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モンスターハンター 夜一の書

 龍獣戯画 : ヤツカダキ恋奇譚(4)


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あのとき……何が起きていたのか、艶には全く理解が及ばなかった。
夜一が帰ってきた途端、自分でもどうかと思うくらいに彼にぞんざいな態度をとってしまった、そこまでは辛うじて覚えている。
問題はその後だ、いきなり背後に立たれたと思ったら抱きつかれ、耳元で何事かを囁かれ、勢いよく振り向かされ――

「……うぅわああぁっ!!」
「つっ、艶さん!? どうしたんですニャ!?」

――捏ねていた団子生地をまな板にボテッと取り落とした後で、艶は暁の声に我に返った。
夜一に抱きすくめられた翌日、ぎこちなさ満点の夜を明かした、その早朝。
朝食作りの手伝いを名乗り出たオトモたちは、艶を見上げて目を忙しなく瞬かせている。
あまりに素っ頓狂な声を出してしまっていたのか、暁と灯火の目玉は顔からこぼれ落ちそうになっているほどまん丸に飛び出していた。

「あ……そ、その……ご、ごめんなさい、暁ちゃん、灯火くん」
「ニャー……? 昨日から艶さん、なんかおかしいニャ。旦那さんと何かあったのニャ?」
「うえっ、よっ、夜一さんと!? ど、どうしてそんなことをっ」
「ニャー、だって旦那さんもあーだからニャー」

暁の物言いたげな流し目に釣られて視線を動かす。
囲炉裏の前で狩りの道具の手入れに勤しんでいるはずの家主は、ぼうっと宙を眺めて固まっていた。

「夜一さん、ずっと『ああ』なのかしら」
「ずーっとニャ。何か始めちゃあ固まって、次に手を出しては固まって、ニャ」

暁が呆れるのも無理はない。夜一の手は完全に停止していて、瓶詰めを待つばかりのすりつぶした薬草や解毒草の根は半乾きになってしまっていた。
時折、何かを考え込むように眉間に皺が寄る。
普段は温和な眼差しが鋭く細まり、まるで天井にモンスターが巣くっているかのように険しい表情が浮かぶときもあった。
粉を運ぶ手が空いた灯火が、彼に「クゥーン」と寂しげな鳴き声を投げてみるも、反応は返されない。
恒例の朝の掛け合いがないからか、気落ちしたように暁は嘆息している。諦めよう、とオトモたちは互いに励まし合っていた。
……一方で、艶は見たことのない夜一の顔に見とれてしまっていた。普段と打って変わる真剣な眼差しは、ある種の殺気に満ちているように見えてくる。

(私は……夜一さんに『狩られて』しまいたいのかしら)

はっと我に返り頭を振った。
違う、私は友らの仇討ちのためにここまで来たのだ――怪異としての本能が、彼に挑んでみたいと、狩人の技量に惚れているとでも言うのだろうか。
急に背筋にぞくりとした悪寒が走り、艶は薄い唇をきつく結んだ。すぐさま夜一から視線を外し、まな板に向き直る。



参日目



「艶。俺たち、これからしばらく狩り場に潜るから、そのあいだ留守を頼んでもいいか」

なんとか食事の体を整えた後、囲炉裏越しに夜一はそんなことを口にした。はじめ、何を言われたのか分からず艶はぱちりと目を瞬かせる。

「あの……夜一さんでも狩りに出るときが、あるのですね」
「えっ……」
「ニャー……? 調合してたの、狩りの準備だったのニャ? 明日はきっと雨、いや、ガンランスの砲撃が降るニャ」
「ワォーウン? ワォーン」
「えっ、俺が狩りに出ちゃ駄目なのか。っていうかどういう意味の反応だよ!? 暁、灯火!」

近場にいたオトモたちを両腕でぐわっと抱き寄せ、夜一は心底楽しそうに笑った。
眩くさえ見える笑顔に、艶は一人、不思議と胸のあたりがぎゅっと締めつけられるような感覚を抱いていた。

「でも、急にどうして。お金でも……そんなに切迫しているのですか、夜一さん」
「うん? そういうわけじゃないんだ。ただ、ちょっと都合っていうか、片付けておきたい用事ができたというか」
「ニャ〜。回りくどいニャ。いつもの旦那さんらしくないのニャー」
「俺だって色々考えてるんだよっ! まあ、そういうわけだから。昨日買った布団、寝心地よかったって言ってただろ? なら大丈夫だよな」

一瞬言葉に詰まる。同時に、有無を言わせないような一方的な取り決めだ、と艶は思った。
しかしキャラバンの迎えを待つ一般人という立場を名乗る以上、家主である夜一の決定に逆らうことなどできない。
妙な詮索をされ、勘づかれても困る。力なく、首を縦に振るしかなかった。

