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モンスターハンター 夜一の書 龍獣戯画 : ヤツカダキ恋奇譚(8) BACK / TOP / NEXT |
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「『先生』から狩りのやり方を教わって、結構な年数が経っていたんだ。俺もうんと背が伸びて、『シロタエ』と互角に手合わせできるようになるくらいには」 シロタエとは、彼が助け、また助けられた影蜘蛛の幼体の名だ。夜一がそう言うのなら、幼体の時期を抜け成体として成長を果たすことができたのだろう。 艶は、胸元に埋めた狩人の頭を見下ろした。くすぐったそうに苦笑する夜一の顔は、やはりどこか、寂しげに見えた。 「夜一さん?」 「……あの日は、今日みたいにずっと雨だった。朝から真っ暗で、降り止まなくて、もしかしたら……いや、」 当時と現在を比較して、何か思うことがあったのだろう。夜一は一瞬口ごもったが、頭を振って艶に微笑み返した。 「いつの間にか、俺たちが知らない間にシロタエも力をつけててさ。自分で狩りができるようになったんだろうな、気がついたらゲリョスの皮を被ってたよ」 「聞いたことはありますが……弱点を隠すための保身術と、森に身を潜ませるための擬態の混合術だとか」 「ああ、先生もそう言ってた。『俺たちに懐いてなかったら、相当苦戦を強いられる個体だろうな』って」 「先生」の口ぶりに、ぞわりと鳥肌が立つのを感じた。察してくれたのか、夜一の手がそっと二の腕をさすってくれる。 引き寄せられ、額と額が重なり、そのまま唇が触れ合った。この人はもしかしたら想像以上に甘えん坊なのかもしれない……気恥ずかしさに艶は身じろぐ。 構わない、とばかりに夜一は額、こめかみ、頬と、次から次へと口を寄せた。微かに触れ合う音に、艶は自分の心臓が爆発して霧散してしまうような気がした。 ……同時に、こうでもしないと過去の亡霊に連れて行かれる心地になっているのかもしれない、と思い直す。手を伸ばし、男の頬をくすぐった。 「夜一さん。それで、シロタエさんは」 「……ああ。その、雨の日さ。あの日は雨漏りの様子を見なきゃいけないからって、家にいるように両親に言われたんだ」 「……まさか」 「はは、艶にも分かるよなあ……そのまさかだよ、俺の後を尾行してたんだろうな。朝にはもう、ギルドから真っ当な狩猟依頼書が村に届けられていたんだ」 「ネルスキュラは驚異にしかなり得ない」。結局、約束は果たされなかったわけだ。艶は心底悔しくなり、歯噛みする。 「泣かないでくれ、艶。話には、まだ続きがあるんだ」 「私は、大丈夫です。泣いてなど、おりません」 「うん、うん……ありがとうな」 夜一の話では、親の言いつけ通りに留守を守っている最中に「仕事だから」という至極まともな言い訳を共にして、件の狩人はシロタエを屠ったという。 村が一時騒然となり、何事かと興味本位で家から飛び出した夜一は、荷車に乗せられたシロタエの死骸を初めて目の当たりにしたのだ。 「そんな……その、人間のやり口では、捕獲することだって……できたはずではないのですか」 「予想より抵抗された、っていうのもあるんだろうけど。それ以前にシロタエの糸や甲殻、睡眠針……影蜘蛛の素材がすぐにでも欲しかったんだろうな」 村を守るため、村を発展させるため……何が「村のため」だというのか、艶は怒りのあまり両眼を固く閉ざしていた。 前提として、夜一を深く傷つけ、悲しみの底に沈めた身勝手な両親には怒りを禁じ得ない。彼らの方針を受け入れた他の村人や先生とやらも同罪だ。 もしこの場に連中がいたならば、一人ずつ手足を蜘蛛糸で縛り上げ、首と肩に歩脚を突き刺し、天井まで引きずり上げてやりたいくらいだ。 しかし、今そうして自分が怒り喰らったところで何の足しにもなりはしない。夜一は既に独立し、暁らと共にハンターとして生計を立てているのだから。 「……夜一さん」 「うん」 「いえ……お話の、続きを」 「うん。なんか、眠くなってきてるけどな」 本当に、夜一は心底眠そうな声でそう呟いた。頭をそっと撫でてみれば、うとうとと目蓋が繰り返し上下する。 その様子があまりにも可愛らしくて、ふふ、と艶は小声で笑った。話の中身は酷く重く湿っているのにこれでは不謹慎だな、とも思う。 