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天使長の眼下(楽園のおはなし0章SS)


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(たったひとりの友達)


「――ミカエルさま、お待ち下さい、ミカエル様」

石灰と大理石で造り上げられた堅牢な神殿。神々しい神々の像を並べた回廊に、不釣り合いな物音が響く。
足早な歩調と勇み足な言葉、滴る汗を零しながら、中級天使が数名、追ってくる。
緩慢な動きで振り向き、「彼」は眉間に皺を刻んだ。

「何事なの」
「は、それが……」

追いついたところで、耳元に寄せられる囁き。
彼……高位天使ミカエルは、あどけなさを色濃く残す美しい顔を、険しいものへと変えた。
他の中級天使が息を呑む。一瞬俯いたミカエルは、ぱっとサフランカラーの髪を揺らし、顔を上げた。
その瞬間には、もはや不機嫌さ、不穏さというものは消え去っている。毅然とした、高潔な表情が浮いていた。

「また、か」
「はい……如何致しましょう」
「放っておきなよ、と言いたいところだけど、サタナエルの事もある。ぼくが見に行く」

俄に動揺の声が走る。反対する声も中にはあった。
しかし、ミカエルは片手をかざす事でそれら全てを封じる。皆、互いに視線を交わす事しか出来ない。

「お言葉ですがミカエル様、あなた様のような方が、一介の天使に手を煩わせるような事は」
「如何なる天使でも、天使である以上、それはぼくの部下だ。何か問題が?」

「問題視される天使の問題行動」。
ミカエルに告げられたのは、やはり恒例と化している案件の報告だった。
自ら進言しておきながら、耳打ちした中級天使は気まずい様子で目を床上に這わせている。
気に病む事はないよ、短く告げられるミカエルからの労い。天使は、ほっとしたような表情を浮かべてみせた。

「では、もう半刻後には定例会議、その後は通常通り神々の夕の宴だ、手配のほど宜しく頼むよ」
「はっ、どうかお気をつけて!」

踵を返し、足早に去る部下たち。ミカエルは、それを眩しい光を見るかのように、目を細めて見送った。
……天上界に住まう数多の天使を統括、時には神の軍勢として彼らを纏め、指揮を執る若き天使長、ミカエル。
ヒトを密かに支える高い加護能力を持ち、類い希なる美しい容姿、かの美少年ガニュメデスを思わせる愛らしい
面立ちとは裏腹に、彼は厳格で聡明な気質を有し、神に仇なす者には慈悲のない裁きを下す事で知られていた。
天使であれば彼を知らぬ者などなかった。また、彼をある種の信仰対象として見る者も少なくなかった。
ミカエル自身は、それが彼らの活動原理となるならそれも良しとしていた。必要以上に縛る道理などない、と。
敬われる事に快楽を見出しているわけではない、ただ単に、部下に満足に任務をこなして欲しいというだけの事。
しかし、やましい思いなど何もない、といえば嘘になる。
神々は全ての天使の頂点に立つ崇拝、寵愛すべき絶対の存在であり、それより上に座す事などあってはならない。
故に、部下たちの自身への入れ込みが過剰にならないよう、ミカエルは適度に窘めているつもりでいた。
その中で、自分や他の天使に逆らおうとする者も出てくるであろうとの予想は、容易に出来た。
天使としての本分、規律、弁え、礼儀。神々への畏敬さえ忘却、或いは廃棄するような者も、中にはいたのだ。
それら問題視される天使について、時折こうして直に報告が上がってくる事もある。

(これまでは『任せていた』、けど、過剰なまでの罰はいらない)

ミカエルに率先してそういった不要因子の存在を告げてくる者の中には、私欲であるのか、私刑を好む者もいた。
天使と銘打っているが、天使とて感情を持つ生き物でもある。彼らの大義名分も分からないではないのだが。
ミカエルは頭を振った。

(『彼』の報告を耳にするのは、確か、これで三度目だ。流石にもう看過は出来ない)

告げられた問題児の名称。最近は頻繁に回廊で姿を目にし、いくつかの押し問答を耳にする者だった。
神への畏敬の念は皆無に等しく、他者の揚げ足取りを得意とし、しかし友人はそれなりにいると言われる問題児。
ミカエル以外にも窘めようとする者も多くあったが、まるで効がなかったと聞いている。

