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ある魔獣と天使の日常(楽園のおはなし0章SS)


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(賢者とその弟子)


体には稲妻を纏い、蒼穹を蹄で切り裂き、風も雲も薙ぎ倒して遥か遠くへ駆けるもの。
頭に水晶の一本角、鋭い眼光で敬虔たる者をも畏れぬ、人知を凌ぐ不可思議な生き物。
それが一族の祖先であるとは、最早身内の中での笑い話。誰もが忘れ去った、昔の話。

……糸紡ぎの音がする。
座繰りの前に座り黙々と作業に勤しむのは、背中に真っ白な翼を生やした青年だった。
その手際の良さといったら見事としか表現しようがなく、糸繰り鍋から漂う繭の独特の匂いや、
煮えたぎった湯にも顔色一つ変えず、淡々と湯から糸を取り出し枠に巻きつけ続け、
その度にからからと歯車は小気味よく回るのである。
今年の初物である繭玉は、神々のうち本当に良い織物を好む少数の女神たちに予約された
選りすぐりのものばかりで、表面に金色の薄い膜が張っていた。
蚕の餌の桑は豊穣の女神の祝福を受けたもので、紡いだ絹糸はさぞ美しく輝くだろう。
拘ったところで中身がスカなら服に着られるだけだろうに、絹糸のしなやかさに目を細めながら、男はそう思った。
だが天上界にお住まいの神々諸兄は、実にプライドが高い事で有名だ。本音など口が裂けても言うべきではない。

「……まァいにち毎日ぼーくらは座繰り機の、前で糸巻き、やァになっちゃ――」
「――先生。貴方が受けた仕事を、いつまで僕にやらせるおつもりなんです」

あと著作権に引っかかるので替え歌はやめて下さい。
座繰り機の前を陣取っていた翼の生えた青年は、片眉を吊り上げこちらを振り向いた。
艶やかに輝く翠の光沢を纏う金緑の髪、エメラルドグリーンの瞳。端正な面立ちは苛立ちと不快感から歪んでいる。

「文句なら女神方に言わんか、ラファエル。ワシの趣味に甘えてきたのは向こうだぞ」
「貴方が春の宴会で座繰り機を買っただなんて言うからじゃありませんか。しかも今は丸ごと僕に押し付けて」
「年寄りの趣味にケチ付けんで貰いたいもんだがのー」
「聞こえてますよ……多趣味も結構ですが、本業を疎かにされては」
「それはそれ、これはこれ、じゃろ? お前こそカルテ溜まっとるじゃろが」
「だ、誰のせいだと……」
「なんか言うたか」
「いえ、何も」

文句を垂れながらも、青年の指は動きを止めない。
彼の後ろ、座繰り機の様子を立ったまま観察していた男は、仕事熱心で感心感心、とカラカラ笑った。
有翼の青年、天使ラファエルは深い嘆息を一つ漏らしてじとりと男を睨み見る。
彼の視線の先、もりもりと右手に掴んだ饅頭を勢いよく頬張るのは彼の師で、名はケイロンといった。
羽織る白衣は長年使い古しているものの清潔そのもので、表裏ともにラファエル自慢の翼のように真っ白だった。
裾ポケットからは万年筆とメモ用紙、胸元には懐中時計と、申し訳程度に下げられたネクタイが顔を覗かせている。
黒緑の瞳を細め、「旨い!」と饅頭をろくに噛まずに飲み込み、感激したのかケイロンは床を激しく踏み鳴らした。
剥き出しの「蹄」が板床に悲鳴を上げさせる。騒音ですよ、小言を漏らして、ラファエルは座繰り機に向き直った。

「やはり饅頭はいい。血糖値が上がっちまうのが難点かの」
「それ以外にも幾つか問題はあると思いますがね。それはさておき、先生、午後の検診は何時からなんです」
「うむ、……まだ時間があるな。どれ、可愛い弟子のカルテでも見てやるか」
「糸繰りを代わって下さいよ……」

うんざりしたようなラファエルの声に聞こえなかった振りをして、ケイロンは蹄を鳴らしながら奥へ進んだ。
ケイロンの住まいは天上界には珍しい木造住宅で、金に糸目を付けなかったが為にそこそこの広さを誇っている。
無論、神々の神殿に比べたら粗末で可愛らしいものだ。
それでも日当たり、風通し、防音、防湿……拘りに拘り抜いて建てた家を、ケイロンは気に入っている。

「あっ、先生!」
「ケイロン先生、おはよーござーいますっ!」
「おお、なんじゃ、皆早起きだな」

扉代わりの麻布を潜ると、簡素な病室から患者服を着た子供の幾人かが駆け寄ってきた。
今こそこうして走り回れるほどに回復したが、皆ここに運び込まれた時は重篤状態にあった。
ラファエルの献身的な治療や看護、本人の意志の強さや天上の貴重な薬草が現状を支えてくれている――
ケイロンは腕利きの医者だった。噂を聞きつけ、彼の元を訪れる患者は後を絶えない。
それでも救える命も取り零す命もある。如何に技術や知恵に優れようと、彼は驕る事がなかった。
故に、完治しても客として来訪する者もいたほどだ。

「どぉれ、顔をよぉく見せておくれ……ほう。アレク、お前は今日とびきりご機嫌じゃな?」
「はい、先生の痛み止めのお陰です」
「ありゃ、ラファエルの調合した軟膏だからのー。実はワシは何もしとらんわい」
「ねえねえ先生ー、今日こそ背中に乗せてよぅ」
「そうだよ、お薬苦いの我慢出来たからお馬さんごっこさせてよ!」
「これ、カイト、ルッツ! 後ろ足に蹴り飛ばされたいか、悪餓鬼じゃのー」
「……先生、カルテをどうこうするのではなかったのですか」
「んなもん後じゃ、あとあと」

