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ある天使の視界(楽園のおはなし0章SS) TOP |
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(奏でる天使) これまで見たどの神殿よりも、そこは簡素で控えめな造りをしていた。 規模は他とそう変わらない。しかし、入口や柱、外観からして、この時代には随分シンプルな様相だった。 多くの者は――彼の好色で有名な大神であれ――そこかしこに金銀を散りばめ、最先端の装飾文様をあしらい、 豪華な絨毯は艶やかな深紅か紺碧のどちらか、香りの強い刈り取りした後の花を屋内の花瓶にこれでもかと飾り付け、 来客にはやはり自慢の高級酒を勧める傍ら、金銀、或いは漆のような漆黒の羽織り物を纏うよう強要し…… 駄目だ、思い出しただけで頭が痛くなってきた。 あの煌びやかな世界に足を踏み入れる機会は多かれど、慣れた試しはまるでない。 ともあれ、と気分を変えるべく案内人の侍女の背後から離れ、先ほどからちらちら見えた庭園へ足を向ける。 どうか見に来てくれと言わんばかりに、季節の花が香しく咲き誇っているのだ。 この神殿の主が「美」に造詣深い事は知っている。そもそも自分がここに招かれた理由もそれだ。 ならば噂で聞き及ぶ彼女の自慢の庭園を見に行かない理由はどこにもない。面会など後からいくらでも出来る。 白亜の手すりを乗り越え、アーチをくぐり、庭園の中央に立つ。 煉瓦や石灰岩、大理石などで造られた園内には、華々しくこの時期に相応しい花ばかりが植えられていた。 色の並びもよく、木々一本一本を取っても実に手入れが行き届いている。庭師の腕の良さを伺えた。 まず順路通りに道を行く。ニゲラ、ベルガモット、チコリ。さほど背丈の高くない品種が通りを彩っていた。 この庭の管理人は香草に詳しいのかもしれない、道端の壷にはセージやヤロウなどが株分けされていた。 ……サルビアに埋まる円形の囲いを回り、数段規模の緩やかな短い階段を降りると、ちょっとした広場に出る。 吹き抜けの天には雲一つなく、さほど広くもないこじんまりとした憩いの場を明るく照らしていた。 西洋菩提樹が無数の小さな花を付けている。 木漏れ日が目に優しく射し込み、長旅の疲れを癒してくれた。ちょうど大樹の下には白樺の長椅子が置かれている。 しめたとばかりに、少しの間そこに甘える事にした。 さわさわと葉が揺れる音に菩提樹の香が混ざる。小休憩と踏んでいた筈なのに、気付けば意識が落ちていた。 どれくらいそうしていただろうか。ふと鼓膜に飛び込んだ音に我に返った。 まだ夢心地の頭を振り視線を上げると、眼前に男が一人立っている。 「客人があるとは聞いていたが、」 布衣切れの音がして、男の顔から影が退く。色の白い肌色に、端正な面立ち。どこか憮然としたような表情が浮かんでいた。 「こんな所で居眠りとはね。聞いていれば寝床の一つも用意したのに」 嫌みを言われたのだと気付いたのは、彼の口元が一瞬、微かに釣り上がったのを見たからだ。 ずっと見られていたのだろうか。なんとなく心地が悪くて、小さく身動ぎをしてから外套の乱れを直した。 こちらが名乗るより先に背を向けた彼を見て、慌てて立った。椅子にはこんもり菩提樹の花が散っている…… 「『イスラーフィル』だね。我らが主がお待ちだ、こちらへ来たまえ」 急ぎ席を離れた自分に対し、彼はこちらの身支度が整うのを待って、それからゆっくりと歩き始めた。 ほっと一息。ふと見ると彼は左手にじょうろを持っている。注ぎ口はまだ水に濡れていた。庭仕事は彼の担当なのだろうか。 他にする事もないので、倣うようにその後ろに続いた。 長く緩やかに編まれた夜色の髪が、彼の背で神獣の尾のように軽快に揺れている。 上物と思わしき紺色の羽織り物と腰帯、絹糸の光沢が美しい着衣からは、微かに迷迭香の匂いがした。 「ええと……あの、忘れてたわけじゃ。庭があまりにも綺麗だったので、つい」 「そりゃそうだろう、我らが主はセンスが良いからね。当然さ」 苦しい言い訳だろうか、と思いきや、彼は満更でもないという風に階段を上りながら肩を竦めた。 声色が喜びを含んでいる。主とは件の女神の事だろう、彼の身分がなんとなく読めてきた。 ……まずい相手にかち合ったなあと思う。 「やあ、ウリエル」 「やあ、サラカエル」 足音が増えた。 落としていた視線を上げると、先の男と瓜二つの男が――それこそ双子と見紛うばかりに――神殿の奥から出て来たのが見えた。 歩き方から声色、何から何までそっくりで、正直全く見分けがつかない。強いて違いを挙げるなら、髪型と流し方が違うくらいか。 それと、左右の瞳も。これも双方で逆の配置だ。片目が黒で、片目は夜色。それが彼らの特徴と聞いている。 それ以外は先述の通り、服に至るまで全てが同じ。 契約の女神に仕える男性性の対天使、ウリエル、サラカエル。 珍しいとされる対天使らの中でも更に異端とされる双方は、滅多に揃って人前に姿を現さない。 普段の彼らは個々単独で女神の宮に纏わる業務をこなしており、客をもてなす機会に恵まれないからだ。 これは彼らの固有能力が大いに関係している。 ウリエル、サラカエル共に、先見や千里眼、予知といった危機回避能力を持ち、戦闘技術にも優れるという。 