取扱説明書  ▼「読み物」  イラスト展示場  小話と生態  トップ頁  サイト入口



ある兄妹の軌跡(楽園のおはなし0章SS)


 TOP




(黒い予言書)


夜、眠りに落ちるまでの僅かな時間に、母が絵本を読んでくれる事が密かな楽しみだった。

僕らは修道院が栄える田舎に生まれて、そんなに裕福ではなかったけど、毎日戦争とは無縁の暮らしを送っていて、
それはとても恵まれた幸福な暮らしの証なんだよ、と父がよく言っていた。夕食後は特にそれは繰り返された。
母の話では、昔は町にも戦火があって、父の父やその父が戦争真っ只中に遠征しに行った事もあるらしい。
日中、学校に行かない代わりに家で勉強している間、その話は僕と妹の持つ学術書全てに出てきた。
……あまり実感は沸かなかったけど(僕は今でもこれが悪い感覚だと思っていない)。
そんな事より、僕らは勉強でミスしたりすると夕飯抜きにさせられていたから、そっちの方を気に掛けていた。
妹は分からない事があると、例え厳しい父が在宅中でも、まるで怖がらずに質問攻めに向かっていた。
僕はそんな勇気とてもなかったから、分からないところはそのまま投げっぱなしにしていた。
よくよく考えると、そっちの方がいっそう後から怒られたような気もする。
けど、やっぱり家でする勉強は、正直あまり好きじゃなかった。
修道院で聞く神話や世界歴史、冒険家や旅人の話を街角で聞く方が、僕には向いていたと思う。
彼らの話はそりゃあもう面白おかしいものばかりだった。悪者退治に姫君救出劇、伝説の剣や天使の話。
時間を忘れるくらい夢中になって、僕は彼らの話の虜になった。彼らが滞在している間は、毎日話をせがんだ。
けど、もちろん物語はそんな綺麗事ばかりじゃない。僕は世界を知らなさ過ぎた。
僕が他人事みたいに捉えていた戦争や略奪、凄惨な事件だって彼らは記憶していて、付き合いが長くなればなるほど
そんな話を聞く機会が増えていく。後から調べたら彼らの話は本当に過去起こった事で、気軽に聞いてしまった僕は
わけも分からずベッドの中で震えていた。こうしている今も、どこかで僕の知らない誰かが戦火に苦しんでいる……。
それを思うと、足が竦んでどうしようもなかった。

(僕に出来る事って、なんだろう)

知ろうと思った。知らない人、まだ見ぬ世界、今起きている事。僕は前にも増して、彼らの元を訪ねるようにした。
悲しみ、怒り、嘆き――「忘れ去られる」事への恐怖で、彼らは時に言葉少なく、また時には饒舌に物を語った。
書物や絵本に書かれた事は、絵空事の空想なんかじゃない。
生き証人はおろか、今まさにその状況に追い込まれている者も、皆まだこの世界で生きている!
確信した僕は、母に言われた勉学そっちのけで歴史書や新聞、神話伝承を読みまくった。
それで父が納得する筈もなく、僕は夕飯前にいつも怒られてばかりいた。
帰りが遅いのも悪い事だ、というのが父の言い分だった。
話は最もなので、僕は素直にそれに従った。実際、語り部に急かされてから帰途に着くのも珍しくなかった。
表で腹を空かせてぼんやりしていると、決まって後から、父の目を盗んだ妹が、パンやスープを持って来てくれた。
落ち込んでる兄さんをとても見ていられない、父さんは少しやり過ぎだと思う――それが妹の口癖だった。

「ねえ、兄さん」
「なに、エリヤ」

横で僕が妹のパンを食べ終わるのを待ちながら、妹……エリヤは膝を抱えてぽつぽつ話し掛けてくるのが常だった。

「兄さんが旅人から聞いた話、わたしも聞いてみたいの」
「そんな事を言うなら、エリヤも外に出て来ればいいじゃないか」
「ううん。母さんが、『エリヤは体が弱いんだから、無理しちゃ駄目』って」
「こないだまで普通に走り回ってたじゃないか。母さんは過保護だ」
「うん、わたしもそう思う。だから兄さんから教えて貰えたらいいなって、ずっと考えていたの」
「ふぅん……まあ、エリヤがどうしてもっていうなら、教えたげてもいいけどさ!」
「うん。『どうしても』」
「……冗談だよ……」

今でも、あの頃見た夕焼けの赤が目に焼き付いている。具体的に、鮮明に思い出せる。
けど、焼きたてのパンや豆しか入っていなかったスープの味は、どうしたって思い出せない。
美味しかった筈だ、とはぼんやり記憶している。



(白の預言書)