慕われ過ぎるのも考えものだ。最も、そのお陰で手の空いている方が治療を施す暇が出来る。
部屋の入り口に姿を見せたラファエルに、一部の子は舌を出し、また一部は本を読んでと声高にねだった。
呆れ顔にも綻びが見て取れる。
群がる子供らにカラカラ笑いながら検診を続けるケイロンに、彼は小さく苦笑した。
彼の師は「半人半馬」だった。遠い昔、神々の楽園に住んでいた一角獣・イクシオンがその祖にあたる。
彼はある神々の「宝」に手を出し「大いなる神」の怒りを買い、奈落の果て、光の届かぬ地に追放されたという。
その際、神は宝の代わりにちょっとした手土産をイクシオンに与えていた。
手土産が何であったか、大神も宝本人も決して口を割ろうとしないが、
口の軽い遣いの鴉によれば、それがケイロンらケンタウルス族の素になったという。
下らぬ昔話よの、とは専らケイロンの口癖だった。
祖が強欲であったからか、或いは地の底から吐かれる呪詛の賜物か、ケンタウルス族は皆愚かで貪欲だった。
唯一ケイロンだけが思慮深さ知恵を合わせ持ち、これまで長きに渡り神に楯突く同朋を宥め賺してきたのである。
その苦労と努力がどれほどのものであったか、ラファエルに知る術はない。だがそこは不老長寿の神々の事だ。
遙か昔の祖の過ち一つを槍玉に上げ、事ある毎に彼を虐げてきたのだろうとは容易に予想がついた。

「ワシの背中に乗るより、ほれ、ラファエルの翼でに空に連れてって貰った方が面白そうだと思うがのー」
「は? いえ、先生それは……」
「えっ、でも落ちちゃったら危ないし」
「ちょっと怖いよなあ、オレ、まだ羽ちっちゃいもん」
「おや、意気地がないの。空を飛んでみたくはないのか、男の浪漫じゃないかと思ったんじゃが」
「オレ、飛んでみたい! ねえいいでしょ、ラファエル先生!」
「ケイロン先生……貴方という方は……」

彼の腕を聞き、弟子入りを強く志願したのはラファエル本人である。事実、ケイロンは物の教え方も上手かった。
ラファエルに基礎知識があったのも無論だが、結果として、ケイロンの指導こそが彼の力を磨き上げた。
行く行くは老いぼれの跡を継いで欲しいの、
茶化すケイロンに反発しているうちに、彼は気付けば天上界一の医師に育て上げられていた。
「神の癒し」、「癒しの天使」の異名に恥じない技術を身に着けるに至っていたのである。

「よし、遊ぶのはここまでじゃ。皆、そろそろ勉学に励む時間じゃぞ」
「はーい!」

はじめは見下していた神々からも「賢者」と呼ばれるようになったのは、果たして何時の話だったか。
そうして患者を着実に増やし、最初こそ二人並んで入るのがやっとだった診療所も、ここまで広くなった。
口にこそ出さないが、ラファエルは高位天使の身でありながら魔獣にカテゴライズされるケイロンを尊敬していた。

「ぐだぐだしとると、ラファエルからイッターイ注射を打たれるでのー」
「はーい!」
「……」

――贅沢を言うなら、言動がもう少し、評判通りに慎まやかであれば一番なのだが。
検診結果を纏める、と先に歩き出した師の背を、白翼の天使は苦笑に嘆息を混じえ足早に追った。



(これより いくばくか のちのおはなし)



……

「――どうだ! おんなじ顔が二つ! 可愛いだろう!?」
「ヘラよ、ワシャ他人の趣味に口出しする性分ではなかったつもりだがの……主、ショタコンだったのか」
「なんだー、わたしを愚息や愚弟と一緒にするなー。ただ可愛い、それだけの話だろう?」
「それは構いませんが、ヘラ様……その子等に、本当に医学を教えろと? 物になりそうなのですか」
「うむ。見てくれはまだ幼いが、わたしが拾った天使だからな。医学に興味があると言い出したのも彼等の方だ」
「ふむ、そうか。期待せんでおくかのう」
「……、『サラカエル』。上が男で下が馬……ケンタウルスだ」
「『ウリエル』。……静かに」
「ほう、声までソックリだの! 右のは左の後ろに隠れっぱなしじゃな」
「だろう!? この二人、絶対将来『いけめん』になるぞ! 愚息のように無駄な筋肉は要らないからな!!」
「ヘラ、ワシャこの二人に聞いたんじゃがのー」
「ヘラ様……そんな、力いっぱい仰らずとも……」
「なんだー、ラファエル。ケイロンが任せろと言ったんだ。一任するから頼んだぞ」
「って、また安請け合いしたんですか。先生……」
「うむ、ま、薬草の基礎知識があるならどうとでもなるじゃろ。ヘラよ、手土産の饅頭、期待しとるぞ」
「(それを面倒見る事になるのは誰だと)」
「うむ、任せておけ。三箱は買ってやろう! ――ではな、二人とも。いい子にするんだぞ」
「は、はい! ヘラ様」
「……言われなくてもそのつもりさ」
「うん? ……ふふっ、サラカエルは頼もしいな! 頼んだぞ。ケイロン、ラファエル」
「うむ。主も息災のようで何よりじゃ」
「畏まりました、ヘラ様」



(嘗てあったこと 此からおこること)




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 UP:14/04/15