「よし、じゃ、まずはお前らの装備の見直しからだな。行くぞ、暁、灯火」
「ニャア!? ちょっ、旦那さん、いつもはもっとケチケチしててっ……なんでそんなにはりきってるのニャ、意味不明だニャ!」
「ワ、ワンワン! ワォーォオン」
「お前ら……普段は働けー稼げーって言ってるのにどういう返事だよ。ほら、他に先回りされないうちに急ぐぞ!」

どたばたと、賑やかしくハンターたちは出掛けていった。ぽつんと取り残された艶は、一呼吸置いてからのそりと立ち上がる。
彼らと自分が使った食器を下げ、洗い、さっと軽く床を掃く。そうして一通り頼まれていた家事を済ませて、一息ついた頃には表通りに人気が出始めていた。

「お布団……干した方がいいのかしら。それより買い物? みんな、いつ頃帰ってくるのかしら」

肝心のところは聞けずじまいだ。完全に手持ち無沙汰になり、ひとまず床上に腰を下ろす。
背中に、囲炉裏から心地よい火の気が届けられた。自然ととろとろとした眠気に襲われ、何度か瞬きを繰り返す。
考えてみれば、昨日は夜一とのことがあってほとんど眠れていなかった。
彼が用意してくれた赤い金魚柄の布団は実際に寝心地がよかったが、あんなことがあって眠れと言われても簡単には割り切れないというものだ。

(夜一さん……どうして、あんなことを)

好きだ――あの、熱に満ちた囁き声が不意に耳元に蘇る。途端にかっと顔に熱が上り、艶は慌てて頭を振った。
俯き、深呼吸をして、もう一度頭を振って。それでも一向に顔の火照りは取れてはくれない。

「どうし、よう……どうしよう、私、私は……」

……夜一たちが狩りに出てくれていてよかった、と艶は思う。そうでなければ、きっと彼らにこんな情けない顔を見せる羽目になっていたはずだ。

(好き……好きって? でも、夜一さんは人間で、私はただの怪異で)

それが、なんだと言うのだろう?

「私……私も、夜一さんのことが。あのひとのことが……」

その切なる言葉の続きは、辛うじて喉奥に閉じ込めることができた。
恐らく、一度でも口にしてしまえば取り返しのつかないことになる。そんな漠然とした予感が、「ヤツカダキ」の中にはあった。
恐々と顔を上げる。台所すぐ横の太い柱には、夜一が撮ったと思わしきオトモらの写真が素朴な額縁に収められていた。
ちょうど昼時になると陽光が窓から射し込み、鉱石製の透き通る蓋が、鏡のように室内を映し出す。
今はまだ、オオナズチらと離れて三日ほどしか経っていない。蓋に映る白髪の娘は、変わらず儚げな美しさを湛えたままでいた。

「……私の正体を知れば、夜一さんはきっと、あんなこと二度と言ってはくれないわ」

ぶるぶると手が震える。はっとして口元に手を添えれば、唇も青ざめ小刻みに震え始めていた。
私は恐ろしいのだ――友らのことを忘れるのが。自分が怪異でなくなってしまうことが。
否、何より、どんなことよりも、夜一から嫌われ、拒まれてしまうことが……。

「……駄目だわ、このままでは」

目のあたりから、無色透明の液体が流れ落ちる。ヤツカダキは、それが「涙」と呼ばれることを知らなかった。

「早く、一刻も早く、彼女たちを殺した人間を探し出さなくては」

消沈した自分を奮い立たせるように乱暴に手の甲でそれを拭い、丁寧に屋内の火を消して回る。戸締まりについては、窓を閉めるだけに留めた。
幸せそうに寄り添う暁と灯火の写真を睨むようにして身なりを確認し、家を出ようと足を急がせる。

「ねえっ、夜一さん! ……あら? あなた、夜一さんのお知り合い?」
「――っ、ど、どちら様……?」

戸を開けるより早く、来客が勢いよく玄関に入り込んできた。とんだ邪魔が入った、とは口に出さずにおく。
相手は年若く美しい娘だった。長い黒髪は漆で染めたように艶やかで、自分とは違いはっきりとした存在感と活発そうな魅力に満ちている。
力強さを感じさせる瞳が、正面から艶を射抜いていた。そっと口元を覆う優雅な扇子の動きからして、それなりの身分にある娘であることが伝わってくる。

「質問しているのは私の方でしょう。あなた、一体どこの誰?」

隠す気のない棘を含んだ物言いが、艶の鼓膜を打った。あからさまな敵対心を前に、嫌な汗が背を伝う。

「私は……夜一さんに匿われている者です。一昨日の夜から、その、護衛の商隊とはぐれてしまって」

その気になれば、このような小娘など――わき上がる衝動を、拳を握ることで受け流す。今の自分は非力な娘、艶なのだ。
夜一はもちろんのこと、里の連中にも悟られるわけにはいかない。今ここで暴れることは容易いが、ヤツカダキ本体ほどの動きは決してできはしないのだ。

