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ある魔獣の回想(楽園のおはなし4章SS)


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(遥か彼方に旅立つ 我が友よ)


濁流の淵に立つ二つの人影。曇天と鬱蒼と茂る林の陰りの中、双方の純白の聖衣は否応なしに目立っていた。
片方が片膝を着き、川を覗く。丸い目に収まる瞳は、夏空を思わせる青い色をしていた。
もう片方は立ち尽くしたままだった。屈んだ方を気遣うように一歩分だけ下がっている。

「ど〜う〜? マルタ姉さん」、立ったままの方が口を開いた。
「本当の本当に、この中にいるのっ? その、えーっとー……『タラスク』、っていう化け物は」

名を呼ばれた方、マルタは屈んだまま妹マリアに視線を向けた。

「何か、魚じゃない大きな陰が見えた」

確定かも、マルタは地面に垂らしていた長い金の三つ編みを背に回して立ち上がる。マリアは忙しなく瞬きした。
マルタとマリア。
異郷の地より自身らが信仰する教義を携え、異国の地に教えと道徳を広めるべく旅を続ける新米の修道女。
南方を目指し故郷を発って数年、辿り着いたこの小さな田舎町タラスコンで、二人はある物騒な噂を耳にした。
曰く、「凶暴凶悪な人食いの化け物が物資の行き来に使う航路を占拠している」と。
町民の話によれば、町を興す前からあった町外れを流れる肥沃な大河に、長年その化け物が居座っているという。

「『タラスク』ねえ。そもそも街を町を興す前からあった川なら、その子の住処だったかもしれないよね?」
「マリア、滅多な事は言わないものだよ。実際に犠牲者も出てるんだから」

マルタの厳しい声色に、しかしマリアははぁい、と気のない返事しかしなかった。
マルタは小さく嘆息する。呆れ半分、こんな時でもペースを崩さない愛妹への尊敬と愛情が半分、だ。

「向こうの橋が流されているのも、タラスクのせいだろうか……」

マルタの視線の先、マリアも倣うように川の向こう岸を見た。
東西に伸びる年季の入った木製の簡素な橋と、金属と太い丸太で作られた真新しい橋。
どちらも川の中央付近で真っ二つに折られ、向こう岸、町の郊外に渡る事は酷く困難のように思われた。
腐食や洪水によるものとは明らかに違う、第三者に裂かれた跡。それこそ、鋭い牙で食い千切られたような……

「で、で、そーれーでー! 姉さん、これからどうするのー?」
「うーん……」

スキップ混じりに歩き回るマリアに対し、濁流の奥に見えた巨大な陰を思い出し、マルタは小さく身を震わせた。
果たして、この姉妹は、町民からタラスク退治を請け負ったばかりであった。頼まれたのはマルタの方だ。
教義を伝えるのと引き替えに、町の災厄を払ってみせよう、と集会所で豪語してしまったのが今から数分前の事。
完全に姉のはったりに巻き添えを食らったマリアだが、彼女もまた姉と同様、自身の姉の事が大好きだったので、
まるで情報不足のまま、勢い任せに突き進む姉を追って、この大河までついてきてしまったのである……。

(すっごい被害だったっていうけど、今はー……誰も近寄ってないのかな。被害者の墓標は途中で見たけど)

町の郊外、大河の向こうに広がるのは、帝国の領域にあたる交易都市の数々だと聞いている。
無論、教義伝聞を旅の目的としている姉妹とて、大河を素通りするという選択肢は有り得なかった。
しかし、現状二つの架け橋は破壊され、昔はよく町民の好意で通っていたという渡し船も一隻も見あたらない。
タラスクの影響かはさておき、ここ最近豪雨があったわけでもないのに川の流れも異様に早い。
これから橋をかける、泳いで渡る、どころの話ではなさそうだった。

