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殺戮の天使と花冠(楽園のおはなし0/3章SS)


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そこは花の箱庭と呼ばれていたところ。
かつての大神・ゼウスの二番目の妻を囲っていたと言われる場所。
その囲われた女神を守るのは、審判官の対天使二人だったと言われている。
当時は四季の花々が季節関係なく咲き誇り、まさに花園だった。
今はその頃の面影すら無いほどに荒れ、朽ち果てていた。

その朽ち果てた箱庭の入り口に、サラカエルが立っていた。
普段は自身が仕える女神の傍を片時も離れないのだが、
その女神が溜めに溜めた仕事を片付けるために部屋に籠ることがある。
その時だけは邪魔するわけにもいかず、暇を持て余すことになる。
その空いた時間に、気まぐれにここを訪れるのだ。
といっても、サラカエルがここに来たのは、片手の指で足りる程度の回数だ。
来たくても来れないのではなく、意図的に忘れ来ないようにしているのかもしれない。

いつもは入り口で引き返すのだが、今日は己の気まぐれが今までにないくらい発揮され、奥に進むことにした。
使う予定も、つもりもないティーセットまで持ち出して、何をしているのだと自分が酷く滑稽に思える。
それでも、踏み入れてしまった足は迷うことなく、"あの"場所に向かっていた。


『サラカエル! お茶にしましょう。今日もピーチティーが飲みたいわぁ』
『はあ。よく飽きもせず毎回同じものを飲みますね』
『ふふ。だって、サラカエルが入れてくれるお茶は美味しいんだものぉ』
『はあ。誰が入れても同じだと思いますけどね』
『僕も、サラカエルが入れてくれたお茶が好きだよ』
『まあ……ウリエルがそう言うなら』


入れた紅茶を、女神と自分の対の天使・ウリエルと三人で楽しんでいた場所……楽しまされたと言うべきか。
サラカエルはぼんやりと当時を思い出していた。

(何をしてるんだ、こんな物まで持ってきて。もう面影すらも残っていないのに)

カップとポット、茶葉に桃の入ったバスケットを自嘲気味に見て、それでも足を進める。
当時は花園の真ん中あたりに、白い木で出来た品のいいテーブルと椅子が置かれていた。
そこでいつも三人、他愛ない事を話していた気がする。遠い昔のことで、交わした言葉を思い出すことは困難だ。
どうせ下らない事だったんだと思い出すことを止め、サラカエルは視線を前に向ける。
そうして目を見開いた。
ここに来るまでの光景は、草花が咲いているどころか、枯葉や木の枝が散乱し茶色の土がむき出しになっていた。
女神が休んでいた建物も原型を留めておらず、そこに何かがあったと微かにわかる程度の残骸だけだったはず。
サラカエルは今、目の前に入ってくる光景を疑わずにはいられなかった。

かつての三人が使っていたテーブルと椅子、その周りをかつてのままに花が咲いていた。
まるで今の今までそこに誰かがいたのではないかと思えるくらいに、そこには"色"がある。

「はは、僕は夢でも見ているのか……?」

殺戮の天使と謳われているサラカエルにしては珍しく、恐る恐るその場に近づく。
いつもはティーカップとクッキーの乗った皿が置かれていたテーブルに、ふたつの花冠が並べて置かれていた。
季節関係なく、これでもかと色鮮やかな花で作られた冠。
誰かの罠ではないのか、頭の隅で思いながらも、その花冠にそっと手を伸ばす。

触れた。

そう思った瞬間、目の前の光景は、まさに花弁が散ったように弾けた。
色鮮やかだったその場所も、周りの風景と同じに寂しく色褪せた。
我に返ったサラカエルは、少し肩を落とし目を伏せた。
何を期待したのか、例え以前の主がここにいたとしても、あの時には戻れないのに。

「サラカエル」

そう自分を呼ぶ声が聞こえた。
懐かしい声が、どこか間延びしていて、それでも不快と感じたことはない声。
遂に幻聴まで聞こえ出したかと、いよいよ自嘲する。

「それともウリエル?」

対を呼ぶ声。
もう一度聞こえた声に、サラカエルは声の聞こえた方に視線を向ける。
この短時間にこれほど驚くことになるとは、サラカエルは再び目を見開き目の前の後継を疑う。






今の肉体になる前の肉体の時。
大神に、地上のほとんどを流せと審判の命を受けた。
大規模な仕事で、この肉体では戻れないと確信したとき、サラカエルは主にそれを告げた。

「そう……お仕事に行かないといけないのね」
「ええ、今回はかなりの規模です。恐らく……いえ、もうこの肉体では戻ってこれないかと」
「そう……」
「実際に審判を下すのはウリエルですが……それを邪魔しようとする者達から守るのが僕の役割ですから」
「じゃあ、ウリエルもサラカエルも、戻ってこれないのね」
「いえ、多少時間はかかるかもしれませんが、次の肉体が出来れば戻ってきますよ」