「……『ザドキエル』」

その名を呼ぶ時、心臓が波立つ感覚がミカエルにはあった。
それが何であったか。それは、時間が遙か経過した今でも、未だ判明していない。
再度頭を振る。眼前、指先を宙に走らせ、手早く魔法陣を形成する。そのままザドキエルの元へと飛んだ。


……

紅葉が燃ゆる広大な庭で、ザドキエルは床掃除をしていた。神へ一言二言、ひねくれて反発した罰だった。
渡された竹箒は低級天使が手作りしたばかりの品で、その新しさが余計に手に馴染まなかった。
が、命令は命令だ。やや気だるげな風に、だらだらと緩慢な動作で掃除を続ける。

「あーあ。暇だなあ」

本音がぼろりと漏れた。幸か不幸か、その蛇足を耳にした者の姿は見えない。
文句を言われるのも、苦言を呈されるのも面倒な事に変わりない。それでも、退屈であるよりかはマシだった。
束を掴み、くるくると器用に回してみる。一人マーチングバンド。拍手してくれる者はなかった。

「全くさ、図星を指されたからって、八つ当たりは止めて欲しいよねー」
「……よく言うな。痛いところを突き過ぎたからこそ、こうなっているのだろうに」

ザドキエルはぱっと顔を上げた。頭上、庭を囲む二階の天空回廊の手すりから身を乗り出している男がいる。
まっすぐな金の髪を後頭部で結い上げ、小さく苦笑を音で漏らす一人の天使。ザドキエルには見覚えがあった。

「また来たの? 『ザフキエル』」
「おい、つれないな。気分転換を寄越しに来てやったんだろうに、『ザドキエル』」

手すりを軽く飛び越え、ザフキエルは唇を尖らせながら顎を箒の束に乗せふてくされるザドキエルの横に立った。
その手には口を縛った麻袋が握られている。彼がそれを頬の横で揺らしてみせると、かさかさと乾いた音がした。
それ何、ザドキエルが面倒くさそうに問う。いいものだ、ザフキエルは得意げに返した。
ザフキエルが手早く紐を解くと、中から焼きたての焼き菓子が姿を見せる。香ばしい香りの小綺麗な品だった。
思わずむむ、と唸るザドキエルに、ザフキエルはふふん、と得意そうに笑った。そのまま一枚指で摘まんで、彼は
ザドキエルの口にそれを差し込む。真紅の瞳を細め、ザドキエルはさくさくと美味そうに焼き菓子を頬張った。

「おいおい、手は使わないのか。行儀の悪い」
「ええ、何それ? っていうか、君が食べさせたんでしょ」
「ははは、細かい事はいいじゃないか。どうだ、それ、美味いだろ」

ザフキエルの快活な声と晴れ晴れとした笑みに、ザドキエルは微かに苦笑した。
失態をやらかし罰を受けるザドキエル。それに差し入れを持って寄越すザフキエル。庭園、回廊での待ち合わせ。
もはや恒例の流れであった。事の発端はやはり、ザドキエルが罰当番をしていた日だ。
今と変わらずぶつくさ掃除をしていた彼の元に、当時仕事が行き詰まっていたザフキエルが足を止めたのである。

『……お前、そこで、何をしている』
『え? て、うわ、何、すっごい顔してるね。きみ』
『凄い顔?』
『いやあ、疲れたー、休みたいー、って顔。はは、そこの池で見てごらんよ。笑っちゃうよ?』

ザフキエルは根っからの仕事人だった。長きに渡り、趣味はおろか息抜きの手段すら知らないでいた。
ザドキエルと出会い、彼に興味を持ち、彼の指摘で、天上界にも息抜きの出来る施設があるのを初めて知った。
同時に、彼、天使ザドキエルが、神々が言うほど態度の悪い天使ではないのだろうという仮説も知り得た。
面白いやつ、ザフキエルはそう考えた。
ザドキエルと知り合い、いざ仕事以外にも目を向けてみれば、自分の視野が如何に狭かったか容易に分かった。
変なやつ、ザドキエルはそう思った。
ザフキエルは不眠不休で仕事をし続けている天使だと、噂に聞いた。話してみると、印象はだいぶん変わった。
彼らは決して同じではなかった。同じ役職にすら就いていなかった。しかし、立場を越えた友人同士ではあった。

