった。

「剥ぎ取りもしないで放置するなんて……そんなの、お前にも失礼だよな」

また、粛々と剥ぎ取りを進めながらこうも思う。
これまで自分は、大型モンスターについては「捕獲」することでクエストを終わらせてきた。討伐して完遂としたのは、せいぜい小型狩りくらいのものだ。
つまり、討伐したのはこれがほとんど初めての経験といえる。ディノバルドの長躯を改めて見据えて、ぐっと両目を閉じた。

「……凄いな。凄いよ、お前たちは。だから俺はお前が怖いんだ。ディノバルド」
「旦那さん? なにか言いましたのニャ?」
「何でもない。急ぐか、アル」

震える手でナイフを腰に下げ戻す。解体した素材はいったん遺骸の側に寄せておき、脳内地図を頼りに地下エリアの奥へと足を急がせた。
一度だけ振り返る。物言わぬ巨影は、血と岩漿にまぎれて独り、静かに落涙しているように見えた。






……全てのことに、ようやく片がついた。そう気がついたとき、ぽっと胸のあたりに穴が開いたような心地になった。
誰の姿もないことを確認してから背を伸ばす。人間はおろか四足歩行の竜獣たちすら寄りつかない高台は、支配域を見渡すことのできる数少ない穴場だった。
樹海、草海原、維管束植物の畑、化石群。高い湿度と豊潤な水場、足場として成長しきった菌糸類は、永く生きる現在においても見飽きるということがない。
ひとり立ち尽くした「白い子ども」は、ある一点に赤い眼を向ける。高台の下、眼下に暗く淀んだ大穴が一つ見えた。

『おやあ、「霊獣」じゃあないか。久しぶりだねえ』

不意に、あたりに白色が立ちこめる。靄、いや、霧か煙か、それとも霞か。どろりと纏わりつくような湿気には、確かに覚えがあった。

「こんにちは、『霞の方』。このような遠き地に一体なんの御用でしょう」
『まあまあ。お互い、幻だのなんだのと言われている仲じゃあないか。そう怒らないで欲しいのだけれど』

白霧の中から姿をみせたのは顔なじみの相手だ。藤色の体表に凹凸の目玉が特徴的で、どこかのんびりとした所作が特有の存在感を放っている。
特段、仲が良かったわけではない。彼に会うのはかれこれ数十年ぶり、いや、下手をすればそれ以上だろう。
飄々として掴み所がない気質は、相手の固有能力が大いに関係している。食らいつこうとすれば容易に丸め込まれることを、子どもはとうの昔に知っていた。

「怒ってなどおりませんよ。ただ、貴方様の来訪はとても珍しいことだと思いましたので」

くるりと長躯で隠すようにして、「古の幻影」はこちらの痩躯を取り囲む。遠慮がちに表面に触れてみれば、細やかな金属粒子の流動が指先を煌めかせた。
なんとも言えない、虜にされそうな独特の手触りである。うん、と一人納得するように頷いて、子どもは頭上を仰いだ。

『そんなに珍しいことかなあ。最近の僕はね、ほら、うんと高い天に届くなんて言われている素敵なところに観光に行ったりなんかもしているのだけれど』
「ええ、其処でしたらわたくしにも覚えがありますよ。居心地がいいので、つい長居したくもなりますが」
『うんうん、そうだよねえ。それなのに、クシャナなんて「あまり遠出するな」なんて言うものだからさ』
「霞の方。御用件はなんでしょう、そのような話ではないのではありませんか」

キョロリと目玉がこちらを睥睨する。何を言われるのか、身構えた矢先、藤色の怪異はふすんと鼻息を大きく漏らした。
あからさまな嘆息。元から感情の機微を見通しにくい相手とは思っていたが、ここまでとは……拍子抜けして、子どもは胸を撫で下ろしながら身じろぎする。

『いやね、僕も長く生きすぎたから、例えば探しものなんかがあってもなかなか見つけにくくなってしまってさ。今日は、それの確認にね』
「……、あまり、気が進まない御様子ですね」
『うん、うん。君は物わかりが良くて助かるよ。クシャナなんて「くどい」とか「しつこい」なんて言うものだからさ』

能力、特性の面からみるに、彼と自分の相性は可もなく不可もなくといったところか。争わずに済むというならそれに越したことはない。
否、もとよりこの地は自分が「管轄を一任されている」特別な狩り場なのだ。来訪した側から仕掛けてくるとは考えにくい。
あくまで世間話を続行したいのか、当の幻影はぶちぶちと文句ばかりを並べ連ねた。
悪口にしか聞こえないが、彼とクシャナと称される存在が密かに親しいことは双方の会話からおおよそ把握している。主に後者は認めたがらないのだろうが。

「そうなのですか。それで、貴方様の探しものとはどのようなものなのでしょう」
『おやあ、協力を申し出てくれているのかい、霊獣。いいよいいよ、こういうのは自分から見つけてみせないと』
「……? ずいぶんとお気に入りのようですね」
『うん? そんなことは、』
「はい。わたくしの眼には、貴方様がとても浮き足立っているように見えていますから」

何気なく尋ねた瞬間、藤色の眼がバチリと大きく瞬く。珍しく、幻影は動揺しているように見えた。

『……それを言うなら、君の方こそ大丈夫かい。ずいぶんと落ち込んでいるように見えるけれど』

はぐらかされた、そう確信すると同時に子どもは肩を跳ねさせる。落ち着いた怪異の口調には、こちらの心情を見透かすような低い響きが込められていた。
見上げた先、藤と緑を混ぜ合わせた不可思議な色の眼球に緋鳶石の色が映り込む。
動揺、動転しているのが丸分かりの、未熟そのものとしかいえない生き物のありのままの姿があった。隠しても無駄かと開き直ることにする。