そう、と微かに微笑んで主は瞳を伏せる。少し落ち込んでいるようにも見えた。
傍仕えなんていくらでも変わりはいるだろうに、変わった神だとその時は思っていた。

「じゃあ、戻ってくるまでたくさん花の冠、用意しておかないと!」
「頭が花だらけになりますよ」
「そっかぁ、じゃあネックレスやブレスレットも用意しておくわねぇ」
「……訂正します、全身花だらけになりますよ? そのおつもりですか」
「そうよぉ? サラカエルはみぃーんなに怖がられるんだから、見てくれくらい柔らかくしなきゃ!」
「そんなもので印象が変わるなら、とっくに変わってると思いますけどね」
「あらぁ? また嫌味なの? 今はねぇ、ギャップに萌える?女子が多いらしいわよ? そこを狙うの!」

瞳を輝かせる主に、サラカエルは首を傾げてみせる。もはや溜息も出ない。

「では、そろそろ行きます」

これ以上喋っていても特に意味はない。
どうせすぐに戻ってくるのだからと言い聞かせ、花園の出口に向かおうと主に向かって深く礼をする。
長く喋っていると"行きたくない"と、そう言ってしまいそうになる。
この女神に使える前も、別の神の元にいた。
しかしサラカエルは、その神々に対して"主"だと"仕えている"と思ったことは一度たりともなかった。
それが天使の性分だと、神に尽くすようにそう作られた存在なのだからと。
それでもこの女神には、特別な想いが生まれていたような気がした。

顔を上げ主の瞳を見た後、ゆっくりと背を向け歩き出す。
主が見ている前で、翼で飛び立つのは違う気がした。
今までの神々にはできていたことなのに。

「サラカエル」

背を向けて、直ぐに呼び止められた。

「はい?」

少し、期待を抱いて振り返り返事をする。
もしかしたら、ひょっとしたらこの女神は言ってくれるかもしれない。
"行かなくてもいいよ"と。

「大丈夫よ」

期待は崩れる。
そうだ、この女神は大神の妻というだけで、なんの権限もない。
心臓を鷲掴みされたような苦しさが、サラカエルを襲う。

「少し……少し、時間は掛かるけど、サラカエルもウリエルも、ずっと一緒にいられるようになるわ」
「……?」
「もう、身体を取り換える必要もなくなるわ。」
「それは……予言ですか?」
「ふふ、どうかなぁ。でも、大丈夫よぉ」
「直ぐに茶化す……もう、行きますよ。ウリエルが待ってる」
「うん、気を付けてね……って言い方も変よねぇ。んー、うん、頑張ってきてね」
「ええ、さっさと終わらせて帰って来ますよ」

主は微笑み、小さく手を振った。
それを見届けて、今度こそサラカエルはその花園から飛び立った。
その肉体での記憶はそれが最後だった。
主の微笑んだ姿が、それだけははっきりと思い出せる。


今の主に仕えるようになってすぐに、サラカエルはここを訪れていた。
箱庭の入り口に立ち、朽ちた様子を目の当たりにして、その時はそれ以上は進めなかった。
それと同時に、その箱庭の女神の行方が知れないと噂で知った。
それきり、噂以上の情報を知ることはできず、その女神の話をする者もいなかった。






「また、夢でも見てるのか……まったく、疲れているのかな……」

目の前には当時のままの女神の姿があった。
けれどそれはどこか半透明で、本物ではないとすぐに理解できた。

「いったいどうなってるんだ」

サラカエルは視線を動かし、この現象の原因を探る。

「ふふ、きっとサラカエルね! ウリエルはここには来ないもの」

当時のままの間延びした喋り方だ。まるであの頃を切り出したような。
無邪気に笑い、一人楽しそうに喋り出す。

「ムネモシュネにね、お願いしたのよぅ? 貴女の力で、声と姿が映し出せる物を作ってって。
 ちゃんと映って、聞こえてるかしらぁ? うん、まあ、きっと大丈夫ね」

「ウリエルは……幸せそうねぇ。サラカエルと行動するよりも、"彼女"と一緒にいたいのねぇ」

女神が意地悪く笑って見せる。
この女神は、いったい何処までの自分達を視ていたのか。

「サラカエル、貴方は……"我慢"のし過ぎはよくないと思うわぁ。もう少し、押せ押せで行ってもいいと思うよ!」
「まったく、貴女には関係のない事だと思うんですけどね」

映し出された映像だと分かっていながら、何故だか受け答えをしてしまう。

「あー! 今、私に反応したでしょう? ふふ、映像よぅ? サラカエルってば恥ずかしいわぁ!」

自身で突っ込もうとしたことに、先に映像の主が突っ込んだ。
懐かしくて仕方がない。もう二度と声を聴くことも姿を見ることもできないと思っていたから。
多少の癪に障ることは流そう、サラカエルはそう思った。
音声が一度止まる。
映像の主はこちらを見つめ微笑んでいるだけだ。
サラカエルも、何をするわけでもなく、ただ懐かしさに見つめるだけだった。