「マリア」
「ん〜? なぁに、姉さん」

名を呼ばれて振り返る。
見ると、姉は再び川岸間際に屈んでいた。倣うようにして隣に座る……あぐらを掻きかけて、軽く窘められた。

「さっきの話」
「ん?」
「ほら、タラスクの住処だったかもしれない、って」
「え? ああ、思いつきなんだけどね。先にこの大河があってー、川魚なんかがたくさん釣れるし、運河としても
 都合が良さそうだったから、ここにタラスコンを興す事にしたんでしょ? 上流にも下流にも交易街があるし」

地図を広げる。地図の南方、タラスコン川流域には多数の都市が点在しているのが見えた。
とはいえ、故郷から持ち出したやや古い地図である。まだタラスコンの町の名は記されていなかった。

「案外、人間に住処を荒らされてムッカーッ、て、怒ったのかもしれないよね!」
「分からない……どちらにせよ、神は何故ここまで凶暴な『魔獣』をヒトの世に野放しにされているのだろう」

マルタは眉間に皺を寄せている。女性にしては凛々しいその横顔に、マリアは俄かにうっとり見とれた。

「……さあねえ。だってわたし達、全知全能の神様、じゃーなーいしー」
「こら。神に仕える修道女が、そんな風に言わないの」
「え〜? だって姉さん、そんな事言ったら他の生き物を殺して食べる人間はどうなの、って話じゃない?」
「それは……そうかもしれないけど」

マルタは微かに嘆息。
マリアはどうにも屁理屈を捏ねたがる皮肉屋だった。修道女の道を選ぶ前、貧しい幼少の頃からその傾向は顕著で
周囲の大人達は手を焼いていたように思う。気付く度に窘めてはいるものの、改善される様子はあまりなかった。
その小生意気な性分も、時に抉るような鋭い指摘を放つ無謀な知性も、マルタ自身は決して嫌いではなかった。
ヒトは、自分にはない才持つ者に惹かれるとされている。
妹の歯に衣着せぬ物言いはこれまでも無用な争いを多数生んできた。それでもそれを疎ましいと感じた事はない。
頭を振るマルタを、マリアはきょとんとした顔で見ていた。深紅の視線に苦笑を返し、再び川に向かい合う。
濁りに濁った濁流。この中に巨体の化け物がいたとして、こちらを睥睨していたとしても、まるで違和感がない。

(……大山椒魚)

町民の話によれば、その全身は堅い鱗に覆われ、前足は四本、後ろ足は五本ずつの指を持っており、いずれも太く
鋭利な爪を生やし、背中には爬虫類が持つ巨大な背鰭を、また、長い尾は頑丈な上に無数の棘が点在するという。
爪同様に太く厚い牙も合わせ、件の化け物は川を渡ろうとする舟や人を無差別に襲い、引きずり込み、或いは橋を
破壊して、被害や発展の阻害を甚大なものにしている。このままでは暮らせなくなる、一部の者はそう涙した。
立ち向かおうとした勇猛な猛者もいたらしい。
しかし、化け物の巨体と凶悪な双眸は、一度でも目にした瞬間、あまりのおぞましさに身が竦むという。
こうして、魔獣タラスクは被害を拡大させていったのだ。
かといってこれ以上の被害を出すわけにもいかず、王都の精鋭部隊への出動要請も儘ならなかったという。

(そこに来た、ある意味無知な部外者のわたし達、か。そうだな、国に戻っても家族もないし)

都合が良かった、といえば自虐になるか。とはいえ、歳の離れた弟なら、いるにはいた。
自身と妹が「神の子」の教えに倣い、修道院に入ると告げた途端、胡散臭い、騙されている、と罵られたが。

(あの子、元気にしてるといいんだけど。一人じゃご飯も作れないのにな)

人懐こい笑顔が印象的な、可愛い弟。
悪戯好きで手を焼かされた。マリアとは特に仲が良かったように見えたが、それも思い込みだったのだろうか。
早くに両親を亡くして以来、貧乏ながら平穏な暮らしだった。姉として二人を引っ張ってきた自負もある。
それも案外、弟にとっては煩わしく、押し付けがましいところがあったのかもしれない。

