取扱説明書  ▼「読み物」  イラスト展示場  小話と生態  トップ頁  サイト入口



Deep Indigo Blue(5)

 BACK / TOP / NEXT 




「凄いね、本当の小説家みたいだね!」

……この台詞は、現サイト運営の相方にして長いつきあいになる友人の、そのまた友人である女性Cさんの言葉だ。
前回、前々回に記したブラウザゲームから離脱した後、わたしは件の友人と共同でサイトを運営し始めたわけだが
――補足すると、現在これを書き連ねている「創作サイトConfeito」の雛形になった旧サイトにおける出来事である――
ひょんなことでサイトに置いていた日記ページの内容を、非書き手であるCさんに見られてしまったことがあった。
そのときのわたしの心情を想像してみてほしい…… くぁwせdrftgyふじ となったのは言うまでもない。
頭が真っ白になり、必死に言い訳、言い逃れを考え始めたわたしに、彼女は満面の笑みで振り向きそう言った。
そこに、からかいや悪意、害意のようなものは微塵もなかった。元よりCさんは、平気で嘘を吐くような人ではない。
このとき、言葉に書き表せないとてつもない熱と感動を覚えたのは……恐らく歓喜という感情だったのだと、今は思う。

ことの発端は、いつかのわたしの誕生日をきっかけに三人で出かけた、ちょっとした小旅行だった。
その日あった出来事、見聞きしたもの、誕生日だったということを、わたしは当時日記ページとして代用していた
お絵かき掲示板に、つらつらと簡単な落書き一枚とともに掲載した。確か、何らかの作業をしていたのだと思う。
その作業中、たまたま表示されていたページをCさんは目にしたのだった。そして彼女は見たままの感想を口にした。
……あとは上記の文面の繰り返しになるので、割愛する。思い出すだけで(良い意味で)落ち着かなくなるからだ。

幼い頃に祖母から手渡された「わたしを直接誉めてくれる」言葉。
それ自体、自分は諸事情で経験したことがない、という人も世の中にはいるかもしれない。
だけどわたしにはそれが心底謎で、負担で、苦悩の種だった。
わたしより優れている人なんてたくさんいるのに、と、失礼で不孝なことをたくさん思った。
祖母、家族に対して、わたしは不孝者だったと強く思う。素直に受け取れないなんて可愛げがなさ過ぎる、とも。
だが、当時感じた反発は本物なのだ。今にして思えば、あれは馴れ合い、義理や世辞で受け取る賞賛によく似ている。
懸命にアピールし、宣伝という広報と交流にいそしみ、ネット上にたくさんのファンや友人を抱え……
考えただけでげっそりする。ブラウザゲームを通じて得られたもののうち、これは結構な比重を占めている。
誉めて欲しいから書くのか。慰められたいから書くのか。現実から逃れるために書くのか。
或いは、皆と盛り上がるため、流行に乗るため、話の種にするため、誰かを嘲笑うため、注目を浴びるため……
それもいいかもしれない。創作の理由なんて人それぞれだ、趣味であるのだし全ては自由であるべきだ。
誰かに強制されることこそ妙な話だ。わたしのこの言だって、他人から見たら不愉快極まりないものだろう。
でも、わたしが欲しいのは義務を通じた反応や世辞じゃない。取り繕って出されたものは、お互いに恐らく虚しい。

当然わたしも中身は人間だから、手酷い批判は傷つく。陰であれこれ言われたことは、今でもトラウマだ。
だが、思ったまま、見たままを口にしてくれる人の貴重さたるや、砂中から砂金を探り当てるようなものだと思う。
思慮深い人ほど多くを口にしない。相手を大切にしたいと思う人ほど的確な言葉を厳選して口にする。
それはなんて、ありがたいことだろう。何らかの愛情の形がなければ出来ないことだ。
否、祖母や家族にも愛はあったはずだ。わたしがそれを返せなかっただけで、そこにあったのは純粋な愛だろう。
愛には様々な形がある……当時のわたしはこんな当たり前のことを、ネット上の希薄な関係に求め、縋っていたのだ。
相手の腕や口、それこそ指先にだって、当然限りがあるはずなのに。大切にしたいものがあったはずなのに。

わたしは恵まれている方だと思う。こんな性根でありながら、友人としてくれる人がこんなに近くにいてくれた。
「ここは表現が間違っているから直した方がいい、これ誤字だよ、行き詰まったならこんなネタはどうかな……」
数多の情報を元に忌憚ない意見を口にして、斜めに暴走し始めるわたしを軌道修正し、都度導いてくれる友人。
「凄いね、これ面白いね、今度あそこに遊びに行ってみようよ、これ美味しいよ食べてみて、また遊ぼうね……」
創作そのものはしていなくとも、話題も知識も豊富で心優しく、一緒にいるだけで気持ちが穏やかになる友人。
誰かが、友人とは一生ものの財産である、と言ったそうだ。わたしも今はそのことがよく分かる。
手に乗せられるもの、傍に置けるものには、人間限りがある。ただわたしの場合、それが極端に狭いんだろう。

わたしの書くもの、描いてきたもの、映したもの、残したもの。それにどれほどの力があったのか。
価値なんてないかもしれない、誰の心にも触れてこなかったかもしれない、ウェブ資源の無駄遣いかもしれない。
それでも、相方としてくれる友人や、十年近く経っても色褪せない言葉を渡してくれたCさんが自分の傍にある。
……わたしは恵まれている方だと思う。祖母も、今は苦笑混じりにこちらを見てくれてはいないだろうか。
色々あるけれど、わたしは幸せ者だ。彼女には、ひっそりとそう話しておきたいのだ。





 BACK / TOP / NEXT 
 UP:19/06/27