一方で、夜一は艶の声になんとか意識を持ち直そうとしているようだった。柔い双丘に埋まりながら嘆息するあたり、確信犯ではないのか、と艶は苦笑する。 「艶。俺は、君に大事なことを言わずにいたんだ」 不意に呼気が重くなる。それは、決して抗いがたい眠気からくるものではない。 硬質に強張る愛しい人の声に、艶は小さく肩を跳ね上げさせた。そろりと視線を落とすと、夜一の顔は変わらず胸元に隠されている。 「シロタエが死んだ。俺は、そのことが受け入れられなかった」 腰に回された腕が、強く力を込めてくる。色香よりも殺気を濃く感じさせる気配に、艶は反射でこくりと喉を鳴らしていた。 「村の皆が宴会の準備を始めて、その間に長や先生はギルドの到着を待たずにシロタエを解体し始めた。罠や狩りの道具に必要な分だけ、って話だったけど」 「……それは……夜一さんは、合流を?」 「いいや、遠目から見て、盗み聞きしていただけだ。皆が寝静まった頃を見計らって、動こうと思っていたんだ」 動く、とは――嫌な予感がして、艶は夜一を包む腕の力を強めた。心臓が早鐘のように鳴っている。それでも、男が顔を上げることはなかった。 ……動植物が眠る頃、真夜中、活気の失せた小さな村。人々が泥酔しきったのを一通り確認してから、「ヨイチ」は「先生」の仮住まいへ足を運んだ。 息を殺して忍び込み、机に置かれたままの睡眠針に手を伸ばす。まだ息があるかのように毒液を滴らせるそれを、「ヨイチ」は躊躇わず恩師に突き立てた。 「……っ、夜一、さ」 「『起きていた』んだよ、先生は。『やっぱり来たか』、苦笑いされながらそう言われた」 ……刺した場所は右肩、男の利き腕の方だったと、夜一は感情の失せた顔で吐き捨てる。 やおら腰を引き寄せられ、艶はふと走った鮮烈な痛みに顔をしかめた。見下ろせば、狩人は女の鎖骨に歯を立てている。 「っ、う、」 「先生とは、寝起きも一緒にする機会が多かったんだ。だから、どんな道具がどこにしまわれているのか、俺はよく覚えてた」 「よい、ち、さ……いたい……っ」 「角笛って知ってるか、艶。どんなモンスターであれ、あの音には凄く敏感で敵対心を煽られるって話だけど」 息も絶え絶えな艶を笑うように、夜一の歯牙は器用に蠢く。ざらりとした感覚が皮膚をなぞり、次の瞬間には、血を舐めながらうっそりと笑む男と目が合った。 「村のやぐら……まあ、見張り台みたいなものかな。そこに角笛を持って行って、盛大に吹き鳴らしたんだ。後は、森に隠れていた連中の仕事さ」 「世界の終わりのようだった」。他人事のように夜一は言う。 跳ね起きた村人たちが目にしたのはシロタエ同様、森の中に身を潜ませていたあらゆる怪異の集団で、まるで百の鬼が軍を成してきたかのような光景だった。 鳴り響く警鐘の音は「ヨイチ」がやぐらの上から煽りに煽りを込めて鳴らすもので、それは事前に設置された鐘ではなく、角笛起因の悪意の音だ。 ……思考のおぼつかない頭でその光景を想像し、艶は身を震わせる。彼は、夜一は、何故そんな話を自分にしようと思ったのだろう。 「……ただ、やっぱり先生の方がうわてだった。その頃にはもうギルドの調査員や先生の仲間が村に到着してて、モンスターは即座に狩られていったんだ」 痛みの次に襲いくるのは、甘やかな痺れ。荒い息を繰り返し吐きながら、艶は夜一が肌に刻みつけた無数の傷痕を見て切なげに顔を歪めた。 視界が掠れて、酷くぼやけている。頬に冷たい手の感触を感じたときには、首を伸ばした夜一に唇を塞がれていた。 「被害はせいぜい、畑や家屋の一部くらいで。村人や狩人たちは転んだとか、指をぶつけたとか、そういう怪我くらいしか負ってなかった」 「ん、ぅ、夜一さ……」 「一歩間違えれば人殺しになっていた、ハンターになりたいんじゃなかったのか、って先生の仲間に怒鳴られたけど。先生だけは最後まで俺を庇ってたなあ。 先生も人が好すぎると思わないか、艶。シロタエを殺した連中なんて皆死ねばいいって、俺はそんな風に考えたのに。ギルドに恩赦を求めたのも先生だった」 「夜一さん、待って……は、話に専念させ、」 「先生、しばらく狩りを休まなきゃいけない程度には負傷したのにな。俺は結局、お咎めなしになったんだよ。だからこうして艶にも会えたわけだけど」 「よ、夜一さん? どうしてそんなっ……きゃっ!」 天地が入れ替わる。見上げた先、今まで見たことのない顔で夜一が艶に笑いかけていた。 「なあ、艶。