「……ここで命尽きようとも、悲しむ者もなし、か」
「!? ちょっと、姉さん! 物騒な事言わないでよね!!」
「マリア」

独白のつもりが、口に出ていたか。いつしかマルタに抱き留められていた。

「姉さんがいなくなったら、わたしイヤだからね! それにタラスクがどんな子か、まだ分かんないんだから」
「お、おいおい……」
「そーだよ、まだわたし達の目で直に見たわけじゃないんだよ。決めつけるのも悲観するのも早いって!」
「マリア、分かった、分かったから……少し、弱音を吐きたくなっただけなんだ、すまない」

背中をばしばしと叩かれて、マルタは何度目か分からない苦笑を滲ませる。
痛かった、が、それよりマリアの本音が少しだけ嬉しかった――

「!」

――そのときだ。
二人の眼前、濁流が突如として水面を盛り上がらせる。激しい地鳴りと水飛沫に、マリアが先に悲鳴を上げた。
思わず庇うようにして、マルタは妹の身体を抱え込む。座り込んだまま、二人はその場から動けなかった。
視界が漆黒に染まる。否、正確には赤黒い、褐色といった方が近い。
水分を纏っててかてかと光る巨体は、まさに文字通り「化け物」と称するに相応しく、おぞましいものだった。

(ああ、神よ……我らが主よ、神の子……『イエス』よ!)

目を閉じる事も出来ない。内心、マルタは強く祈りを捧げた。

『……ゲ、ゴー……ゲー』

祈りが通じたのか、それは定かではない。
しかし、それは鳴いただけだった。雨乞いをする蛙のような野太い声で、何かを訴えかけるように鳴いたのだ。

「タラ、スク?」
「うわ、わ、で、でっかぁ……」

マルタもマリアも身を竦ませる。このまま食われる可能性もあったが、あまりの巨体と威圧感に動けなかった。
淀んだ水特有の匂い。ぬるぬるした表皮、滑り落ちる水滴。
魔獣タラスク。町民を恐怖と憤怒の底に叩き落とした張本人が、目と鼻の先にいた。

「……ん?」

ふと、姉に抱かれたままマリアが身を乗り出す。釣られるように、マルタも妹の視線に目を凝らした。
巨体。表現に困窮する独特のぬめりを帯びた、タラスクの皮膚。未だに滴り続ける水飛沫。
その僅かな隙間から、不意に、きらきらと光る何かが見えた。青白い、夜光虫か光苔のような微かな煌めき……

「……綺麗だ」
「うん。すっごく、綺麗」

声が重なる。思わず顔を見合わせ、姉妹は再びタラスクを見上げた。
光の正体は、鱗だった。微細な鱗が陽光を反射して、褐色の表皮から繊細な煌めきを零しているのである。
不思議と鱗本来の色と異なり、粉状にも見えるその光は、青白い、海面の輝きによく似ていた。
濁流に次から次へと吸い込まれていく、不可思議な光。恐怖、逃避願望といった感情は、もはや失われていた。
マリアが先に手を伸ばす。一瞬止めようとするマルタだが、妹は小さく頷いてそれを拒んだ。

「……思った通り。結構、冷たくて気持ちいいかも」

意外にも、タラスク自身も逃げようとしなかった。丸く、ごくごく小さな目を瞑り、されるがままだ。
視線に促され、マルタもそっと手を伸ばす。触れてみると、案外、タラスクの皮膚はぬるぬるしていなかった。
鱗に覆われ、堅くあるのに、少し力を込めると、赤ん坊の頬を思わせる不思議な弾力性が返ってくる。
鱗が薄く、中身は肉厚であるのかもしれない。山椒魚と魚の中間の生物。喩えるならそこが相応しい気がした。

