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欺瞞と憐憫(楽園のおはなし4章SS)


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(秘められたもの)


「頸木(くびき)……それが外されたとき、アナタという存在は、更なる変貌を遂げる」

向かい合う男女のうち、女の方が抑揚のない声で呟いた。諭す、或いは、独白めいたささやかな響き。
長い夜色の髪が、彼女が首を傾げた動作につられて揺れる。そのまま暗闇に溶け込んでしまいそうに見えた。
周りに、灯は点されていない。屋敷の中心、ぽかりと天井を吹き抜けにした、広々とした庭園。
常ならば実はおろか、枝、葉の一つ一つでさえ黄金に輝いている林檎の果樹も、今は沈黙を保っている。
所有主が許可したからか、或いは守人が不在であるからか、はたまた……今宵が、新月であるからか。
ほのかに照らされている筈のこの場が深い夜色に満ちているのは、比較的珍しい事ではあった。

「変貌、か。なに、全ての物事は移り変わるものだ。恐れる事はない」

本心だった――深夜、ふと目が覚めたが故に自室を後にし、散歩がてらに訪れた憩いの広場。
よもや、自分以外にも夜更かしを堪能している者があったとは。彼は、眼前の女を直視しない。
傍らの生け垣、女の身内が愛するツクバネウツギの香を楽しむ。女が着る服からも、同様の甘い匂いがしていた。

「変貌というよりは、『羽化』……新しいカタチに生まれ変わる、といったところかしら。今後が楽しみね」
「告知天使でもあるまいし、お前にそれを言われる筋合いはないのだがな」
「そう。わたしは告知天使でも何でもない。ただの『天使どもの残骸』、または『天使どもの意思の集合体』」
「……醜く歪だ」
「そうね。イビツだわ」

自嘲、というよりは哄笑に似た微笑み。女の真向かい、十代半ばほどの年頃の少年は、眉間に深く皺を刻む。
不快、不愉快、拒絶。過剰なまでに雄弁なその顔に、女は微かに笑った。少年は、香る低木から目を離す。
今度こそ、真っ向から女に体を向けた。
琥珀色の瞳、青色の瞳。距離は数歩ほどで、手を伸ばせば十分に殺傷に至る事が出来る……少年は双眸を細めた。

「最近、アナタがあの子に……わたしの可愛い娘等に、冷たい気がしていたの。どういうつもりなのかと思って」
「まさか、その為にここで待っていたのか。……どうもない。『私』には『彼』さえあれば、それでいいだけだ」
「それ、なんていう名前の感情なのかしらね。アナタ、自分で自分が何を言わんとしているか、気付いてる?」

少年は首を振る。元より、女の普段の立ち振る舞い――幼子を装う言動には、大概辟易とさせられていた。
他人の事など言えた義理ではないだろう、怒り混じりに非難すると、それもそうね、女は息を吐く。
話にならない、まさにその通りの印象だった。互いに理解し合える存在であるとは、端から思っていない。
誰からも愛されるが為に幼い言動を繰り返すマリオネット。特定の個人に愛されるが為の愚者を演ずる男優……。
相容れぬ筈だとは思っていた。それが、俗に同族嫌悪と呼ばれるものである事も、理解している。
見透かしているのか、それとも常の癖なのか。女――十代後半ほどの小綺麗な容姿の娘は、可憐に笑った。

(醜く、歪だ)

彼女の中身については、多くを学ぶ日々の中で知る事が出来ている。故に、彼は嫌悪を抱かざるを得なかった。
「愛らしく取り繕ったところで、所詮は数多の犠牲を払って成り立たされた生命」。
しかし、自身もまたあらゆる動植物を食事という形で摂取している身だ。ある意味では同類、同朋。
己にも返ってくるであろう言葉を飲み込む。口にするのを憚られたのではない。こちらも大人というだけの話だ。

「普段のアナタを思えば。今のアナタを見たら、『彼』は驚くのかもしれないわね」
「それはない。あいつは……あいつなら、『私』のこの感情でさえ、全て受け入れてくれる筈だ」
「盲目的ね」
「お前があの海蛇型魔獣に入れ込むのとて、同じだろう」
「ふふ……わぁい。アナタほど、アスター、イビツじゃぁないですの」

殺してやりたい。文字通りそう思考するも、いつ何時、女の伴侶である獣(ケダモノ)が現れるか分からない。
伸ばしかけた手を下ろす。口内で歯噛みする少年を、やはり女はどこか歪な笑みで見つめている。
距離は保たれたまま。沈黙は帳を下ろしたまま。双方、そうしてひたすら無駄に見つめ合い続けていた。
どれほどそうしていただろう。ふと少年は、庭園に通じる回廊のうち一つに、何かを見つけた。目を向ける。

「……お兄ちゃん?」

いつからそこにいたのか。否、それよりも、この女との会話を聞かれていないか……彼の逡巡は一瞬だった。
回廊との境に、少年と同い年くらいの、あどけない中性的な姿をした少年が、目をこすりながら姿を見せる。
彼とは対照的な、赤色の瞳。今やそれは半開きで、許可さえ得たならば、すぐに閉ざされてしまいかねなかった。

「アベル」
「うん……あれ、アスターちゃんも? 二人とも、どうしたの。眠れないの?」

寝ぼけているのか、声はどこか緩慢な響きを持っている。のろのろと頼りない足取りが、庭園へ足を踏み入れた。
女は何も言わない。少年に、お迎えならお譲りするわ、そう言いたげに柔らかく微笑んでいる。
気に入らない、彼はすぐさまそっぽを向いた。駆け足で女の前を横切り、現れた少年の元へ向かう。
ベッドにいなかったから捜しちゃった、照れくさそうに笑った弟に、彼はすぐさま勢いよく飛びついた。
地面を蹴り、軽々と跳躍し、その細い体躯に腕を回しながらしがみつく。愚かにも、満面の笑みを湛えたまま。
そうだ、それこそ、ノリと勢いのみで行動し、弟アベルにさえ小馬鹿にされる少年――それが双子の兄・カイン。
愚者を演じ、何者にも深層心理を悟らせず、特定の個人という弟に固執する、哀れな天使……それが自分だ。
アベルにしがみついたまま、しばしの黙考。やめよう……下手に考えて、表情に滲みでもしたら大変だ。
抱きつかれた方はたまったものではないのだろう、アベルはカインの背中に手を回したまま、よろめいた。

「ちょっとー、お兄ちゃん、苦しいよ!」
「ははは! そうか、俺もぼちぼち眠いぞ、アベル!」
「何それっ? 返事になってないよー!」

ふと顔を上げ、カインは、いつしかあの女……「箱型偽造天使」が庭園を後にする瞬間を視界に入れる。
音もなく、髪と同色の暗闇に姿を溶かしていった。靴音からして、彼女もまた、寝室に下がったようだ。
口を挟むのも野暮だ、とでも言いたいのだろうか。その「理解している」という素振りに反吐が出るというのに。
少年は、一度、ゆっくりと両目を閉ざした。この場に漂う夜色よりも冥い暗闇が、視界一面を支配する。

(お前などに分かってたまるものか。お前と私は似て非なるものだ、そうだ……何者にも『これ』は渡さない)

苦しがる弟に、じゃれつくように、甘えるように、ふざけ半分で、よりいっそう回す腕に力を込めた。
夜が更けていく。明日になれば、またカインとしての日々が待っている……「ザフキエル」は、小さく笑った。




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 UP:18/01/06