「……わたくしの知っている相手に、凄腕の武人がいたのです。身近で生まれ育った身でして、日頃から親しくしておりました」
『武人? 剣の達人、みたいなものかい?』
「ええ、そのようなものです。少し前に、ふたりの間に彼らの結晶が実りまして。わたくしだけでなく、彼らの顔なじみ全てのものが祝福しておりました」

ふたり、ぽつりと呟いた幻影に、つがいでしたから、鈍く呻くような声色で子どもは言葉を返した。

「仲睦まじく、うまくやれているようでした。近隣の天と地のつがいなどよりも、ずっとうまく……」
『そのつがいに、何かあったのかい?』
「ええ、そうです。その通りです。つまりは、わたくしの力が及ばぬばかりに……彼らのうち雄個体の方が、件の『骸の龍」の犠牲となりました』

藤色の怪異が押し黙るのと、子どもが俯くのは同時だった。これまでの一連の流れを思い返して、霊獣――幻獣キリンは、銀たてがみを震わせて歯噛みする。
周辺に雷雲が立ちこめるのを幻影は見た。怒り、悔い、何より強い嘆きの情。見下ろした先で、四本脚の獣は激情を流すように荒く嘆息する。

『つがいを亡くしたことで雌個体も不安定となり……狩り場を荒らすようになりました。小さなものたちが怯えるようになり、植物や地底湖も汚されて、』
『……霊獣。君は、』
『わたくしは狩り場の安定を図らねばなりませんでした。彼女は気の弱い質でしたが、あの地の秩序を乱すようであるならば……』

べちり。
不意に、頬に慣れない感触が走った。ぎょっとして眼を見開くと、艶めかしい質感の細長い物体が視界を過ったのが見える。
幻影が狩りに用いる、彼自身の自慢の舌だった。くるりと器用にそれを巻き取ると、藤色の怪異はさっさと手早くそれを口腔内に格納してしまう。

『そうかい。それは、とってもつらかったろうね』
『……霞の方、』
『僕も大したことは言えないのだけれどね。同じようなことを、経験したことがあったからさ』
『貴方様が、ですって? 歴戦の怪異である貴方様が?』
『僕だって普通の生き物だからねえ……けれどもね、霊獣。これは結果論だけど、つがい同士で暗がりに沈めたのだから彼らは幸せな方じゃないのかなあ』

『そうでも思わないと僕たちとしてはやっていられないからねえ』、ぱたりと翼がはためき、幻影はどこか遠い場所を見るように眼を逸らした。
意外な話を聞いたと、キリンは思う。普段、感情を出さずにのらりくらりと危機をも受け流す彼のことだ。
そんな怪異にも親しいものを喪った過去があり、今もなおその痛手を負っていようとは……まるで予想だにしていなかった。

『それに、霊獣。君の話が全てほんとうなら、残された結晶……卵か幼体かは知らないけれども、それはいま如何しているんだい?』
『結晶……っ代理のものが、狩り場の奥深い場所で保護してくれております。近いうち、孵ってくれることでしょう』
『そうかい、そうかい。それならなおさら、君が頑張った甲斐があったということだねえ』

はたと我に返り、急ぎ喚び寄せた雷雲を取り払う。情けない話だが、言われるまでそのことは失念していた。
自嘲気味に失笑していると、視線を感じて顔が上向く。途端にキリンは躯を強張らせた。いつしか、キョロリと目玉を動かした幻影と視線が重なっている。

『霊獣。君、「骸の龍」の生態は観測し終えたのかな』
『! ……ええ。所在についても、すでに調べてあります。わたくしの……わたくしたちの大切な狩り場を荒らした、張本人ですから』

そうかい、ぽそりと答えた怪異の声に、常の大らかさは含まれていなかった。
眼を逸らすように「件の潜伏場所」を見下ろしたとき、幻影もまたその一点を凝視するかのように首をぐるんと巡らせている。

『「竜ノ墓場」、だったかなあ。ずいぶんとまた、おあつらえ向きな名前に決まったねえ』

声色が一転する。濃霧がざわめき、質をより深く濃く変える。自分が当の龍というわけでもないのに、彼に直接怒りをぶつけられているように感じられた。
「特定の地域を守護し、管轄する任務」。この怪異と自分に課せられたつとめは、重責以外の何ものでもない。
だとすれば、彼もまた此度の事例を己が領域に当てはめて見ているのだろうか。霧に紛れて口角をつり上げた横顔を、幻獣はそっと見上げるより他なかった。

『霞の方。それでもわたくしたちは、』
『うん、うん。分かっているよ。仕方がないさ、実際にアレを手折りに行くのは「ぷろ」のお仕事だからねえ』

プロですか、そうともぷろさ、いやに愉しげに笑う古の幻影に、幻獣は首を傾げるばかりである。

『お手並み拝見といこうじゃあないか。僕の探しもののことだって、「それ」が測れなければお任せすることも出来ないからねえ』
『……本当に、貴方様の探しものとはなんなのですか。霞の方』
『おやあ、僕のことにかまけている暇はないのじゃなかったっけ、霊獣……そのうちね。気が向いたらまた話をしにここを訪ねることにしようじゃないか』

冥く、ありとあらゆる生命を手招くように開いた大穴。古代林の奥深く、樹海と大河に埋もれるように存在する「狩猟場」に生き物の気配は感じられない。
ひっそりと不気味な沈黙を保つ観測地点を見下ろして、幻獣は歯がゆい思いで緋鳶石の眼を歪めた。





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 UP:22/07/31