まさか君も、シロタエと同じように俺を置いて行くつもりじゃないよな?」 この人はもう、そのときからずっと壊れているのだ――愕然として、「ヤツカダキ」は「愛する狩人」を見つめた。 刹那、首を噛まれ、舌でなぞられ……瞬時に歓喜と恐怖に駆られ、ぐっと目を閉じる。狩られる、殺される、そんな感情が瞬く間に脳内を支配していった。 「それでも、自分は彼を嫌いになれない」。濁流のように混乱の最中にいながら、艶は懸命に両手を夜一の背中に回した。 「夜一さん……それでもあなたはハンターになった、暁ちゃんや灯火くんに会って、今も剣を振るっているじゃありませんか。名も知らぬ、誰かのために」 びくりと、狩人の肩が跳ねたのが分かった。心なしか小刻みに震える体を、力の限り自身の方に引き寄せる。 矜持を、暁らへの信頼を、「艶」への……愛を。全てを忘れて知らぬ振りをできるほど、この男は器用な気質ではない。艶には、そんな自信があった。 「夜一さん、愛しています。私もあなたが好きなんです……あなたがどんな道を選ぼうと、私たちはあなたの傍にいます」 「つ、や?」 「あなたはもう、ひとりじゃないのに……大丈夫です、シロタエのように私たちもいずれは死にます。そのときには……あなたのお傍に、おりますから」 「泣かないで」、などとどの口が言えるものか。額に、頬に、肌という肌に、透明な塩っ気の混ざる雫が落ちてくる。 好きなだけ泣けばいい、今の今までそうすることを自ら戒めていたのだから。子供のように大声を上げて泣く夜一を、艶は柔らかく抱き留めた。 視界が暗闇に沈む。互いに抱擁を受け入れながら、幾度目かの熱が身に被さるのを感じた。 陸日目 「愛しています、なんて……怪異のくせに、ばかみたい」 雨に紛れて吐露する虚言に、艶は自ら顔を歪めた。顔に残されたどちらの汗と涙か知らない痕跡を手で拭い、散らばった着物に身を包む。 夜一の分をどうするか、と考えて、拾い上げた後に畳んで寝具の脇に寄せておくことにした。 これらの動作にも慣れてしまった。オオナズチの秘術もさることながら、夜一たちの生活能力のなさによって自分の家事能力もかなり上がってしまったらしい。 「……う。いた、い」 立ち上がろうとした矢先、首筋や鎖骨のあたりにずきりと疼く痛みを感じた。そっと指でなぞってみても、血の色はもう返されない。 それでも、この痛みは確かに夜一が刻んだものだ――一気に顔に熱が上り、艶はぶんぶんと頭を振った。 「よ、いちさんの、ばか。ばか、ばか……ずるい、もう……本当に……」 まともに立っていられない。ふらりとよろめいた勢いのままにしゃがみ込み、ふと未だ熟睡している狩人の寝顔を覗き込んだ。 「ひとの気も、知らないで……」 好きだ。この人が、この男がたまらなく好きだ。誰にも渡したくないし、自分のことだけを見つめていて欲しい。 できることならば、昨夜のようにずっと一緒に……そこまで考えて、艶は深く嘆息する。 どう願っても、縋っても、それは叶わない夢物語だ。夜一は怪異の存在に――望んだものでなくとも――傷を負わされているし、里の人間には慕われている。 そこにどのようにして姿形を偽った自分が入っていけるというのだろう。はじめから分かりきっていたことではないか。 「夜一、さん……」 オオナズチの言った通りだと、艶は思う。 姿を変えられるのは八日間だけ、それがたった六日だけでこんなにも入れ込んでしまった。それ以上を求めることは、自ら修羅の道に堕ちようというものだ。 変化の力を持ちながら森に潜み、外界との交流を拒む霞龍の姿勢は……決して、人間に恐れを成している故のものではなかったのだ。 「夜一さん、夜一さん……好きです、あなたが……あなたのことが、大好きです。できるなら、あなたの傍に、ずっといたかった」 自分は愚か者だ。「復讐」などと口にしておきながら、結局はオオナズチらに手間をかけさせただけで何の成果も上げられなかった。 それどころか、生きてきた環境も、価値観も、暮らしやすい場所や餌さえ異なる……怪異の敵、人間の男に恋をした。 彼の言葉を受け取り、甘い囁きに耳を貸し、手を重ね、親しいものを連れて人里を練り歩き、他のことには目もくれずに男と一夜さえ共にした。 あの痛みは、熱は、決して忘れることはないだろう。それだけでも良い思い出になる、嗚咽を堪えそう自分に言い聞かせた。 ……落ち着いた呼吸で眠る夜一の頬に手を伸ばし、艶は最後の執着心を払おうとした。