「……ところでさ、ザフキエル」
「なんだ?」
「ううん。今日の仕事はもう片付いたのかなって」

壁に背を預け、焼き菓子をもりもり頬張るザフキエル。意外と幼稚なんだよなあ、と、ザドキエルは呟かない。
何かしら絡むと、百、二百と、倍になって絡まれ返される事を、短い付き合いながら彼はよく知っている。

「ははは、当然。とっくの昔に」
「へーえ、へーえ、そーなんだー?」
「んん? なんなら少し手伝ってやろうか」
「ええ、やだよ。君の掃除って、雑だし石鹸ばらまけばいいやって感じで、適当なんだから」
「あっはは、何だ、分かってるじゃないか」
「もう……あのね、笑えないんだけど」
「お見それしたな、ザドキエル」

悪態は付くものの、互いに笑っている。不思議と話が弾む事に、二人は内心首を傾げていた。
それでもザフキエルはデスクワーク、ザドキエルは罰掃除と、仕事は山のようにある。のんびり語り合う機会には
かなり時間の限りがあった。残りの焼き菓子をむりやり口に突っ込み、ザフキエルは頬を満杯にしながら笑んだ。
あえて見なかった事にする。同じように最後の一枚を二口分に分けて口に放り、ふとザドキエルは空を見上げた。

(ああ、うん、今日もいい天気だなあ)

雲一つない見慣れた晴天。天上界には、曇天、悪天候といった概念はあまりなかった。
天候を司る特定の天使はいるので、皆無というわけではない。しかし、大概は四季に合わせた晴天続きとなる。

(毎日晴れてばっかいるから、落ち葉もたまるんだよね)

ちらりと半開きの目で眼下を見やる。季節は秋、乾燥した枯れ葉が、庭園のあちこちに滞留していた。
何やら鼻歌まで歌い始めたザフキエルをよそに、ザドキエルは再び竹箒を手にする。
ざかざかとわざとらしい大音を立てながら、てきぱきと掃除に勤しむ。

「……さっきまでもっと適当じゃなかったか」

意外なものを見るような目で、ザフキエルは聞いた。

「いつから見てたの? ……早く終わらせたら、もう少しゆっくり話せるでしょ」

あくまで冷ややかな態度は変えず、ザドキエルは照れくさそうにそっぽを向き、箒を石畳に走らせる。
ぷふっ、ザフキエルが小さく失笑。なんだよ、ザドキエルは苦笑いと共に振り向いた。互いに声を上げて笑う。
小腹も満たされ、友との語らいにはゆったりとした空気が流れていた。
……その様子を、密かに見守る者がある。

「ザフキエル……どうしてここに、何故ザドキエルと」

ミカエルだった。
魔力を用いて転移した先、ザドキエルの現状を秘密裏に観測しようとして、彼は意外なものを目にした。
ザフキエルだ。仕事人の鑑としか言えないほど堅苦しい気質の彼が、気さくに問題児相手に笑いかけている。

「交友に口を出すほど、ぼくも野暮ではない、が」

双方共に、ミカエル自身と交流があったわけではない。しかし、ほぼ正反対の性質である噂は聞き及んでいた。
名前と素性、抱える問題点。まるで共通点が見られないにも関わらず、ザフキエル、ザドキエル共々よく笑う。
ミカエルは微かに嘆息した。双眸を細め、観測するだけに留める。

(険悪なわけでもなし、ザフキエルの存在が彼の赦しか……或いは、抑止力になればそれはそれで良いだろう)

口は出さず、割って入らず。諫めに来たつもりが、逆に毒気を抜かれてしまった。
晴天の下、真紅の瞳の天使と、青い瞳の天使が朗らかに笑い合っている。
微笑ましく見えているのかと、天使長は硬い表情のままでいた。

……何故この時、彼らの元に赴かなかったか。あえて口出しせずに、見守るだけに留めてしまったのか。
後に、件の天使長は自身の采配の甘さを後悔する事になる。




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 UP:15/12/13-ReUP:18/04/14