「あら、そう。昨日から里の者が噂していたわ、夜一さんのオトモとも親しくしているとか。一体、いつお迎えが来るのかしら」
「さあ、それは……私が取り決めることでは、ありませんから」
「ああ、そうでしょうねえ。そうに決まっているわ。だって、ここ数日の間、大社跡はモンスターがたむろしていてとても往来できる状態じゃなかったもの」

……息が詰まった。はっと顔を上げた先、里長の娘スガリは意味深に目を細めて笑う。

「どうせ調べられないだろう、とでも思っていたの? 里の集はあなたが思うほど間抜けじゃないわ。残念だったわね」
「あの……わ、私……」
「結構よ。我が里の自慢のハンターに取り入って盗みを働こうだなんて小悪党、名前を知る価値もないわ」
「えっ、盗み?」

我ながら、ずいぶんと間抜けな声が出せたものだと艶は思った。どうやら勘違いをされている、そう確信したのは黒髪の娘が得意げに胸を張っていたからだ。
てっきり正体がばれてしまったのだとばかり思っていたが、杞憂のようだった。そこにまず安堵する。

「それ以外にないでしょう?
 調べたけれど、あなたと同じ人物を護送する商隊の記録は残っていなかった。驚いたわ、まさかこんなに堂々と夜一さんを誘惑するなんて」
「ゆっ、ゆうわ……っ!? わ、私はそんなことっ!」
「そうでしょう? 夜一さんは優しいから、あなたに泣きつかれて仕方なく家に上げてくれたのよ。でも私は違う。騙されたりなんかしないわ」

怒濤のごとく言い募られ、艶は顔を赤くしたり青くしたりと混乱していた。しかし、動揺してばかりもいられない。
相手は、こちらが夜一に話した身の上ではないことをすでに把握しているのだ。
もしそれを彼に話されてしまったら……冷たい眼差しで睥睨してくる夜一の姿を想像して、艶は全身からさっと血の気が引くような思いがした。

「ふん、所詮ただの盗人ね。皆、入ってちょうだい」

動転していて、反応が遅れた。眼前、黒髪の娘がさっと扇子を外に向けると、待機させられていたと思わしき男たちが続々と押し入ってくる。
一、二、ざっと数えて五人ほど。彼らが手に鎌や短刀、麻縄を握っているのを見て、艶は顔を引き攣らせた。

「……!? あ、あの、何をっ」
「スガリ様……いいんですかい? 夜一の奴に何も言わなくて」
「構わないわ、夜一さんなら庇おうとするだろうから。早く、捕まえてしまってちょうだい」

「捕らえられる」。そして恐らく、それだけでは済まされないであろうことも、艶は本能で感じ取っていた。
後ずさり、己を宥めすかすように胸元を握りしめる。じりじりと距離を詰めてくる男たちは、皆どこか困惑した表情を浮かべていた。

(夜一さんに家を守るように言われたのに……自分の事情を優先しようとした、罰なのかしら……)

男たちの顔や肩越しに、スガリの勝ち誇った笑みが見える。その瞬間、艶ははっと確信した。

(そうか。あの娘は、夜一さんを好いているのだわ)

彼女が里長の娘なのか、ギルドの受付嬢なのか。それは今は問題ではない、むしろどうでもいいことだ。
そうではない……あの黒髪の美しい娘が、夜一を好いている、彼を自分から「奪う」可能性がある。そちらの方が問題なのだ。
艶は、自分の体の奥から冥い炎が立ち上るのを感じていた。ぐらりと視界が揺れ、体が震え、両目が血走っていくのが手に取るように伝わってくる。
夜一を渡したくない――ぎしりと歯を鳴らした瞬間、艶は目の前でロープを解いた男に掴みかかろうとした。

「このっ! おとなしくしないか!!」

横やりが入る。脇から体当たりされ、視界が斜めに滑っていった。怒声を上げるのを堪え、たたらを踏む。
抵抗されるとは思っていなかったのか、間に入った若い狩人はぎょっとして艶の顔を見上げた。

「おいっ、こいつ結構力あるぞ! こないだ、オレが採ってきた糸を持ってこい!!」
「うっ……」
「早く! 早く、これだろ、ほらっ!!」

二、三人に押さえつけられ、艶は悔しげに顔を歪めた。人間の姿に化けたままでは、男たちの火事場力には敵わない。
その刹那……視界の端で、何かがきらりと煌めいた。辛うじて目を開けた艶は、恐怖と怒りで意識が一気に持ち上げられるのを感じた。
「白い蜘蛛糸」が、目の前にある。ただの蜘蛛糸ではない、見慣れた質感、見知った匂い、種の誇りとして自慢し合う美しい純白の、強靱な蜘蛛糸だ……。