女神に降りかからんとする災厄を彼らは事前に察知し、必要とあれば何者より先にこれを排除する。 それぞれが能力を基に付けられた異名は「審判官の対天使」、「殺戮の対天使」であり、これらは天上界ではあまりにも有名で 、双方の扱いを持て余した対天使研究所が、彼らを女神に丸投げしたとの噂もある。 審判官、殺戮……彼らは天使でありながら、他の天使を殺害ないし裁く権限を有しているのだ。 (とはいえ、) 今こうして二人を見た感じでは、特に噂されているほどの恐怖は感じられない。 初見で敢えて二人の印象を述べるなら、ウリエルの方は神経質、サラカエルの方は社交的といった風か。 時折こちらに投げる細められた、或いは反開きの横目にそういった雰囲気を感じられた。 時に、こうして目に掛かれたという事は彼らを従える彼の女神は自分の到着を心待ちにしているのか。 彼らが表に出て客の案内を担うのは稀な事だ。 とすれば待ち焦がれられていると捉えてもおかしくないのでは。 契約の女神にして、聡明で高潔な女性…… 末端の天使である自分に少しでも興味を持ってくれていると言うのであれば、男としてはやはり、少し嬉しい。 黙って突っ立ったままのこちらにお構いなしに、彼らは廊下の真ん中で何やら話し込んでいた。 時折、じょうろを持っていない方(そういえばこの違いもあった!)が物言いたげにこちらに体を向け直す。 何が言いたいのだろう。どう返したらいいか分からず、首を傾げてみるより他なかった。 「……さておき、ヘラ様がお待ちかねだよ。早く行ってあげたらいいんじゃないかな」 「ああ、そういえばそうだったね」 「あとで『仕事のモチベーションが下がった』だの言われても適わないからね」 「そうだね、時間も圧している事だしそろそろ急ぐとするよ」 客本人を前に呑気なもんだ、とは心の中だけで言っておく。 到着が遅れたのもつい寝こけてしまったのもこちらの落ち度だから、文句は言えないのだが。 ではね、と短い別れを片方のじょうろ男に告げ、現れたじょうろを持たない方は立ち去っていった。 すれ違い様に耳に顔を寄せられる。 「(言っておくけれど、ヘラ様に色目を使ったら――)」 「!?」 耳元で囁かれた物騒な内容に鳥肌が立った。殺戮の対天使サラカエル。彼は確かに、物々しい存在なのか。 少なくともまだ――「あんな事」や「こんな事」はされたくない。 一人で震えていると、前を歩き出したと思われたウリエルの足が止まった。彼の目前には白大理石の扉がある。 どうやら面会場のすぐ近くまで来ていたらしい。同じように足を止め、彼が扉を開くのを待った。 「……彼は気分屋なところがあるからね。何を言われても気にしない事だ」 「えっ。あ、ああ……そうです、か」 何を言い出すかと思いきや、彼の口から出たのはこちらへの気遣いだった。先のサラカエルの言葉が耳に入っていたらしい。 対天使は互いを尊重、溺愛、過剰に保護し、他、多くは依存し合う傾向があるという。 ウリエルの口からそんな事が飛び出すとは意外だった。 そういえば彼らや彼らの主とは初対面なのだ。初見で全て判断しようとしたのは過ちだったのかもしれない。 重々しい音を立て、扉が開かれてゆく。眩い白光が視界を染めた。 不意に、ウリエルがぼそぼそと何か言ったのが聞こえた。カササギの声が五月蠅くてあまりよく聞こえない。 え、何を、そう聞き返そうとして、その中身の一部が鼓膜を揺すった。 君が居ないと「僕」は困るんだよ、決して容易く死なないでおくれよ―― 「――と、暁橙!」 「……う、うん? えっ?」 目が覚めた。同時に視界に非常電灯の灯りが射し込む。目をまともに開けていられない、思わず身動ぎした。 どうやら夢を見ていたらしい。首を巡らせると、寝具の傍らに見慣れた兄の顔があった。 「え、あ、あれ? 兄ィ? あれ、今の……夢」 「夢か。君ね、今日はのんびりしていても良いとは言ったけど、流石に寝過ぎじゃないのかい」 見慣れた顔。 どうしてだろう、神経質そうに眉間に皺を刻む様が、酷く懐かしいものに思えた。 言われた言葉を脳内で反芻する。どうやら休業日にかこつけて寝過ごしてしまったらしい。 まだ夢心地でいるのだろうか。目をこすっていると、傷が付くよ、と兄の手に一連の動きを止められる。 酷く体が重い。随分と長い間眠っていたような気がする。 というより、実際かなり眠ってしまったのだろう。寝起きの良さが自慢だが、今日はまだ頭がぼうっとしていた。 「兄ィ、いま何時?」 「さっきニゼルが帰ったから、十時半くらいかな」 「そっか……って、ええーっ! じゃ、オイラの今日のおやつはナシって事!?」 「そう言うと思って、ニゼルから言付けられた分を残してあるよ」 跳ね起きる。背中から「けれど琥珀が『待て』を守れていたらの話だがね」、兄の苦笑が追ってくる。 ――あのグリフォン、食い意地張ってるからなあ! 見たばかりの、遠い遙か昔の夢(記憶)をすっかり忘れ、鳥羽暁橙は階下へ足早に駆け降りていった。 ■エノク書 第十三頁 天使名:イスラーフィル 「最後の審判」に於いて、審判の訪れを喇叭を吹き鳴らす事で世界に知らしめる天使。音楽を司る。 来る日まで地獄の罪人等が裁かれる様を見届ける役目を負うが、心根が優しい為多くの日を落涙して過ごす。 |
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TOP UP:13/11/10 |