「これが最後、せめてもう一度だけ」。そんな軽い気持ちだった。 「……え?」 バキリ、と奇妙な音が聞こえた。凍てつく冬の泉に張った氷を踏み抜いたような、不吉で不穏極まりない音だ。 「え? え、え……や、いやっ、いやだ……!』 嘘だ、そんな悲鳴じみた発狂が口から漏れ聞こえた。バキバキと次々に鳴る音は、よりによって自分の腕から奏でられている。 艶は、否、「ヤツカダキ」はその場から後ずさった。眼前、「艶のもの」であったはずの白い皮膚に覆われた華奢な腕が、太く凶悪な歩脚に変わっていく。 濃紫の、怪しく不気味な蜘蛛の脚。見慣れたそれはしかし、発露するまで残り二日の猶予があったはずだった。 『あ、ぁ、ああ……! いやだ、いやっ、嘘だ、そんな……』 そのときだ。うぅん、と夜一が短く呻く声が聞こえた。 ヤツカダキは、はっとして嘆きの声を喉の奥に押しやった。もしここで彼が目を覚ましてしまえば、きっと恐ろしいことになる。 (……夜一さんにとっては、何も恐ろしくはないのかもしれないけど) 彼は、ハンターだ。過去に問題を起こしたことがあるとはいえ、腕がたち、顔もよく、誰からも慕われる心優しい「モンスターハンター」だ。 彼がもし、目の前の怪異を見つければ……防具の近くには、きちんと携帯されていた雷狼竜の剣もある。迷わず、彼はこの危機を滅することを選ぶだろう。 それにひきかえ、自分はどうだ。自身の愛欲のためなら友愛すら忘れて私欲のままにしか動けぬ、この醜い心と体は。 「いっそ彼に狩られてしまおうか」、揺らぐ自意識の中、自分の中のもうひとりの自分が耳元でそう囁いた。「その方がきっと幸せだから」と。 (いやだ、駄目、そんなこと……これ以上、夜一さんが苦しむ必要なんて……夜一さんには、帰りを待つ人たちがいるのだから) 胸が張り裂けそうだった。それでも、ヤツカダキは何とか悲鳴を飲み込むことに成功した。 ぐるりと夜一に背を向けて、歩脚を器用に動かし入り口をこじ開ける。一瞬引っかからないかと案じたが、まだ一部の肉体は人間の形を維持してくれていた。 よって、なんとか物音立てずに小屋から脱することができたのだった。外は未だに大雨だったが、辛うじて川は氾濫せずにいる。 川沿いは避けて進もう、笹の葉に隠れるように姿を紛れさせながら、ヤツカダキはそろそろと里から距離を取った。 『どうしよう、どうしたら……そうだ、長に、オオナズチ様に会わなければ……』 「会って、どうするというのだろう」。 思わず立ち止まった直後、ヤツカダキはぐっと強く歯噛みした。そんな自問など意味のないことだ、オオナズチに会わない理由はどこにもない。 状況を説明し、夜一とは「切れた」ことを明らかにし、彼の住まう里に今後も手を出さないよう懇願し、それからの後にこれからのことを相談しなければ。 自分はいきなりのことに動転しているのだ、だから長に「帰ってこい」と言われることを恐れているのだ、そうに違いない。 「夜一への想いは封印する」。その決意がたとえ、口元に暗緑の体液を滴らせる激痛を伴うものであろうとも。 『……、夜一、さん』 雨が降っていてよかった、とヤツカダキは思う。 そうでなければきっと今頃、不気味な怪異が滂沱の涙を流すという奇妙な現象を何者かに見られてしまっていたかもしれない。 不幸中の幸いとはこのことだ――いよいよ二本脚が消え失せた頃、ヤツカダキは目の前、暗い大社跡の入り口に真っ白な影がちらついているのを見出した。 『……お前は……今時分、何用なの』 『待っておりましたよ、奥方様。さあ、我らが主がお待ちです。どうぞこちらへ』 『奥方様? 冗談は、』 『奥方、で間違いは御座いませんでしょう。狩人などという人間と逢瀬を重ねていたのですから……さあ、お早く。体を冷やしてしまわぬうちに』 雨に揺らぐこともなく、まっすぐに一本足ですっと立ち……否、そのように見えてしまうほどに、しゃんと立ち尽くしていた影が嘴を開いたのだ。 その姿にヤツカダキは一応の覚えがあった。傘鳥アケノシルム。大社跡に潜む怪異のうち、白塗りの羽鱗に身を包む同胞は、慇懃無礼に片翼を畳んで礼をした。 言われる嫌味には言い訳の一つさえ返せない。苦痛という苦痛を滲んだ血液とともに飲み込み、ヤツカダキは一路、大社跡の奥を目指す。 |
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