「っ、あ、あ、あぁあああっ!!」

洗い流されてしまったのか、血の一滴も着いていない。しかし、その長くしなやかな糸は確かに友らのそれだった。
妃蜘蛛ヤツカダキの絹糸……頭の中が真っ白になり、艶は我も忘れて抵抗した。
髪を振り乱し、腕を振り回し、発狂するに任せて言葉にならない声で喚き散らす。

「な、何よ、この女……」
「スガリ様、危険です! お下がりください!」
「は、早く蜘蛛糸を! 急げっ、この女、普通じゃない……」
「わ、分かってるって! 初めて扱う素材なんだから、仕方ないだろ……」
「ああっ! 触るな、それに触るなあっ!! 許さない、許さない……オマエが、オマエたちが、お前らがあっ!! よくも、よくも……っ」

なりふりなど構っていられなかった。空気中にごく僅かに解ける微かな残り香は、悲しいほどに友らの面影を思い出させる。
体は大きく、心は柔く。優しく、子煩悩で、まだつがいを見つけていない自分にもよくしてくれた仲間たちだった。
森の奥深くに揃って居を構え、人間はもちろん、他の怪異にも見つからないよう工夫しながら、種同士で寄り添い合って暮らしていたのだ……それなのに。

「『彼女ら』が……何をしたって言うの! どうしてっ、どうして放っておいてくれないの! どうして……オマエたちはいつだって、いつでもっ……」
「よし、解けた! 縛り上げろ!!」
「やめて、やめてえ!! 勝手なことしないで! あの娘たちのそれを、そんな……乱雑にっ――」
「――何の騒ぎだ? これ」

……取り乱した艶が、いよいよ捕縛されそうになった、その瞬間。
室内に、凜とした静かな声が響き渡る。不思議と、そのたった一声であらゆる人間たちがぴたりと動きを止めていた。

「もう一回聞くぞ。何の騒ぎだ、これ」

玄関先から、再度声が掛けられる。二度目のそれは明確な怒気と殺意を孕んでいた。
艶は、ぼろぼろになった顔を上げて入り口に目を向ける。潤み、霞み、焦点の合わない視点が、なんとか辛うじて声の主の姿を捉えてくれた。

「よっ、よいち……さん……」
「悪い、艶。忘れ物しちゃったんだ」

一度だけ。一度だけ、夜一はにこりと艶に笑いかけた。それだけで、艶は全身の力が一気に抜け落ちていくのを感じた。
一歩、家主である狩人が前に出る。ざり、と土間が鳴り、真っ先にスガリが肩を跳ね上げさせた。

「次は聞かない。スガリ、これは何の騒ぎなんだ」
「よ、夜一、さん」
「ああ、いいや。やっぱり言わなくていい。あんたの声なんか二度と聞きたくないからな」

顔を蒼白に染め、痙攣しているとさえ思えるほどに、スガリはがくがくと体を震わせる。夜一は彼女に一瞥を投げるだけに留めた。
歩み出た狩人は、次に純白の蜘蛛糸を持つ男の横に立つ。
静かに伸ばされた指先は、決して蜘蛛糸には触れずに、今は亡き体躯を撫でるように宙を彷徨った。
困惑したように泳ぐ男の目と狩人の視線が重なる。射抜くように真っ直ぐに向けられた眼差しは、逃げ出すことを許さぬ威圧を纏っていた。

「これ、この糸。大型の蜘蛛の糸だよな。どこで見つけた?」

艶は、ヤツカダキは、殺された友らのために怒り狂ったのだ。しかし、夜一が目に燃やした火はそれとはまた別の怒りであった。

「ヒッ……も、森の奥だ。た、大社跡の……」
「大社跡? 大社跡の森って言ったら竹林だよな。あんた、どこまで『潜って行った』んだ」

さっと、男の顔から血の気が引くのを艶は見た。見上げた先、夜一の顔はこれまで一度も見たことがないほど冷えている。

「クーロが来たからには、ただごとじゃないんだろうなとは思っていたんだ。腑に落ちたよ……あんた、密猟者だな」

絶対零度の囁きは、その場にいる全員に抵抗せず座り込むことを命令していた。
力尽くで押さえつけられ、今になって痛みが走るようになった腕を庇うように抱きながら、艶は夜一の顔を盗み見る。
「密猟」――はっきりと躊躇せずにその禁断の言葉を口にした狩人は、まさにハンターの名に相応しい眼光鋭い立ち姿をしていた。





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 UP:21/09/02