「――世界って広いんだ。いつか、冒険……ってまではいかなくてもさ、町から出て旅をしてみたいな」

それが兄の口癖だった。
物心つく頃には、兄と母、時折父も交え、わたし達ふたりは小さな家に篭もって勉学に打ち込んでいた。
父は厳しい人だったし、母は「賢い子なんです」と近所に触れ回る事が多く、期待に応えられるよう努力した。
そうして外に遊びに出掛けるよりも、家にいる時間の方が遥かに長くなったからか、わたしは貧弱で色白だった。
母は生まれつき体が弱い、病気に掛かりやすい、そうわたしに言ったけど、本当は運動不足なだけ。
対して、勉強を好まず、専ら外で遊んだり面白い噂話を拾ってくる兄は、わたしより健やかで好奇心も旺盛だった。
正直な話、わたしは兄が羨ましかった。
父はいつも兄を怒ってばかりだったけど、勉強だけが全てじゃない事を、わたしも兄も既に知っていた。
(もちろん、忍耐や責任感を養う為に勉強するのも大切な事だと今になっては思うけど……)
父にたっぷり叱られた後、部屋に逃げ込む兄やわたしを気遣うのは母の仕事で、寝る前には普段勉学に必要としない
絵本などを読んで貰えた。悪い竜を退治する勇者の話、雷を管理する神様の話、悪戯するのが大好きな天使の話。
どれも不思議な事に、兄が外から仕入れてくるおはなしそのものばかりで、わたしはほんの少し不満だった。
母に読んで貰わなくても、兄の話で早いうちに知っていたから。
あやすような声色で、母がさもご機嫌取りの御伽噺という風に語るのも釈然としない理由の一つ。
兄の方が優れているのに……その思いが強くなるにつれ、わたしは兄の語る物語に纏わる書物を片端から読み漁った。
わたし達が生まれるより遥か昔、人が人伝に口頭で語り継いだ太古のおはなし。神々と天使が統べる、創造の世界。
兄の話や絵本の中には、架空としか思えない色が広がっていた。
けれど、まさかそれが根拠ある史実に基づいたものだっただなんて。わたしも父も母も、想像した事がなかった。

「……こうして、天使様は神様の元でずーっと、ずぅーっと、幸せに暮らしました。おしまい、おしまい」
「天使様って素敵ね、お母さん。わたしも彼らみたいに、誰かの役に立ってみたい」
「まあ、エリヤ。あなたはそんな事気にしなくていいのよ。神様はいつもわたし達を見て下さっているからね」
「……」

幸を求める為に口先だけで信仰し、また別の日には、厄を拒む為に絵本の題材にする。
神も天使も、人の都合次第で善にも悪にも成り代わる。大元は変わらないものである筈なのに。
その印象が強かったから、わたしは兄のように物語をフィクションとして心から楽しむ事が出来なかった。

「神様も天使様も、わたしはこの絵本と兄さんの話の中でしかお会いした事がないの」

なら知ってみたい。
本当の彼らを。わたしが知らない、兄さえ知らない、本物の世界の物語を。遠い何時か、遙か先に届くおはなしを。
本の中、神話の中、人々が語り継ぐ伝承の枠さえも飛び越えて、見えざる彼らの真意にこの手で直に触れてみたい。
そうして、いつか。
この世界に生きる事に自信を持ち、胸を張って彼らの意志を広げる語り部になりたい。
物語に出てくる彼らのように、世界中の生命に祝福を分け与え、皆に役立てる存在になりたい。
わたしだけが有能だなんて、そんなの大きな思い違い――そこには母への反抗心もあったかもしれない。
わたしは特別なんかじゃない、どこにでもいる箱入り娘。だからこそ、自分の価値は自分で見つけたいと思ったの。



(箱入り 匣詰め 檻の中)



「……元々がヒトの身であったから、欲望の赴くままに振る舞ったのではないかと思われる」
「だから反対したのだ。増して、我等と対等にあろうとするとは」
「いずれにせよ、『預言書』を悪用、我が物顔で私的目的の為に使用した事は紛れもない事実」
「『神のお告げ』と称し、不要な情報をヒトに伝え、無意味に不安を煽った」
「ヒトの手にあまる膨大な知恵をラグエルの許可なく書を通じて与えた」
「それは罪だ」
「我等はいつまで、ヒトに騙され続けねばならぬのか」
「何度、裏切られたのだ」
「うむ。厳罰に処するのが相応しかろう」
「――汝、『メタトロン』。本日より我等が赦しを与えるまでの間、貴様を生命の樹より『隔離』する事とする」
「貴様の対天使もおまけに付けてやるとしよう。我等の慈悲に感謝する事だ」

「……お待ち下さい、高貴なる方々」

「お前は……確か、『サミル』といったか。今時分、何用か」
「はい、友人が罪に問われたと聞きまして。わたくしに考えが御座います。どうかこの者の処遇、お任せ下さい」
「自信があるようだが、いや、しかし。一介の天使に務まるとはとても思えぬ」
「悪いようには致しません。無論、高貴なる貴方様方への無礼、しっかりとその身で償わせてご覧にいれましょう」



(何処かから 歌がきこえる)



……

「あ、いたいた。こんなところで何してるの? レヴィがおやつだよって、呼びに来なかった?」
「……はい。数刻ほど前に」
「あれ、黒い瞳? って事は、君、もしかして」
「懐かしい夢をみました。それで、少し感傷に浸りたくなったので出てきてしまいました」
「そう……」
「いけませんでしたか?」
「ううん、そんな事ないよ。綺麗な歌声だなあと思ってさ。もう歌ってくれないの? 俺、邪魔しちゃったかな」
「いいえ。音楽は、イスラーフィルだけの専売特許というわけではないのですから」
「そっか。ね、エノクは?」
「……歌を」
「え?」
「この歌を教えてくれたのは、兄さんなんです。わたしが音を外さないよう、よく聞いてくれています」



(再生と済世の物語)




 TOP
 UP:14/04/23