「おかえりなさい」

ふと、映像がまた喋り出す。

「もう、戻ってこなくてよかったのよ? だから、最後のあの日。"いってらっしゃい"を言わなかったの」

そうだ。
いつもなら、仕事に行くと言った時は必ず"いってらっしゃい"と言っていた。
あの時は卑屈なせいもあってか、ただ単に必ず帰ってこいと言う意味の命令なのだと思っていた。

「私じゃあ貴方達には何もあげられなかったわねぇ」

少し寂しそうに微笑んだ後、女神は続ける。

「それでも、少しくらいは貴方たちを……貴方に温もりをあげられたかしら? 感じてもらえたかしら。
 私にはなんの取り柄も力もないから……ただ、"そこに在る"事しかできないから……」
「そんな事っ……!」

言いかけてサラカエルは止める。
映像には伝わらない。ただ、当時の彼女を映し出しているにすぎないのだから。
映し出された彼女の足元に、手首のサイズにぴったりであろう花の腕輪が落ちていた。
それは、本物の花ではなく水晶で出来た百合の花の腕輪。

「まあでも、神様ってそんなものよねぇ?」

すぐにけろりとした姿を見て、ああ、この方はいつもこうだったなと冷静になった。

「ねえ、サラカエル。今、すっっっっっっごく楽しいでしょう?」

やけに溜めた質問だ。
さあどうでしょうね、心の中で呟きサラカエルは映像に集中する。

「その娘はねぇ、ちょぉっとだけ守りが固いだけよぉ? 一気に畳みかければいいのよ!」
(この方にかかれば、あの方も娘(こ)扱いか……)

「ふふ、サラカエルはその娘の事、主って思いたくないでしょう? 仕えてるって表現もイヤ?」
「まったく、なんでもお見通しですね……でも、それはまた別の話だと思いますけどね」

映像に反応しているだけなのに、女神と話している気分になる。
当時もそうだった、何の脈絡もなく本当に他愛のない話をしていた。
他の神々と違い、誰の悪口を言うでもなく、天使を見下すわけでもなく、そこに在るものを認めてくれた。

「ねえ。もう、私の事なんて忘れていいのよ。思い出さなくてもいい。
 だって、そこには貴方を認めているヒトがたくさんいるもの。だから、私の出番は終わったのよぉ」

いつも通りの笑顔だった。

「私ね、人間になろうと思うの。冥府に行って、ハデスにそうお願いしようと思って。あ、でも困らせるわねぇ。
 まあ、それが彼の仕事だものねぇ。仕方ないわよねぇ。そうよねぇ」

女神は自問自答をする。
これを一人で残していたのだろう光景は想像できる。
ただ、一人でしゃべり続けるのはどうかと思ったのか、きっと自分と会話してるつもりなのだろう。
本当に、すべてがその映像に残っていた。

「ね、私の事は探さなくてもいいわよ。人間の輪廻転生に組み込まれたら、きっとガブリエルでも告知は困難だわ。
 それに、仮にできたとしても、彼女は無事では済まないと思うの。ウリエルの大事な娘でしょう? そして……
 サラカエルの親友だわぁ。ふふ、親友よ? 嬉しいでしょう? ね、探さなくてもいいって意味、理解できた?
 ……んー、まだ無理かな?」

サラカエルがその意味を知るのはもう少し先になる。
それでも今は、目の前の映像が、女神が楽しそうにくるくる表情を変えて喋っているのが愛しくてたまらない。

サラカエルの"最初で最後の本当の主"。
後にも先にも、主と思えるのはその女神だけだ。

今の主に対しての想いはまた別だ。

「でも、そうね。もしまた再会できたとしても、私は覚えていないから……ふふ、おかえりなさい、サラカエル」

やっと戻ってこれたような気がした。
サラカエルは地面に置かれた、水晶の腕輪を拾う。
どうしたものかと考え、そっと腕にはめた。
思いのほかサイズがぴったりだ。

「まったく、貴女と言う方は……」

苦笑を浮かべ、軽くため息をつく。

「どうせ、暫くの間これをウリエルには見せないのでしょう?」
「いいのよ? ずっと身に着けてて。だから、"その"デザインにしたんだもの!」

映像はまだ続いていた。
意地の悪そうな笑みを見て、サラカエルは思わず映像と百合の花の腕輪を交互に見た。
それから、サラカエルは小さく笑みを零す。
目の前の映像につられて。
それを最後に、映像は終わった。






「おかえりなさい、私の可愛い騎士見習い達。貴方達が守るべき本当に大切な存在はみつけられたかしら?」




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 UP:15/11/17-ReUP:17/09/15