「お前……綺麗な子だな」
『ゲ、ゴ、ゲー』
「! わぁ、また鳴いた! ねえ、姉さん。この子、ヒトの言葉分かるんじゃない? 返事してるのかもよ!?」
「……かもな。こら、マリア、あまり身を乗り出すんじゃない。落ちちゃうぞ」
「わあ、わあー! 賢いねえ、君、賢いんだねえ!」

はしゃぐ妹、苦笑する姉。開いた丸く小さな目が、仲睦まじい二人を見下ろしていた。
意外にもその視線に殺意はなかった。少なくとも、タラスク自身に悪意そのものは存在していなかったのだ。



……


「……ん、……ちゃん」
「……ん」
「――おーいっ! マーヨちゃんっ!」
「!」

名を呼ばれた直後、激しく身体を揺すられた。否応なしに現実に引き戻され、「真夜」はそろりと目を開く。
滲んだ視界の先、見慣れた二つの顔がこちらを見下ろしていた。

「真夜殿、こんなところで寝ていると風邪、を……!? どっ、どどどどうしたんだ真夜殿! 泣いっ」
「お兄ちゃん、うるさーい! ……マヨちゃん? どしたの、どっか痛いの?」

夢か。
心の中で呟いて、「現在の」タラスクこと、少女の姿に扮した魔獣・真夜は頷き返した。

「だいじょうぶ……ありがと、なんでもない、の。『かいん』、『あべる』」

見知った顔、見慣れた顔。二人の兄弟、カインとアベル。現在の、自身が護るべき大切な友人達。

「ゆめを……みてた、昔の、ゆめ」
「夢?」
「そう……ゆめ」

目を閉じ、記憶を反芻する。遠い何時か、この身体になる前、親しくしていた大切な友人達、マルタとマリア。
二人が決して、カインとアベルと同じ、或いは、転生したヒトではない事を、真夜自身も分かっている。
混同はしていない。だが、同一視していないのかと問われると、否と言い切る自信がなかった。

「……真夜殿?」
「マヨちゃん?」

抱き締める。抱き留める。腕を伸ばし、身を起こし、かつて二人の姉妹にそうしてやれなかった事を果たす。
カインとアベルは、不思議そうに顔を見合わせていた。
マルタとマリア。
真夜として産まれてくる遥か彼方、遙か昔に出会った、二人の友人。
今でも鮮明に、色鮮やかにはっきりと思い出す事の出来る、大事な思い出、そして、苦渋と悔恨。

「真夜どっ……ぐっ、い、い、いっ」
「まままマヨちゃん、痛い、いた、痛い、痛い!」
「……あ、ごめん」

「姉妹の最期を看取る事は叶わなかった」。力いっぱい全力で兄弟を抱き締めて、真夜はふと考える。
今度こそ。今度こそ、必ず護る、護ってみせる。
化け物に関わった、庇ったからという、そんな理由で、大切な友人達を死なせはしないと……

「まよ、結構、寝てた?」
「うーん、そうかも。勉強しよって誘った時から寝てたもん」
「真夜殿、確かにここは日当たりよくて気持ちいい所だが、お腹には何か掛けた方がいいぞ。冷やしてしまう」

腰を下ろしながら、カインが板張りの縁側をぺんぺん叩く。アベルはごろんと横になってしまった。

「……うん」
「あれ、マヨちゃん。もしかしてまだ寝ぼけてる?」
「うん……そう、かも」

カインが涙を拭ってくれた。いいなー羨ましいなー、とは、ブラコン気味のアベルの台詞。
ようやっと笑みが漏れた。母親似の丸く大きな目を綻ばせ、今この瞬間、この時間に、真夜は思う。
空を見上げる。

(マルタ、マリア。あなたたちにも……ふたりを見せたい。見せてあげたい。すてきなんだよって)

ゲ、ゴ、ゲー。
小さく鳴いた。今日も蒼穹には、すっきりとした青色が広がっている。




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 UP:15/06/26